文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 117 日本人の忘れ物

ここ2~3日、YouTubeにハマッてしまいました。何を見ていたかと言えば、主に国会中継を見ていたのです。YouTubeというのは、過去の画像だけだと思っていたのですが、“Live”と表示された生中継もあるんですね。これには、ちょっと驚きました。もちろん過去の映像もある訳で、今は国会の審議内容を画像で、簡単に確認することができる。当然、政治の透明性は向上する訳ですが、国会議員や官僚の方々にとっては、大変な時代になったものだなと思います。面白いと言ったら不謹慎ですね。見応えがあったとでも言いましょうか。色々なことを考えさせられました。

 

まず、加計学園の問題ですが、腑に落ちないことばかりです。1点、指摘させていただきたいのは、元文科省事務次官の前川氏に対する個人攻撃です。ご案内の通り、前川氏の記者会見、内部告発と言って良いと思うのですが、ここから事件は急激に進展してきました。これに対し、まず、読売新聞が前川氏の「出会い系バー」通いの問題を報じた。そして、菅官房長官が、そういう場所に行って女性にお小遣いをあげるのはいかがなものか、と発言した。菅官房長官は、更に、前川氏が文科省事務次官を退任する際、ポストにしがみつこうとしていた、という発言もしています。当然、私たち国民が知りたいのは、文科省の行政プロセスが、総理の意向によって捻じ曲げられたのか否かということであって、前川氏のプライバシーではありません。そして、この2つの事項の間に、因果関係はない。菅官房長官は頭の良い人ですから、そんなことは百も承知のはずです。しかし、事実として、定例の記者会見で前川氏に対する個人攻撃を繰り返した。つまり、日本の国民というのは、その程度だろうと思っている訳です。また、止せばいいのに、それに乗じて前川氏のプライバシーを批判する報道もありました。日本の一般国民のレベルというのは、本当に、その程度なのでしょうか。

 

皆様は、詩織さんという女性が、レイプ被害を受けたとして、会見を開くと共に検察審査会に申し立てを行っている件は、ご存じでしょうか。私がYouTubeから得た情報をまとめると、まず、詩織さんが就職の相談で、山口敬之(ノリユキ)氏とお酒を飲んだ。元来、詩織さんはお酒に強いのですが、この晩は、意識を失ってしまった。山口氏はタクシーで詩織さんをホテルに連れて行って、意識を失っている詩織さんを凌辱した。当該事実は、ホテルの防犯カメラの映像などによって、ある程度、立証可能な状況となっている。警察は、山口氏に対する逮捕状を取得したが、執行する直前になって上層部から指示があり、逮捕を取り止めた。山口氏は、法に触れるようなことはしていないと主張している。なお山口氏は、安倍総理と親交があり、安倍総理を褒めたたえる本を2冊、執筆している。

 

当然、警視庁の上層部が逮捕状の執行を取り止めた理由は何か、そこに興味がある訳ですが、それはまだ分かりません。ただ、ネット上では詩織さんを批判するコメントが、かなりあったそうです。仮に政治的な意図があってのことだとしても、それは人間のモラルとして許されることではない。少数だと信じたいとは思うのですが、同じ日本人として、残念でなりません。本件につきましては、検察審査会において適切な判断がなされ、その後の刑事手続において、真相が明らかになることを願っています。

 

また、元経産省の官僚だった古賀茂明氏が外国人記者クラブで開いた会見も見ました。(タイトル:メディアと安倍政権の裏側を語る) 古賀氏は、かつてテレビ朝日ニュースステーションでコメンテーターをしていた方ですが、最後に“I am not Abe”と記載した紙を掲げ、古館氏と口論となり、番組を降板した人です。私はたまたま、その時の放送を見ていたのですが、腑に落ちないことばかりでした。元来、テレビ朝日というのは朝日新聞の系列で、左寄りのはずなのに、何故、古館氏が慌てていたのか。その当時の経緯について、この会見の中で古賀氏は詳細に語っています。ポイントのみ記しますと、当時、後藤健二さんというジャーナリストがイスラム国に拘束されていた。しかし、安倍首相はイスラエルの国旗の前で会見を開くなどして、後藤健二さんの救出に熱心ではないように見えた。そこで、日本人の中には安倍総理と異なる意見を持っている人間もいるのだということを、イスラム国側にメッセージとして伝えたかった、というのが真相のようです。こういう話というのは、聞いてみないと分からないものです。なお、当時、テレビ朝日は、朝日新聞とは袂を分かって、安倍総理との親交を深めようとしていた、との説明もありました。このような話を聞いてしまうと、冒頭に記した読売新聞もそうですが、メディアというのは、一体どこまで信頼できるのか、不安になってしまいます。

 

古代から始めて、現代に至るまでの文化の系譜を考えてきた私と致しましては、まず、“文化の基本原理”から始まって、宗教に至る一つの流れがある。また、そこから分岐した慣習というものがあって、それが法律へとつながる。そう考えている訳ですが、どうも現代の日本というのは、法律によって動いていない。物事を考える際の論理性というものが、十分に育っているとは言い難い。モラルも高いとは言えない。何故か。それは、日本という国が、近代にやっておくべきことをやらずに来てしまったからではないか。平凡な結論で恐縮ではありますが、いくつかの欧米諸国では、時の政権と対峙して、民主主義を獲得してきた歴史がある。それに対し、日本国民というのは、時の政権と向き合うことなく、日本国憲法と共に民主主義が与えられた。そこに、問題があるような気が致します。近代という時代に、やり残したことがある。それは、民主主義とは何か、法治国家とは何か、基本的人権とは何か、そういうことを真摯に考え、学ぶことではないでしょうか。それをやらない限り、日本人のモラル感覚というのは、改善しないように思うのです。