文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 163 カント以降の思想家たち

 

箱根の組木細工を見て物質文化の存在を確信した私は、精神文化と物質文化の中間辺りに、もう一つ文化があることを直観したのでした。そして、それは一般に表象文化と呼ばれているものではないか。そこまで来たのですが、では表象とは何か、手っ取り早く分かる文献はないかと探したのですが、ない。それは長い思想史の中で、哲学的な論題として語られてきたようだ。そして、この問題はカントにまで遡る。よし、ではカントの純粋理性批判を読もう。ということで、私は筑摩書房が出版している石川文康氏が翻訳している版を上下巻ともに購入したのでした。上下巻を合計すると9100円(税別)もしたのです。これは何としても、読破しなければならない。そう勢い込んで読み始めたのですが、難しい。マーカーで線を引きながら読むのですが、どうも頭に入って来ない。後戻りして読み返してみる。ノートを取りながら読んで見る。何故、分からないのか。そうだ、単語の意味が分からないのだ。ということで「哲学中辞典」(知泉書館)(税別5200円)を買ってみました。これは便利! そして、言葉の意味を確認しながら純粋理性批判を読んでおりますと、こんな文章に行き当たったのです。

 

「認識が対象に直接関係するのは直観を通してであり、手段としてのあらゆる思考が向かう先も直観である。」

 

「ある対象が観念能力に及ぼす作用は感覚である。」

 

これって、どこかで聞いた話に似ている。直観、思考、感覚。そうです。これにあと感情を加えると、正にユングのタイプ論になるのです。まさかと思って、夜中に古い本を取り出して見たのですが、やはりそうでした。ユング自伝 I (みすず書房)に、次の記述があったのです。

 

※ 文中の「彼」とは、ショーペンハウアーを指しています。

 

「私は彼をもっと徹底的に研究することを余儀なくされ、次第に彼とカントとの関係に感銘をうけるようになった。私はそれゆえ、この哲学者の著作、中でも『純粋理性批判』を読み始め、それは私を難しい思索に陥らせた。(中略)(カントは)より大きな啓示を私に与えたのであった。」

 

すなわち、ユングはまずショーペンハウアーに興味を持った。そして、ショーペンハウアーが、カントから影響を受けていることを知る。そしてユングはカントの「純粋理性批判」を読み、それはユングにとって、啓示を受ける程の出来事だった訳です。まさか、分析心理学のユングが、カントから影響を受けていたとは、知りませんでした。

 

カント → ショーペンハウアー → ユング

 

一方、記号学のパースは、カント哲学の権威として知られています。そしてパースは、ヘーゲルからも影響も受けています。

 

カント → ヘーゲル → パース

 

何だか、学問の分野を超えて、つながっているんですね。してみると、ある思想家を考える時、その人の系譜みたいなものを考えると、理解が進むような気がします。まずは、一覧にしてみましょう。生年順で並べてみます。

 

カント           哲学       1724 ~ 1804
ヘーゲル          哲学       1770 ~ 1831
ショーペンハウアー     哲学       1788 ~ 1860
ダーウィン         進化論      1809 ~ 1882
パース           記号学      1839 ~ 1914
ニーチェ          哲学       1844 ~ 1900
ソシュール         言語学      1857 ~ 1913
ユング           分析心理学    1875 ~ 1961
柳田国男          民俗学      1875 ~ 1962
今西錦司          自然学      1902 ~ 1992
レヴィ=ストロース     文化人類学    1908 ~ 2009
ミシェル・フーコー     ポスト構造主義  1926 ~ 1984
リチャード・ドーキンス   進化生物学    1941 ~ 存命

 

こうしてみると、ちょっと面白いですね。ユング柳田国男が同じ年に生まれている。皆さん、大体長生きしているようです。レヴィ=ストロースの101才が最長でしょうか。自殺したニーチェは、享年56才のようです。

 

思想家と呼ぶのはちょっと違うかも知れませんが、ダーウィンも入れてみました。その前と後とで宗教観が違っているのではないか、と考えたからです。カントもヘーゲルも、神の存在を信じていたようです。ダーウィン以前の時代のことですから、当然のことだったのでしょう。進化論の関係では、ダーウィンがいて、孤高の存在としての今西錦司がいる。そしてダーウィニズムは、リチャード・ドーキンスに継承された。ドーキンス無神論者になったのも頷けます。

 

文化人類学的な系譜を見てみますと、生まれた年で言えば、民俗学柳田国男が最初ということになります。

 

構造主義を軸に見ますと、まず、ソシュールがいた。ソシュールと言えば「一般言語学講義」というのが有名ですが、これは彼の著作ではありません。これは、ソシュールの死後、ソシュールの講義を受講した学生のノートなどをベースに再現されたものです。ソシュールの着眼点を受け継いだのが、構造主義と呼ばれたレヴィ=ストロースです。しかし、レヴィ=ストロースに反対する人も少なくありませんでした。アンチ構造主義、アンチ・レヴィ=ストロースの人たちが沢山いて、ポスト構造主義と呼ばれるようになった。ミシェル・フーコーもその一人です。この人も表象について語っているので、リストに入れてみました。

 

ソシュールの専門は、記号論と呼ばれる場合もあります。しかし、ソシュール記号学のパースとの交流はなかったようです。2人とも、世間から評価を得たのは、死後のことなのです。パースの論文集は、死後20年たってから公表されました。

 

いずれに致しましても、哲学、論理学、言語学記号学、心理学、進化論、文化人類学などは、その根底で繋がっている。

 

仮に、全部をひっくるめて「思想」と呼ぶことにしましょう。思想というのは、必ずしも、ある方向に向かって一直線に進歩してきたのではないように思います。それは、あたかもダーウィンが唱える自然選択のようであり、無方向にいくつも芽が出て、多くの賛同を得たものがその後に継承されていく。そんな気がします。