文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 149 "私"から、”私たち”へ(その2)

 

前回の原稿で、少し大江健三郎氏などに対し、批判的なことを述べましたが、若干、補足させていただきます。

 

文学以外のジャンルでも同じかも知れませんが、芸術家というのは、誰しも個人的な経験であったり、感性であったり、考え方などから出発するのだろうと思います。しかしながら、それらが直接作品に持ち込まれると、その作品は読者なり受け手となる人に伝わりにくくなる。よって、その個人的な事柄を一度、普遍化する、抽象化するという手続が必要だと思うのです。そうすることによって、作家、芸術家の視点は、正に“私”から“私たち”に昇華するのだと思います。

 

例えば、以前、このブログで紹介致しました武田泰淳の「ひかりごけ」という短編小説があります。これは、難破船の船長が極限的な飢餓状況にあって、他の乗組員の遺体を食べてしまい、後日、裁判にかけられるというものです。この作品を読みますと、私は、もしかすると自分が船長の立場にもなり得る、と思う訳です。船長ばかりではありません。もしかすると船長に食べられてしまう船員の立場にも、そして、裁判で船長を糾弾する裁判官の立場にもなり得るのではないか、という恐怖感を覚えます。そして、人間とは何か、その本性を垣間見ることになるのです。この作品などは、明らかに“私”という視点ではなく、“私たち”という視点で描かれている。横光利一の「時間」という短編小説も同じです。ここには、愚かではあるけれども、愛すべき旅芸人の人間集団が描かれています。こちらも、“私たち”なんです。

 

さて、“私たち”に興味を持ち始めた私は、文化人類学に出会いました。少し勉強が進んだところで、文化を構成する諸要素について、これらには時間的な順序があって、各要素はつながっているはずだ、と思ったのです。しかしながら、体系的にそのような説明を行っている文献は、見つかりません。そこで、サラリーマン上がりの私は、早速、「アニミズム」だとか「呪術」などとポストイットに書き出して見たのです。机の上にそれらを並べ、考えては順番を入れ替えるという作業を繰り返しました。そして、ある程度自分なりに納得ができた時点で、このブログを立ち上げたのでした。

 

参考文献(文献1)によれば、19世紀にE. タイラーという人がいて、アニミズム → 多神教 → 一神教 という順序で進むという文化進化論的な説を唱えたそうです。その後も呪術が宗教の原初形態である(J. フレイザー)とか、いやいやトーテミズムが宗教の起源だ(E. デユルケーム)、という説などが唱えられたそうです。以下、文献1から抜粋させていただきます。

 

20世紀半ばになると、C・レヴィ=ストロースは非西洋を「未開」と呼び、非合理で理解不能なものを呪術や迷信として説明したかのように思い込むことによって、「未開と文明」という対立の図式を再生産しているとして、それ以前の文化人類学の宗教研究の問題点を指摘した。そうした批判を受けて、文化人類学は、文化進化論的な考え方に基づいて考えることを止めただけでなく、宗教の起源論という文化人類学にとって重要なテーマも手放すことになった。

 

僭越ながら申し上げますと、上記引用部分の最後に記載されている「宗教の起源論という文化人類学にとって重要なテーマ」を扱ったのが、このブログの発端だと言えます。そして、その後、私がレヴィ=ストロースとは異なる立場を取り、「文化進化論」という言葉に行き当たったのも、自然な流れであったものと思われます。

 

ただ、レヴィ=ストロース以降の文化人類学が提唱した2つの価値観について、私はこれを踏襲しようと思っています。1つには、例えば文字を持たない人間集団を野蛮人などと表現して、侮蔑してはいけないこと。2つ目としては、無文字社会の人々に対し、我々の価値観を押し付けてはいけない、ということ。これは経験的に、うまくいかないことが立証されています。

 

このブログの冒頭におきましては、言葉から始めて、宗教に至るプロセスについて概観した訳ですが、文化人類学で扱っている文化の分野というのは、そこまでなんです。仮に文化の最終形が宗教だとすると、私自身、どこかの新興宗教団体にでも加入しなくてはならない。それは嫌だ。困り果てた私は、そうだ、文化の進化プロセスの副産物として、文学、美術、音楽などの芸術が生まれたに違いないと思いました。そうこうするうちに、文化の起源は言葉ではなく、更にその前に遊びがあったのだと気づくのです。そして遊びの原理から、文化が無限に発展し続けるダイナミズムというものが分かってくる。この時期は、私としても大変、充実感をもっていました。

 

その後、山を上り詰めてしまったような虚脱感もあり、40日程このブログを休憩させていただいたのですが、その間、人間集団との関係から文化を眺めて見たいと思うようになり、新シリーズ“集団スケールと政治の現在”を始めます。今にして思えば、このシリーズをライオンの話から始めたのは、失敗でした。ライオンの話は、機会があれば改めて記載したいと思ってはいるのですが・・・。しかし、このシリーズを続けていく途中で、私は文化の最終形は「宗教」ではない。その先もずっと続いているのだ、という確信に至ります。宗教と武力が一体となり、宗教国家(封建制国家)が生まれる。そこで、宗教戦争などの暴力が蔓延するのですが、特にヨーロッパにおけるそれは、日本人には想像もつかない程、凄惨を極めたようです。ヨーロッパでは、振り子が極端に暴力的な方向に振れてしまった。その反動があって、宗教だとか封建制に対する疑問が出て来たのだろうと思います。そして、歴史の中で宗教や王権制に疑問を持つ人々が現われる。例えば、ニーチェは「神は死んだ」と言った。ガリレオは地動説を唱え、ダーウィンが進化論を提唱した。やがて、これらの考え方が民主主義を生む。歴史的な時間軸で考えますと、国家だとか政治も、文化であると言わざるを得ません。従って、文化とは何か、もう一度定義し直す必要がありそうです。

 

皆様の便宜のために、微調整を行った「文化の構造図(Version 2)」を添付しておきます。

 

<文化の構造図(Version 2)>
1. 遊び
2. 言葉
3. アニミズム
4. 物語・・・文学
5. 呪術・・・美術
6. 祭祀・・・儀式、祭り、音楽、踊り、ファッション
7. シャーマニズム
8. 文字
9. 宗教
10. 宗教国家(封建制、王権制、君主制民族主義
11. 哲学・・・科学
12. 法治国家立憲主義、民主主義)・・・政治
13. 世界統一ルール・・・国連

 

(参考文献)
文献1: 文化人類学/内堀基光 奥野克己/放送大学教育振興会/2014