文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 150 私たちが生きている世界

10月末は、ハロウィンということで、渋谷などは大変な人出だったようです。これは文化の類型からすれば、「6. 祭祀」に該当すると思います。ハロウィンの起源は、古代ケルト人が始めたそうです。ケルト人と言えば、紀元前から存在していた民族なので、当初は動物の格好をして練り歩いていたのではないでしょうか。その後、魔女の格好をしたり、現代に至ってはゾンビの格好など、変遷を遂げてきたものと思います。それにしても、文化というのは、やはり時空を超えて伝播するものなんですね。21世紀の日本でこんなものが流行るとは驚きです。

 

さて、前回の原稿の末尾にも添付致しました「文化の構造図(Version 2)ですが、「遊び」から「世界統一ルール」へと至る一連の項目を眺めておりますと、これらは物の見事に、物体へと繋がらないことが分かります。文化人類学では、これらの文化を精神文化(spiritual culture)と呼んでいるようです。ところが、そこから派生してくる絵画などは現実に存在していて、見ることができる。彫刻ならば、手で触れることだってできる訳です。これはどういうことでしょうか。

 

人間は、想像上の目に見えない観念だとか、感情というものを、何とか現実の世界で表現したいと願ってきたのではないでしょうか。例えば、誰か親しい人が怪我をしてしまったり、病気になったりする。そういう時に、一日も早いその人の回復を願う。その気持ちを現実に表わすため、人々は、例えば千羽鶴を折る。例えば、宗教上の信仰を具現化するために、人々は巨大なお寺や神社を建立してきた。仏像を作ったり、イエス様やマリア様の像を作るのも、同じ理由ではないでしょうか。これらの目に見える文化は、人間の想像力と現実世界の中間にあるという意味で、便宜上、「中間文化」と呼ぶことにします。

 

すると、精神文化があって、中間文化があるとすれば、その先に物質文化(material culture)というものを想定せざるを得ません。この物質文化という用語は、文化人類学でも用いられている学術用語です。人類の歴史を振り返りますと、かなり早い段階から火を扱ってきた。そして、狩猟に用いるヤリを発明する。弓矢を作り出す。カヌーのような船も、相当前から作られています。何しろ、オーストラリアの先住民であるアボリジニは、船を使ってオーストラリア大陸に辿り着いたのですから。

 

精神文化の構造というのは、まず、想像力があって、仮説をたて、ルールにおいて帰結する。例えば、山を眺める。何か神秘的な感じがする。神様がいるのではないかと想像する。そんな時に、ふとキツネと遭遇する。驚いたキツネは、足早に去っていく訳ですが、途中、キツネは振り返る習性があるそうです。何度も振り返りながら去って行くキツネを見ていると、ある仮説に辿り着く。あのキツネは、神様の使いだったのではないか。そこで、稲荷神社を建立して、お詣りするというルールに至る。

 

これに対して物質文化というのは、衣食住など、人々の生活に根差した欲求が原動力になっているものと思われます。もっと沢山食料が欲しい、もっと楽をしたい。そこから、仮説に至る。例えば、木材が海に浮かんでいるのを見て、何とかすればそれに乗ることができるのではないかという仮説を立てる。木材を加工し、実際に検証してみる。そして、木彫りの船ができる。

 

精神文化・・・想像、仮説、ルール

 

物質文化・・・欲求、仮説、検証

 

科学と物質文化の関係ですが、物質文化が進展し、近代化したある時点をもって、科学という概念が生まれたものと思います。よって、物質文化という大きな概念があって、その一部が科学であると考えた方が良さそうです。

 

このように考えますと、私たちが生きている世界というのは、自然と、精神文化と、中間文化、物質文化の4つの要素によって構成されていると言えるのではないでしょうか。