文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

2020-01-01から1ヶ月間の記事一覧

文化認識論(その19) 構造主義、ポスト構造主義、ポストモダン(その3)

ポスト構造主義は、1966年にデリダがアメリカにおける講演で、レヴィ=ストロースを批判した所から始まりました。そして、1979年にフランスの哲学者であるリオタールが、「ポストモダンの条件」という本を出版します。その中でリオタールは、次のように述べ…

文化認識論(その18) 構造主義、ポスト構造主義、ポストモダン(その2)

少し話は前後しますが、サルトルの実存主義についても、少し述べておきましょう。第二次世界大戦中、フランスはナチスドイツに占領されていました。戦後、フランスはパリの開放に酔いしれたそうです。しかし、ナチスドイツの悪行の数々や、広島と長崎に投下…

文化認識論(その17) 構造主義、ポスト構造主義、ポストモダン(その1)

ご案内の通り、このブログでは様々な文化について述べてきたわけですが、「文化学」という学問は存在しない。このことは、ある側面で言えば、私にイクスキューズを与えて来た。すなわち、仮に私が間違ったことを述べたとしても、それを批判する理論も学者も…

文化認識論(その16) 積み残したいくつかの論点

起承転結を意識して、それなりの分量で記述したいと思うことと、そこまではいかない小さな論点というものがあるようです。しかし、この小さな論点の中にも重要な問題が含まれている場合があるように思います。今回は、現時点で積み残しとなっているいくつか…

文化認識論(その15) 私たちに残された時間

結論から言いますと、私たちに残された時間は、あと18年です。これは、私が主張していることではなくて、アメリカの政治学者であるイングルハートが「文化的進化論」(文献1)という本の中で述べているのです。文献1には「あと20年」と記されていますが、…

文化認識論(その14) オルテガと三島由紀夫

調べてみますとオルテガ(1883 - 1955)と三島由紀夫(1925 - 1970)が生きた時代は、30年程重複しています。そして、どちらも近代に身を置きながら、中世的な文化に注目し、来るべき現代を見据えていた。その点に注目するならば、この二人には共通点がある…