文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

2020-11-01から1ヶ月間の記事一覧

反逆のテクノロジー(その23) 美を扱う技術

美とは何か、という問題を主に考え続けてきたのは、文学者ではないだろうか。例えば、三島由紀夫も美について考えた作家の1人である。彼のギリシャ彫刻趣味や、ボディービルで肉体を鍛え上げるという発想には辟易するが、ただ、滅びゆくものこそが美である、…

反逆のテクノロジー(その22) 言語の領域

言葉というのは、とても不便なものだと思う。もし尋ねられれば、私は「民主主義を支持している」と答えるだろう。しかし、100%そうかと言えば、それは違う。独裁よりはいい。それは確かだ。しかし、愚かで騙されやすい大衆の意向を尊重するのが民主主義であ…

反逆のテクノロジー(その21) アカデミズムの正体

一般大衆がその時代の「知」に近づこうとすると、若しくは「知」について発言しようとすると、これを妨げようとする力が働くような気がしてならない。実際、れいわ新選組の山本太郎氏が街頭で演説をしていたときに「偉そうなことを言うな!」というヤジが飛…

反逆のテクノロジー(その20) 狂気と向き合う技術

20世紀の前半、アメリカに住む黒人たちにとって「トレイン」は様々な意味を持っていたに違いない。乗車賃だって高額だっただろうし、「トレイン」に乗るということは、長距離の移動を意味していた。ロバート・ジョンソンが歌う“Love in Vain”のように、恋人…

反逆のテクノロジー(その19) 権力に対抗する技術

ミシェル・フーコーの著作「知への意志」に、次の一節が記されている。 - 一方には、性愛の術を備えた社会があり、しかも、中国、日本、インド、ローマ、回教圏アラブ社会など、その数は多かった。(中略)それが秘せられねばならぬのは、その対象が汚らわ…

反逆のテクノロジー(その18) 言語化するということ

フーコーは、性に関する事項を自ら告白するという文化は、キリスト教のカトリックに由来すると説明している。カトリックには「キリスト教司教要綱」というものがあって、これに定められた「告解」という手続きに従って、信者たちは自ら犯してしまった罪につ…

反逆のテクノロジー(その17) 知への意志

表題の「知への意志」とは、ミシェル・フーコーの連作、「性の歴史」第1巻のタイトルである。「性の歴史」は当初、全5巻となることが予定されていたが、その3巻までが出版された時点で、フーコーは他界した。タイトルを並べてみよう。 性の歴史 I 知への意志…