文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 102 遊びとは何か(その2)/遊びの種類

どうもビー玉のことが気になって仕方がありません。ネットで調べてみると、そもそもガラス玉というのはエジプトや中東の遺跡からも発掘されている。また、ポルトガル語でガラスのことをビードロと言うようで、これが変化してビー玉という呼び名が発生したという説もあります。更に、日本におけるビー玉遊びの起源は、平安時代にまで遡るとのことで、これはもう大変長い歴史があることが分かります。

 

そうしてみると、まず、ビー玉なるものが存在したんですね。人々はこの小さくて、綺麗なガラス玉を見て思った。なんとかして、これで遊べないものだろうか、と。転がしてみる。他のビー玉にぶつけてみる。そうこうするうちに、誰かが指で弾いてみた。すると、ちょっとこれは楽しい感じがする。そしてまた、別の誰かが地面に穴を掘って、そこを目指してビー玉を弾いてみる。これはなかなか面白いということで、様々な遊び方、ルールが発明されていく。前回の原稿への書き込みで、S. DENDAさんが、中部地方に伝わる遊び方を紹介してくださいましたが、こちらは地面に穴を掘らないんですね。これはちょっと、驚きでした。

 

ビー玉の遊び方には、特許も実用新案もない訳で、誰が何を発明したというのは、もう分かりませんが、強いて言えば、それは学者や研究者ではない。庶民と、その子供たちが発明したとしか言いようがありません。歴史の中に埋もれてしまった、名前も顔も分からない誰か。そんな人たちの創意工夫の積み重ねによって、ビー玉という遊びの文化が成立したんだと思うのです。

 

ちなみに、当時、私が住んでいた地域(千葉県)では、色付きのビー玉のことを“色ビー”と呼んでいました。また、“ガスビー”と呼ばれるものもあった。これは、子供が普通のビー玉をコンクリートとかアスファルトに擦り付けて、表面を傷だらけにしたビー玉のことなんです。こうすると爪で弾きにくくなりますし、見た目も綺麗ではない。ただ、子供が好奇心で作ってみたというだけのものです。また、何度が友達からビー玉をもらったような記憶もあります。当時の子供たちにとって、ビー玉には財産的な価値があった。それをプレゼントするということは、子供ながらに、その属するコミュニティの中で円滑な人間関係を構築しようと試みていたのだろうと思います。

 

さて、前置きが長くなりましたが、本題に入りましょう。遊びの種類というのは、無数にあるのですが、ロジェ・カイヨワ(1913~1978 フランス人)という人が、それを体系的に分類しようと試みたのです。その内容をちょっと、ご紹介致します。(文献1)なお、各項目は外国語で表されていますので、末尾に私なりの日本語を記載致します。

 

アゴン・・・すべて競争という形をとる一群の遊び。スポーツ競技、チェスなど。(競争系

 

アレア・・・遊戯者の力の及ばぬ独立の決定の上に成り立つ全ての遊び。ルーレット、バカラなど。(ギャンブル系

 

ミミクリ・・・架空の人物となり、それにふさわしく行動することによって成り立つ遊び。ままごと、兵隊ごっこなど。(演劇系

 

イリンクス・・・眩暈(めまい)の追求に基づくもろもろの遊び。一時的に知覚の安定を破壊し、明晰であるはずの意識をいわば官能的なパニック状態におとしいれようとするものである。(このイリンクスに関する具体例としては、宗教的な儀式とか、バンジージャンプのようなものが挙げられています。文化人類学の知識に照らしますと、これは祭祀によってもたらされる熱狂のことを指していると思われますので、「トランス系」と呼ぶことにします。そう言えば日本でも“失神遊び”というのが、流行したことがありました。)

 

しかし、遊びの種類というのはもっと沢山あると思うのです。ちょっと、私が思いつくものを以下に列挙してみます。

 

技能習熟系・・・特に競争を目的とする訳ではなく、単に技能を習熟させることが目的となっている遊び。けん玉、竹馬、一輪車など。

 

身体感覚系・・・体を移動させることによって得られる身体感覚を楽しむ遊び。ブランコ、自転車など。

 

自然享受系・・・自然を楽しむ遊び。つくし採り、山菜摘み、ガーデニングなど。

 

音楽系・・・音楽。アマチュア・バンド、カラオケなど。

 

物語系・・・いわゆる文学に加え、子供たちが作り出す“学校の怪談”など。

 

他にもあるかも知れませんが、大体、“遊び”の類型というのはこんな所ではないでしょうか。

 

(参考文献)

文献1: 遊びと人間/ロジェ・カイヨワ講談社学術文庫