文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 60 心のメカニズム(その4)

前回までの原稿で、人間の2つのタイプを定義しました。一つは、感覚から出発して、意識を獲得する。そして、個人的無意識を抑圧しながら、現実をあまりかえりみることなく、記号や観念の世界に埋没してしまうタイプ。このような人をこのブログでは“観念タイプ”と呼ぶことにしました。そして、心の課題を抱え込んで“直観”すなわち集合的無意識に至った人は、“観念タイプの芸術家”ということになります。音楽の世界では、マイルス・デイビスが代表例かと思います。ジャクソン・ポロックもそうではないでしょうか。あれだけ絵画を生み出すための方法論にこだわった訳で、彼の心の中は観念に満ちていたように思います。

もう一方のタイプは、同じく感覚から出発して、現実と良く向き合い、他者との間に共感を求める。但し、この共感関係が崩壊したり、コンプレックスが刺激されたりすると、個人的無意識が意識を凌駕する場合がある。このタイプの人を“共感タイプ”と呼ぶことにしました。そして、集合的無意識のレベルまで達した“共感タイプの芸術家”としては、まず、ジョン・レノンが思い浮かびます。同じくロック・ミュージシャンのジャニス・ジョップリンジミ・ヘンドリックスもこのタイプだと思います。

では、人間同士がいかに分かり合えないかという事例として、今回は、ゴッホゴーギャンの共同生活について考えてみます。

ゴッホ・・・・・共感タイプの芸術家
ゴーギャン・・・観念タイプの芸術家

まずゴッホ(1853~1890)ですが、どうも彼の恋愛経験は、悲惨を極めたようです。最初の恋はゴッホが二十歳の時で、下宿先の娘に求婚したのですが、「冷たく鼻の先であしらわれた」そうです。28歳になったゴッホは、2度目の恋をします。相手は従妹だったのですが、4歳の子供を持つ未亡人でした。なかなか会ってもらえず、とうとうゴッホは相手の家に押しかけます。そして、彼女の両親の前でランプの炎に手をかざして愛を誓うのですが、気絶した後、放り出されたそうです。今風に言うと、ストーカーですね。3度目の恋は、31歳の時で、相手はゴッホより10歳年上の女性だったそうです。しかし、家族に反対された彼女は、自殺してしまいます。これは、相当ひどい経験ですね。こういう経験が、個人のコンプレックスを生むことは、想像に難くありません。

一方ゴーギャン(1848~1903)は、株式仲買人をしながら、23歳から日曜画家として少しずつ絵を描き始め、25歳の時に結婚します。そして、35歳になったゴーギャンは、突如として、会社を辞め、画家を志すのです。本人としては、画家として食べていくことに勝算があったようですが、現実は厳しく、極貧生活が続きます。奥さんも大変な苦労をされたようです。

2人の共同生活は、1888年10月20日に始まります。

ゴッホは、画商をしていたテオという弟に経済的な援助を受け、アルルに一軒家を借ります。この建物の外壁は黄色だったそうです。ゴッホはここを「芸術家たちの楽園」を作るための拠点にしたいと考えていたようです。そんなある日、ゴーギャンが病気を患っていることを知り、ゴッホは彼を呼び寄せようと思います。一説によると、ゴーギャンは乗り気ではなかったのですが、ゴッホと共同生活をすれば、画商のテオが自分の絵も買ってくれるのではないかと考え、ゴッホの申し入れを受諾したとのことです。

1888年12月23日、二人の口論は熾烈を極めます。

私の想像ですが、ゴッホはあくまでもゴーギャンに共感を求めたのだろうと思います。自分と同じように感じて欲しい、自分を理解して欲しいと、ゴッホは切実に願った。ゴッホの性格からして、これは相当強く、ゴーギャンに接したものと思われます。一方、ゴーギャンにしてみれば、自分が築いてきた絵画に関するロジックについては、絶対的な自信を持っていた。ゴッホがどう考えようが、ゴーギャンにしてみれば、そんなことはどうでも良かったはずです。ゴーギャンは、共感など求めてはいなかった。ゴーギャンにとって大切なのは、自分のロジックだけだった。そして、口論については“観念タイプ”のゴーギャンの方が一枚上手だったはずです。

遂に、共感関係が瓦解したと感じたゴッホを彼の個人的無意識が支配し始める。詳細は分かりませんが、ゴッホゴーギャンを殺そうとしたそうです。そしてその晩、ゴッホは自らの耳を切り落とす。

あくまでも現実と自然に向き合ったゴッホ。その後、タヒチへ渡って未開の心を追求したゴーギャン。どちらも天才ですが、その心の領域は、全く違っていたと思うのです。