文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 38 ジョン・レノンが見た夢(その13)

1980年12月8日、ジョンとヨーコはスタジオから自宅のダコタ・ハウスに戻りました。午後10時49分だったと言われています。そして、当時25歳だったマイク・デヴィッド・チャップマンという男がジョンを呼び止めます。ジョンが振り向きざまに、チャップマンは38口径のリボルバーから、5発の銃弾を放ちます。弾丸の大半はジョンの背中を撃ち抜きました。ジョンはよろめきながら、階段を6段ほど登って倒れたそうです。大量の血が流れ、ヨーコは半狂乱となります。ダコタ・ハウスの管理人が、パトカーを呼びました。救急車を待っている余裕もなく、ジョンはパトカーで近くのルーズベルト病院に運ばれますが、出血多量で死亡しました。

チャップマンは、犯行の数日前には、発売されたばかりの“ダブル・ファンタジー”のジャケットにジョンのサインをもらっており、ジョンのファンだったと言われています。では、何故、ジョンを殺したのか。精神異常だったとしか、思えません。

ジョンは1940年生まれですから、第二次世界大戦の真っ最中に生まれたことになります。彼の生まれ故郷であるリバプールもドイツからの攻撃を受けました。ジョンは貧しい少年時代を過ごします。ジョンが17歳の時、彼の実母であるジュリアは交通事故で死んでしまいますが、その頃、ジョンは初めてのバンドを組みます。そして、ポールに出会う。奇跡と言っても過言ではない、出会いがあった訳です。5年間の下積み生活を経て、ジョンが22歳の時にビートルズはレコード・デビューします。ビートルズは、最初の3年間をアイドル・グループとして活動し、その後、彼らの音楽を芸術の域にまで高めます。メンバー間での確執を乗り越え、彼らは次々と傑作を生み出しますが、1970年、ジョンが30歳の時に解散します。言わば、ジョンは30歳の若さで、地位も名声も、全てを手に入れてしまった。しかし、ジョンの本当の闘いは、そこから始まったのかも知れません。敵はベトナム戦争であり、米国の移民局であり、FBIであり、そして何よりも、戦争を支持しているマジョリティの人々だったのではないでしょうか。

ジョンは“失われた週末”の期間中に、アルバム“ロックンロール”を制作しますが、ここでのジョンの歌声は、ビートルズのデビュー・アルバムに収められている“ツイスト・アンド・シャウト”に通じています。音楽的に言えば、ロックンロールに始まり、ビートルズの芸術性を経て、イマジンに至り、そしてロックンロールに帰った。ここで、一つの円が閉じられているように思います。

生涯を通じて言えることは、ジョンが自分の内面に正直であったということではないでしょうか。個人に対する社会的な規制や、固定観念と彼は闘い続けた。しまいには、「男らしさ」という概念まで捨てて、主夫になってしまう。多分、ジョンのこのような精神的な営みに、学問やロジックはあまり関係がなかった。ジョンは、政治も、経済も、哲学も、そんなものとは関係なく、ひたすら自分の心に問い続けたのではないでしょうか。これは本当に自分が望んでいるものなのか、と。だからこそ、ジョンはロック・ミュージックという音楽のスタイルさえも破壊し、新しい音楽のスピリットを手に入れることができたのだと思います。ジョンは真の芸術家だった。伝統的なやり方で、同じスタイルを後生大事に守り続けるのは、伝統文化ではあっても芸術ではない。ゴッホも芸術家だった。マイルス・デイヴィスもそうだった。そう言えば、“イマジン”の製作過程を記録した映像に、ジョンを尋ねて来るマイルスの姿が映っています。ジャンルは違えども、マイルスは本物の匂いをかぎ分けていたんですね。

こうしてみると、米国の政府当局がジョンを毛嫌いした理由が、透けて見えてきます。何しろジョンには“リクツ”が通じない。世界の安全保障について議論しようにも、ジョンは“ベッドイン”やら“どんぐり”で対抗して来る。左翼の運動家であれば、多少、手の内は分かるのでしょうけれども、とにかくジョンの行動は予測できない。ある日突然、ニューヨークのあちこちに“WAR IS OVER! If you want it”という看板が立ってしまう。「兵士になって死ぬのは嫌だ」と平気で歌う。しかも、ジョンは大衆に対して絶大な影響力を持っていた。だから、当時の米国政府としては、とにかく、ジョンにはイギリスに帰って欲しかったのだろうと思います。

2001年9月11日、米国で同時多発テロが発生しました。その時も、米国政府は放送局に対して“イマジン”を流さないよう、自主規制を要請したそうです。そして、米国はイラク大量破壊兵器を持っているという理由で、戦争を始めます。しかし、結局、イラクにそんなものはなかった。

人々が気づいていないことを、気づかせる。社会における芸術家の役割というのは、そういうものなのかも知れませんね。だから本当の芸術家というのは、決してマジョリティの側には立たない。

幸い、今の日本は平和です。どこの国とも戦争をしておらず、徴兵制もありません。とても素晴らしいことだと思います。しかし世界に目を向けると、状況は一変します。“イマジン”に込められたジョンのメッセージは、未だにその輝きを失っていないと思うのです。

そう言えば、今日はジョンの誕生日です。生きていれば、76歳でしょうか。