文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

川端康成

背徳の美学(その27) あとがき

昨年の暮れから、ほぼ半年に渡って、私は川端文学と共に過ごしてきた。1人の作家にこれ程魅了されるという経験は、実は、初めてである。川端文学には、人の心を癒す力がある。時代を超えて読み継がれている理由が、そこにあると思う。 さて、このシリーズ原…

背徳の美学(その26) 悲しみと美

川端の実生活と川端文学における本質を考えてみると、次のようなステップが見えて来る。 ステップ1: とても悲しい。 ステップ2: その悲しみは、どうにもならない。 ステップ3: 夢幻の世界に入る。 ステップ4: 夢幻の中で、美を発見する。 簡単に補足…

背徳の美学(その25) 父のお習字

「古都」のシーン2について、再度、触れたい。太吉郎は、尼寺の一室に籠って、帯の図柄の下絵を描いていたのである。そこへ娘の千重子が、森嘉の豆腐を持ってやって来る。千重子はそれを湯豆腐にして、太吉郎に食べさせる。帰宅した千重子は、母であるしげ…

背徳の美学(その24) 人間と文化

川端康成の小説、「古都」には実に多くの文化が登場する。例えば、「森嘉の湯豆腐」が出て来る。シーン2で、千重子の父、太吉郎は尼寺の一間を借り、そこに隠れて帯の下絵を考えている訳だが、そこに千重子が訪ねて来る。 「お父さん、森嘉の湯豆腐をおあが…

背徳の美学(その23) 「古都」の魅力

「古都」は、当時の文壇に様々な問題を投げ掛けたようだ。まず、形式的な問題があった。当時、純文学と呼ばれる作品は、まず、文芸誌に掲載されるのが常だった。そして、完成された作品は、単行本として出版される。更に時間が経過すると、文庫本になる。文…

背徳の美学(その22) 古都/あらすじ

「ああ、苗子さん、あたたかい。」 ・・・そして苗子は、千重子を、抱きすくめた。 そう書いた時、老作家の魂もまた、人肌のぬくもりに包まれたに違いない。古都、そこはエロスを超えた美の世界だった。 古都/あらすじ シーン1/春の花: もみじの大木の幹…

背徳の美学(その21) 深層の世界

近代日本文学の頂点を極めたのは、川端康成と三島由紀夫の2人ではないか。ここに谷崎潤一郎を加えるべきだという意見もあるだろう。その意見にあえて反論しようとは思わない。しかし、私はやはり川端と三島の2人だと思うのだ。 川端と三島は何故、あのように…

背徳の美学(その20) 川端康成と三島由紀夫

日本が敗戦した1945年(昭和20年)、3月10日には10万人以上が死亡したと言われる東京大空襲があった。3月17日には硫黄島が陥落し、4月1日には米軍が沖縄本島に上陸した。この頃、「この事態をより的確に語りつぐべきだ」と考えた海軍報道部は、大物の報道班…

背徳の美学(その19) 銀の乳杯

前回原稿からの続きで、「虹いくたび」について検討する。 川端は自らの清野少年との経験から、何らかの精神的、性的な発育に関する問題が、同性愛を引き起こすと考えていたのだと思う。作中の竹宮少年は、女言葉を話す。そこから百子は、竹宮少年の中に同性…

背徳の美学(その18) 虹いくたび

川端康成の「虹いくたび」という作品を取り上げるべきか、私は、非常に迷った。1度は止めようと思った。何故かと言うと、私自身がこの作品を失敗作だと思うからである。私自身が感動していない作品を取り上げることに、意味があるだろうか。しかし、この作品…

背徳の美学(その17) エロスから美へ

私たちの心の大半は、無意識によって構成されている。そしてこの無意識は、それぞれの国や地域における文化と深い関係があるのだと思う。そこに暮らす人々の無意識が文化を醸成し、育まれた文化が無意識に影響を与えるのではないか。例えば私は富士山が好き…

背徳の美学(その16) エロスと美

川端康成の文学世界を構成する要素として、私は、先の原稿で美、狂気、死の3つを挙げた。しかし、どうもしっくりこないのである。例えば、雪国においては芸者、駒子のなまめかしい肢体が描かれ、同時に駒子の弾く三味線の音も称えられている。この2つは、…

背徳の美学(その15) 私たちの時代

1966年に行なわれた安部公房との対談から、三島由紀夫の発言を引用させていただく。 - 19世紀と20世紀の間に、フロイドがいるということが、とても大きなことでね。フロイドがあって、それによって文学が随分影響を受けて、そうして性の問題なんかでも、扱…

背徳の美学(その14) 新感覚派の登場

「文芸時代」が創刊された1924年、川端は若干25才だった。以下に紹介する川端の思想に触れると、彼がいかに早熟だったかが分かる。川端が提唱した文学理論は当時、とても新しかったし、その後、晩年に至るまで彼はこのような方法論に基づき、小説を書き続け…

