文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 131 集団スケールと政治の現在(その5)

(集団スケール一覧/本稿に関係する部分のみ)
1.個人
2.血縁集団
3.帰属集団・・・顔と名前が一致する範囲。
4.組織集団

No. 129の原稿におきまして、私が偶然、浅草の三社祭に出くわした経緯を記載しました。気になったので、ちょっとネットで調べてみました。三社祭は3日間開催されますが、合計で180万人程度の人出があるようです。そんなに大規模な祭だったんですね。全く知りませんでした。しかし、もっと驚いたのは、三社祭が別名“刺青祭”とも呼ばれていることです。首から上を除き、ほぼ全身に刺青を入れた男たちが、神輿の上に乗っている。そんな写真がネット上に流布されています。三社祭に参加する神輿の数は、100基程度だそうですが、その過半数暴力団系だそうです。浅草の近辺には、暴力団の事務所なども多数あるそうです。また、ほぼ全身に刺青を入れている女性たちの写真も沢山ありました。これにも驚きました。それらの写真には、何か、言いようのない違和感を覚えます。

私たちは、普段の生活では、全身に刺青を入れた人たちをみる機会はありません。そして、刺青の起源は、古代にある。そんな古代から脈々と継承されてきた文化に接する機会も、そう多くはない。それが、三社祭においては、ある意味唐突に登場する。そこに違和感を覚えるのだろうと思います。ただ、刺青は外国人などにも人気で、それを見るために三社祭を訪れる見物客も少なくないそうです。

フンドシ一丁で、全身の刺青を開示している人たちの画像は、YouTubeにも沢山アップされています。それらを見ておりますと、周囲の人たちの注目を集めていることに、ご当人たちもまんざらではないようです。むしろ、写真撮影などには、積極的に応じているようにも見えます。

昭和の暴走族と同じようにまず、まず、“疎外”ということがあって、暴力団が生まれるという仮説が成り立つかも知れません。いろいろな面で、社会から疎外されていると感じる。そこから、生きている実感や連帯感を求めて、暴力団に加入する。但し、暴走族の場合と少し違う可能性もある。暴走族と言っても、その加入理由は千差万別かも知れません。ただ、一つの典型例としては、高校に行っても面白くない、ということがあると思うのです。これは、個人のベースで疎外されている。一方、暴力団に加入する誘因としては、個人ではなく、その人が属している血縁集団なり、帰属集団の単位で社会から疎外されているのかも知れない。

この疎外の問題というのは、結構、大きな問題かも知れません。この問題を扱っている文学作品などは、探せば沢山ありそうです。しかし、ここでは先を急ぎましょう。

三社祭の例で言えば、それぞれの神輿を支えているのが、顔見知りの範囲、すなわち帰属集団ということになります。そして、それが100基集まって、三社祭が構成されている。この単位を“組織集団”と呼ぶことに致します。例えば、神輿1基だけでお祭りを開催しても、盛り上がらない。だから、帰属集団が集まって、より大きな祭祀を開催しようというのは、自然の成り行きだと思います。

歴史的に考えますと、武力衝突というのも組織集団が構成される誘因になったと思います。例えば、集団Aが集団Bを攻撃する。この時、集団Bが集団Cと手を組めば、集団Aに対し、優位に立つことができる。だから、帰属集団というのは、更に大きな組織集団を構成しようとする。現に、昭和の暴走族でも抗争が激化した結果、関東地方で活動していたいくつかの暴走族が連帯して、関東連合という組織を作ったそうです。全盛期は、1000台位が集まったという話もあります。

宗教関係で言えば、仏教など多神教の団体もこの組織集団の位相に該当すると思います。お釈迦様の教えに従うという意味では、各宗派とも同じだと思うのですが、多くの宗派はその宗祖の教えなり、逸話を信仰の対象としているのではないでしょうか。仏教系の宗祖というのは、ちょっと思い描いただけでも、空海最澄親鸞法然日蓮などのビッグネームが思い浮かびます。

組織集団が構成された理由としては、近代以降の大量生産ということもあると思います。中世の家内制手工業であれば、血縁集団、せいぜい組織集団で仕事が回っていた。しかし、産業革命が起こり、大量生産が可能となり、日本でも財閥が中心となって規模の大きな会社組織が生まれる。現代の私たちにとって、最も典型的な組織集団と言えば、官僚組織と会社ではないでしょうか。

顔見知りばかりの帰属集団にあっては、そのリーダーが物事を決めていけばいい。しかし、見ず知らずの人たちが沢山いるということになると、それなりの秩序が必要となってくるのではないかと思うのです。その秩序とは、階級制であったり、ある程度合理的なルールであったりということになるでしょうか。

歴史的に考えますと、人間の社会というのは、時を経て、少しずつ集団のスケールを大きくしてきた。そして、この組織集団という規模の集団を形成するに至った時、政治の原型のようなものが生まれたのではないでしょうか。