文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 100 深沢七郎の短編小説「白笑」を読む

ブログの更新、少し間が空いてしまいましたが、今回は、その言い訳から始めさせていただきます。

 

以前取り上げました村上春樹の小説には、経済的に裕福で、高学歴の美男美女が多く登場しましたが、正直に言いますと、私は辟易してしまったのです。あのゴッホが描いたのは、市井の郵便配達夫であり、馬鈴薯を食べる人たちだった。横光利一が「時間」という短編小説の中で描いたのも、宿代を払えずに夜逃げする旅芸人の一座だった。ドストエフスキーだって「貧しき人々」を書いている。やっかみ半分でそんなことを考えていますと、貧しく、浅はかで、それでいて、逞しく、優しい庶民を題材にした小説が頭に浮かんだのです。庶民と言えば、深沢七郎の「庶民烈伝」ですね。これは以前読んだので、早速本棚を探したのですが、ないのです。一部内容も覚えているので、必ずどこかにあるはずなのですが、何度探しても見つからない。ネットで調べてみると、今でも中公文庫で発売されていたので、本屋にも行ったのですが、「庶民烈伝」は置いていない。しかし、ここまでやる気になってしまうと、今さら他の作家に切り替える訳にもいかない。そこで、深沢七郎の他の短編小説を読み始めたのですが、いつの間にかその世界にはまってしまったのです。深沢七郎の毒気に当てられて、ノックアウトされてしまったと言った方がいいかも知れません。

 

近代の純文学というのは、作家がその直観を働かせて、集合的無意識やタブーに挑戦する訳ですが、深沢七郎の作品は特にその傾向が強いように思います。代表作である「楢山節考」では、姥捨てを描いていますが、今回私が読んだ作品の中には、間引きの問題を取り扱っている「みちのくの人形たち」という作品もありました。出産の時には、その村に代々伝わる屏風がある。間引きをする時には、その屏風を上下反対に立てて、その中で出産する。生まれてきた赤ん坊は、最初の泣き声を発する前に、タライに張った水に漬け、窒息死させる。避妊具が普及する前の時代だとは思うのですが、しかし、8回妊娠して、そのうち7回は間引きしたという例なども出て来ると、ちょっとぞっとします。昔、間引きの手伝いを繰り返していたお産婆さんが罪の意識にかられ、両腕を切り落としたという話も出てきて、強烈な違和感を覚えます。ちなみに、作品タイトルの「みちのくの人形たち」というのは、間引きされてしまった子供たちを慰霊するために作られた人形、という意味のようです。

 

それでは、表題の「白笑」(うすらわらい)の話に移りましょう。

 

<あらすじ>

源造の家には柿の木があったが、なるのは渋柿だった。隣の三太郎の家には、巨大な柿の木があって、実が良くなるので村でも評判だった。三太郎には21歳になる忠太郎という道楽息子がいた。忠太郎を少しは落ち着かせようと思った三太郎は、25歳になる隣村のおきくと見合いをさせ、やがて、2人の結婚が決まる。おきくの実家も裕福で、沢山の嫁入り道具が三太郎の家に運び込まれる。村人たちは、嫁入り道具が立派なことに嫉妬心を抱く。しかし9年前、源造が16歳のおきくを犯したことがあって、ある男がそのことを村中に言い触れ回ってしまう。やがて噂は、忠太郎の耳にも入る。祝言を上げた翌日、花婿の一族と花嫁の一族が呼び集められる。一同の前で忠太郎は、結婚の解消を申し出る。その理由については、おきくを指さして「それは花嫁が処女でなかったことであります」と告げる。問い詰められたおきくは「うそですよ、そんなことがあるものですか!」と否定する。なんとかその場は収まる。困り果てたおきくは、年上の源造に相談を持ち掛けるが、源造は土下座をして謝るばかりである。おきくは源造にも失望する。祝言から20日程たった頃、離婚が決まり、おきくは1人で実家に向かい、笛吹川に掛かる橋を渡っていた。その時おきくは「ふっふっふ」と笑ったのだった。

 

この作品、読み進めて行く途中までは、誰が主人公なのか分からないのです。読み終わってみると、ああ、おきくが主人公だったんだ、と腑に落ちる。それにしても、このおきくという女性には、不運が幾重にも振り掛かる。9年前の不運、嫁ぎ先が源造の家の隣だったという不運、プライバシーを公開されてしまったという不運。しかし、それでもおきくは、これから強く生きていくのだろうと感じました。そのことは、作品タイトル、「白笑」(うすらわらい)が暗示しているように思います。高らかに笑う訳ではない。クスクスと笑う訳でもない。つらい状況にありながら、それでも全てを飲み込んで、生きて行こうとする意志。それがこのタイトルの意味ではないでしょうか。女性というのは、と言うよりも、庶民って凄いなあと感じ入った次第です。

 

※ 「白笑」は、次の本に収録されています。

深沢七郎 楢山節考/東北の神武たち 深沢七郎初期短編集 中公文庫