(集団スケール一覧/本稿に関係する部分のみ)
1.個人
2.血縁集団
3.帰属集団・・・顔と名前が一致する範囲。
4.組織集団・・・職業別団体、宗教団体
血縁でもない、顔見知りでもない人々が構成する集団。これを歴史的に見ますと、武力集団というものがあった。聖徳太子の時代には、豪族と呼ばれる集団があった。戦国時代には、武士の集団があった。但し現代においては、広域暴力団位しか残っていないと思います。現代にも息づく組織集団の典型は、やはり職業別の団体と宗教団体ということではないでしょうか。
戦後の事情を考えてみますと、共産党や社会党がまず、労働組合に着眼したという仮定が成り立つと思います。資本家から搾取されている労働者階級を解放せよ、というのがマルクス主義な訳で、左翼政党が労働者の集まり、すなわち労働組合をその支持母体として想定したのは、自然の成り行きだったように思います。反対に、自民党(当時は自由党、民主党 他)などが、企業の経営者、農村、漁村にその支持基盤を求めた。この時代の政治勢力の構造は、確かに右と左だった。
しかし、この仕組みは、どうもおかしい。ある人が役人になる。すると、労働組合への加入が強制されている。「はい、あなたが就職したお役所には、〇〇系の組合があります。よって、あなたの支持政党は△△党になります」ということです。職業の選択と政治的な思想は、本来別のはずです。しかし例えば、共産党系の組合に加入すると、半ば強制的に赤旗を購入しなければならない。そんなこともあったように聞きます。現在どうなっているのかは知りませんが、慣例は残っているのではないでしょうか。
一方、左翼系の組合に辟易した経営者が、今度は、反共産党系の組合を作り始める。いわゆる御用組合ということですが、彼らの主張は、次のようなものでした。「共産党系の組合がデモをすると、企業の業績が下がる。業績が下がると賃金も下がる。だから、共産党と戦わなければならない」。ちょっと、奇妙な三段論法ですね。この手の組合の特徴というのは、組合の役員を降りて職場に戻る人たちが、必ず出世する。してみると、こういう組合の役員というのは、会社と裏で連携していて、労働者の賃金をほどほどに抑えているのではないか、という素朴な疑問が出てくる訳です。
このように、労働組合が政治活動を行うということに関しましては、右も左も、問題があると思います。労働組合の役割というのは、団体交渉権を背景に、労働者の権利を守る。他に何かするとすれば、例えば、被災地に支援金を送るとか、社会福祉的な活動をしていれば良いのではないかと思います。
ちなみに、ネットで“政党の支持団体”というキーワードで検索してみますと、概略、次の情報が得られました。
自民党
・財界団体・・・経団連など
・業界団体・・・日本医師会など
・宗教団体
・組合系・・・農協、漁協
・政治思想系・・・日本会議
民主党(ママ)
・労働組合・・・連合
・宗教団体
・業界団体
・その他
こうしてみますと、自民党も民進党も“組織集団”をその支持基盤としていることが分かります。しかしそれでは、例えば自民党の政策は経団連の利益を保護しているのではないか、民進党の政策は連合の利益を追及しているのではないか、との疑問が沸いてきますね。ここに、既得権保護、癒着、しがらみと呼ばれる批判の理由がある。現に自民党は法人税率を下げていますし、2015年だったと思いますが労働者派遣法を改正(改悪!)して、企業が望めば、いつまでも非正規従業員を正規従業員に変更しなくても済むようにしています。また、民進党の前代表である蓮舫氏は、原発ゼロに向けた日程を前倒ししようとしたのですが、連合の反対にあって、断念したという話もあります。
しかし、文化論の立場から少し長い目で見てみますと、このような状況は、そう長くは続かない。続くはずがないと思うのです。近代のメンタリティというのは既に弱体化し、現代の、特に若い層のメンタリティは、ポスト・モダンに移行している。ディタッチメントをキーワードとするこのメンタリティによって、帰属集団が成り立ち難い現状にある。帰属集団が弱体化していて、それよりも一つ大きなユニットである組織集団が、強固に継続し得るかと言えば、答えはノーだと思います。例えば会社に行って、そこには昔の親分も子分もいない。人間関係は、希薄になっている。例えば、職場にあるのはタイムレコーダーとパソコンなんです。フランチャイズであれば、職場にあるのは、業務マニュアルだと思うのです。つまり帰属集団が弱体化した今日において、組織集団というのは、そのシステムだけが残り、そこには義理も人情もないんです。現在の組織集団というのは、あたかも内容物の失われた空っぽのコップのようなものだと思うのです。
従って、既存の政党がいくら組織集団(支持団体)に働きかけても票は集まらない。ポスト・モダンの有権者は、もう既得権保護、癒着、しがらみの政治にあきあきしている。そういう人たちが、無党派層というマジョリティを形成しているのではないか。支持団体の既得権を保護するのではなく、これからは “個人”に対して政策を訴えていく。そうあるべきだと思いますし、現に、そういう萌芽が出始めている。少し期待も含めて、私はそのように現在の政治状況を見ています。