文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

2025-02-01から1ヶ月間の記事一覧

背徳の美学(その10) 美、狂気、そして死

川端康成の「雪国」という作品に登場する主要な人物は、語り手である島村と若い芸者の駒子、駒子の知り合いである葉子、この3人である。その他には踊りと三味線の師匠、師匠の息子である行男が登場するが、この2人は一言も発することがなく、作品の途中で病…

背徳の美学(その9) 女心の描き方

しばらく前のことだが、ミステリードラマの中で、驚くべきセリフがあった。 「女心なんてものはねえ、女にだって分からないものなのよ!」 私はこのセリフにいたく感じ入った。当の女でさえ分からないのであれば、男である私に分かるはずはないのである。そ…

背徳の美学(その8) 雪国/あらすじ

シーン1: (2回目の訪問)汽車の中。信号所で汽車が停車する。駅長と話す葉子の声は、悲しいほど美しかった。葉子は病気の男の面倒を見ている。3時間前のこと、島村は左手の人差し指を眺め、結局、この指だけがこれから会いに行く女をなまなましく覚えてい…

背徳の美学(その7) 康成の初恋

それは川端康成にとって劇薬のような、そしてプラトニックな初恋だった。伊藤初代。川端文学に最大の影響を及ぼした少女。それが彼女だった。 伊藤初代は、1906年9月16日に福島県で生まれた。家は貧しく、小学校4年生の初めで、学校を辞めている。祖父の一家…

背徳の美学(その6) 踊子と差別

「伊豆の踊子」が書かれたのは1926年なので、来年で丁度100年目ということになる。この100年で、世の中は随分変わったものだ。今日、この作品を読み返してみると、驚くべき差別の実態が浮き彫りになる。その典型は男女差別と職業差別であろうか。作品中、女…

背徳の美学(その5) 踊子の真実

川端が「伊豆の踊子」を執筆したのが1926年2月、26才の時である。その22年後の1948年に川端は「少年」という中編小説を発表した。これは自伝的な作品であり、そこには「伊豆の踊子」の執筆経緯などが赤裸々に記されている。 この年、川端は数えで50才となり…

背徳の美学(その4) 映画化された踊子

小説において最も重要な場面は、ラストシーンではないだろうか。このラストシーンを描くために、小説家は長く苦しい労苦を厭わず、言葉を紡ぐのである。では、「伊豆の踊子」の場合はどうだろう。あらすじの中から、最後のシーン7の一部を再掲する。 シーン…

背徳の美学(その3) 登場人物の構成

薫という名の踊子を含む旅芸人の一座。その座長は、作中、名前も明らかにされない四十女だった。彼女は一座の会計を預かり、踊子に三味線を教え、踊子を男たちから遠ざけている。例えば、シーン4には踊子が「私」と五目並べをして遊ぶ場面がある。他のメン…

背徳の美学(その2) 「私」はいい人だったのか

シーン4で「私」は、次のように考える。「好奇心もなく、軽蔑も含まない、彼等が旅芸人という種類の人間であることを忘れてしまったような、私の尋常な好意は、彼等の胸にも沁み込んで行くらしかった」。そして、シーン5で踊子が「ほんとにいい人ね。いい…

背徳の美学(その1) 伊豆の踊子/あらすじ

川端康成は、1899年6月14日に大阪で生まれた。1才で父を、2才で母を亡くしている。康成には姉がいたが、彼女も川端が10才の時に亡くなっている。康成は祖父である三八郎に育てられたが、後年は目が不自由になった三八郎の面倒を康成が見ていたのである。 康…

背徳の美学 -川端康成の作品世界-

<はじめに> 私が日頃利用している本屋は、ターミナル駅の東口にあるのだが、ふと、西口にも書店のあることを思い出した。東口から西口へ移動するだけでも300メートルはある。行ってみると、確かに比較的大きな書店があった。文芸書コーナーを探しつつ、書…