不思議なことに初めて聞くのに、無性に懐かしい感じのする曲ってありませんか? また、初めて行った場所でも、何故か懐かしい感じがする。そんな経験が、私にはあります。
私にとってそんな懐かしい感じのする曲の1つが、ジェイムス・コットンというブルースマンが演奏した“Fever”という曲なのです。ミディアム・テンポでマイナーの曲なのですが、とても胸が締め付けられる。前半では曲のテーマをジェイムスが力強く歌い上げます。後半になるとコーラス部分が繰り返されます。途中からコーラスがハミングに変わり、手拍子が加わります。やがて、楽器の音がフェイドアウトし、ハミングと手拍子だけになり、エンディングを迎えます。
歌詞はと言うと、こんな風に始まります。
お前は、俺がどれだけ愛しているのか分かっていない。
お前は、俺がどれだけ気遣っているのか分かっていない。
どうやら、普通のラヴソングのようですね。タイトルにもなっている“Fever”という単語は、直訳すると熱とか発熱という意味ですが、ドラッグを意味する黒人のスラングではないかと思って調べてみたのですが、そのような意味は見つかりませんでした。まあ、歌詞は別として、私はこの曲には、集団で厳しい労働につきながら歌っている労働歌のようなイメージがあります。
さて、ジェイムスに話を戻しましょう。彼は、1935年にアメリカで生まれた黒人です。まだ存命で、今年82歳になります。
彼は子供の頃からブルースに惹かれ、有名なミュージシャンにハモニカの手ほどきを受けたそうです。ちなみに、ブルースの世界ではハモニカのことをハープと言ったりします。ブルース・ハープ! これはとてもカッコイイんです。私も憧れて、何本か買って、練習したことがあります。とても小さなもので、穴は10個位しかありません。これを手のひらの中に隠すように持って吹きます。基本的なテクニックとしては、吸い込む時に唇をずらすんですね。すると音程が下がる。(これを確かベンディングと言ったように記憶しています。)ところが、穴の数が少ないので、音階全ての音が出る訳ではない。普通にドレミファを奏でることができないのです。従って、ブルース・ハープを吹く時には、演奏したいフレーズを考えるのではなく、ハープで吹けるフレーズを考えなければならない。とても不便な楽器なんです。私は、すぐに挫折しました。
そんなブルース・ハープをジェイムスはマスターします。そして、1957年、22歳になったジェイムスはマディー・ウォーターズという有名な人のバンドに加入します。多分、スラム街をほっつき歩いて、仕事を見つけてはハープを吹いて、日銭を稼いでいたのではないでしょうか。
そして、1974年、39歳になったジェイムスは、“100% Cotton”というアルバムを出します。これは、よくシャツについているタグに「木綿100%」という記載があったりしますよね。それに彼の名前をなぞらえたもので、ほとんど冗談のようなタイトルなのですが、これが彼の出世作となります。そして、冒頭に述べました“Fever”という曲は、このアルバムの最後に収められているのです。ミュージシャンとしては、遅咲きですね。苦労したに違いありません。
私は、“Fever”のような曲を聞きたい一心で、ショップで見かけるとジェイムスのCDを買い続けました。結局、“Fever”のような曲はありませんでしたが、ジェイムスの作品にはどれも上質のブルースが詰め込まれていて、失望することもなかったのです。何よりも、彼の力強いボーカルと神業のようなハープを聞くことができる。
そしてある日、彼の“Deep in the Blues”というアルバムに出会います。この作品では、1曲目から驚かされました。ジェイムスの声が枯れているのです。どうもジェイムスは喉頭ガンを患ってしまったようなのです。しかし、その声の枯れ具合がブルースにぴったりなのです。死にそうな男が、壊れかけた喉を振り絞って、あたかも辛かった自分の人生を説くように、ブルースを歌う。一切の無駄をそぎ落としたようなハープにも、何か、究極の形を感じるのです。幸い、この作品でジェイムスはグラミー賞を受賞しました。1996年、ジェイムス61歳の作品です。
「ジェイムス、君は人生をブルースとブルース・ハープだけに捧げたんだね」
例えば、そう尋ねるとします。すると彼はこう答えるに違いありません。
「そうさ。でも俺の人生において、他にすべきことなんて、何もなかったのさ」