背徳の美学(その13) 近代日本文学の経緯

川端康成の文学作品をより良く理解するためには、少し、時代背景だとか川端の考えていた文学理論なども調べてみた方が良いだろう。 まず、日本における近代文学は、明治維新から始まった。 〇 文語体から口語体へ それまでの幕藩体制が終わり、中央集権国家…

背徳の美学(その12) 美女と踊子

川端康成は、日本人としての自己の無意識を探究した作家である。川端の作品が分かりづらいと言われる理由がそこにある。川端自身、次のように述べている。 - 自作を解説することは、所詮自作の生命を局限することであって、作家自らは知らぬ作品の生きもの…

背徳の美学(その11) 眠れる美女/あらすじ

「眠れる美女」は、1961年11月、川端康成が62才の時に完結した中編小説である。「伊豆の踊子」を前期、「雪国」を中期とし、この「眠れる美女」は川端の後期における代表的な作品だと言えよう。 若い頃、この作品に接した私は、これは谷崎潤一郎の「痴人の愛…

背徳の美学(その10) 美、狂気、そして死

川端康成の「雪国」という作品に登場する主要な人物は、語り手である島村と若い芸者の駒子、駒子の知り合いである葉子、この3人である。その他には踊りと三味線の師匠、師匠の息子である行男が登場するが、この2人は一言も発することがなく、作品の途中で病…

背徳の美学(その9) 女心の描き方

しばらく前のことだが、ミステリードラマの中で、驚くべきセリフがあった。 「女心なんてものはねえ、女にだって分からないものなのよ!」 私はこのセリフにいたく感じ入った。当の女でさえ分からないのであれば、男である私に分かるはずはないのである。そ…

背徳の美学(その8) 雪国/あらすじ

シーン1: (2回目の訪問)汽車の中。信号所で汽車が停車する。駅長と話す葉子の声は、悲しいほど美しかった。葉子は病気の男の面倒を見ている。3時間前のこと、島村は左手の人差し指を眺め、結局、この指だけがこれから会いに行く女をなまなましく覚えてい…

背徳の美学(その7) 康成の初恋

それは川端康成にとって劇薬のような、そしてプラトニックな初恋だった。伊藤初代。川端文学に最大の影響を及ぼした少女。それが彼女だった。 伊藤初代は、1906年9月16日に福島県で生まれた。家は貧しく、小学校4年生の初めで、学校を辞めている。祖父の一家…

背徳の美学(その6) 踊子と差別

「伊豆の踊子」が書かれたのは1926年なので、来年で丁度100年目ということになる。この100年で、世の中は随分変わったものだ。今日、この作品を読み返してみると、驚くべき差別の実態が浮き彫りになる。その典型は男女差別と職業差別であろうか。作品中、女…

背徳の美学(その5) 踊子の真実

川端が「伊豆の踊子」を執筆したのが1926年2月、26才の時である。その22年後の1948年に川端は「少年」という中編小説を発表した。これは自伝的な作品であり、そこには「伊豆の踊子」の執筆経緯などが赤裸々に記されている。 この年、川端は数えで50才となり…

背徳の美学(その4) 映画化された踊子

小説において最も重要な場面は、ラストシーンではないだろうか。このラストシーンを描くために、小説家は長く苦しい労苦を厭わず、言葉を紡ぐのである。では、「伊豆の踊子」の場合はどうだろう。あらすじの中から、最後のシーン7の一部を再掲する。 シーン…

背徳の美学(その3) 登場人物の構成

薫という名の踊子を含む旅芸人の一座。その座長は、作中、名前も明らかにされない四十女だった。彼女は一座の会計を預かり、踊子に三味線を教え、踊子を男たちから遠ざけている。例えば、シーン4には踊子が「私」と五目並べをして遊ぶ場面がある。他のメン…

背徳の美学(その2) 「私」はいい人だったのか

シーン4で「私」は、次のように考える。「好奇心もなく、軽蔑も含まない、彼等が旅芸人という種類の人間であることを忘れてしまったような、私の尋常な好意は、彼等の胸にも沁み込んで行くらしかった」。そして、シーン5で踊子が「ほんとにいい人ね。いい…

背徳の美学(その1) 伊豆の踊子/あらすじ

川端康成は、1899年6月14日に大阪で生まれた。1才で父を、2才で母を亡くしている。康成には姉がいたが、彼女も川端が10才の時に亡くなっている。康成は祖父である三八郎に育てられたが、後年は目が不自由になった三八郎の面倒を康成が見ていたのである。 康…

背徳の美学 -川端康成の作品世界-

<はじめに> 私が日頃利用している本屋は、ターミナル駅の東口にあるのだが、ふと、西口にも書店のあることを思い出した。東口から西口へ移動するだけでも300メートルはある。行ってみると、確かに比較的大きな書店があった。文芸書コーナーを探しつつ、書…