文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 104 遊びとは何か(その4)/ それでもジャズは死なない

前回の原稿で、マイルス・デイビスが死去してから、ジャズは急速に衰退していったということを述べましたが、では、ジャズがその後どうなったのか、考えてみたいと思います。

 

統計上のデータがある訳ではありませんが、例えばCDの売上枚数、ジャズをやっているライブハウス、バー、クラブの軒数など、いずれも減少傾向にあることは、間違いないと思います。

 

マイルスが生きていた時代は、マイルスが引き起こす大きなムーブメントがあって、誰もがマイルスの新作を待ち望み、新作が出る度に評論家たちは色めき立って、賛否両論を繰り広げていました。1960年代の末頃からでも、そのムーブメントは、その都度、エレクトリック、ファンク、フュージョンなどと呼ばれていました。更に、マイルスの死後には、マイルスがラップと自らの音楽を融合させたアルバムが発売され、私などは度肝を抜かれたものです。

 

マイルスの死後、そのようなムーブメントは、起こっていない。

 

では、ジャズがなくなったかと言うと、そうではないと思うのです。例えば、私の自宅の近所にファミレスのような居酒屋のようなチェーン店があるのですが、BGM にはいつもジャズが流されている。それはもちろん、70年代にマイルスがやっていたような前衛的な音楽ではなく、ソフトなスタンダードジャズなのですが、そうは言ってもジャズであることに間違いはない。CDショップへ行くと、昔のジャズミュージシャンの作品が、3枚で2千円とかで売っていたりする。

 

一度、芸術の域まで高められた文化というのは、その後、衰退するけれども、ある程度の規模まで普及したものは、簡単には無くならない。但し、その文化の歴史の中で、前衛的であった部分というのはポピュラリティがないので、消えやすい。一方、芸術の域に達する前の、大衆文化の段階にあったもの、別の言い方をすると、その文化のベーシックなものが残りやすい。もしくは、そこに回帰していくのではないか。そんな風に思うのです。

 

このような仕組みで、文化というものは、その層を積み重ね、多様化し、生き続けていくのかも知れません。そしていつの日か、そうやって確立された文化の様式を打ち壊す天才が現われる可能性も、否定はできないように思います。但し、私が生きている間に、マイルスのような天才が再び現われる可能性はないと思いますけれども・・・。

 

ピークを過ぎた文化が、ベーシックなものに回帰してくということですが、このようなことを考えていますと、ローリング・ストーンズが2~3ヶ月前に発表したBlue & Lonsome がブルースを扱っていたのも、あながち偶然ではないような気がするのです。