前回に引き続き、「性と呪術の民族誌」(文献1)に従って、イワム族の例を考えてみたいと思います。彼らは、次のように考えているようです。
‐ 人は、身体と生霊から成り立っている。
‐ 人が生きている間においても、眠っているときや何かに驚いたはずみに、生霊は人の身体を離れてしまうことがある。
‐ 生霊が離れてしまった状態が、すなわち病気の状態である。
‐ 人が死ぬと生霊は、死霊になる。
‐ 死霊は森へ行き、故人が属していたグループの始祖となる動植物(トーテム)にとりつく。
上記の事項が、前提となっています。そのため、呪術によって病気を治すということは、離れてしまった生霊をもう一度身体に呼び戻すことを意味しています。また、呪術によって加害者を殺す場合には、まず殺された被害者の死霊を呼び出し、加害者にとりつかせる。そして、被害者の死霊が加害者の生霊をさらっていく。なるほど、なかなか良くできたシステムですね!
しかし、上記のような考え方はイワム族に固有のものではなく、世界的にも同様の、または類似する解釈が存在するようです。上記のように生霊が身体を抜け出してしまうとするものを“脱魂型”、また悪い霊が憑依してしまうと考えるのを“憑霊型”と呼んでも良さそうです。イワム族も脱魂型と憑霊型の双方を想定していますが、昔の日本でも事情は同じだったようです。日本では、キツネ憑きなどの憑霊型が多く信じられてきましたが「眠っている間に魂が抜け出てしまう」という脱魂型も信じられていたようです。それにしても、現代人の私たちからしてみると突飛な発想に思えますが、言葉も歴史も異なる世界各地の民族が同様の発想を持っていたということは、本当に不思議です。
なお一般に呪術をかけるという行為は、作法(何の骨を使うとか、どの植物を使うとか、それらを焼くなどの動作)と呪文から成り立っています。イワム族では、呪文が重視されていますが、その呪文は秘密にされ、トーテム・グループ内でのみ共有されているそうです。
ここまで見てきますと、“呪術”の定義を考えることができそうです。
「呪術とは、一人または少人数で霊魂に働きかけ、病を治し、恨みを晴らし、または通常、人間には成し得ないと思われる事項を実現しようとする行為である。」
なお、呪術を信じているイワム族の人々は、人の恨みを買うことを極度に恐れるため、他人の目を気にしたり、疑心暗鬼になったりすることも少なくないそうです。