前回の原稿に書き洩らしてしまいました。パースは、「人は、記号である」と述べましたが、このテーゼは正しいか。答えはNOだと思います。パース自身が、人間の心の中の現象について、3つのカテゴリーを示していますが、その中で記号が関係するのは第3次性だけだと述べています。すなわち、第1次性、第2次性において、記号が登場する余地はない。よって、記号であるのは第3次性だけだということになります。人は、記号なくして物事を認識したり思考したりすることができない。こういうテーゼであれば、もちろん私も賛成致します。
前回の原稿で本文献(パースの記号学)から、次の箇所を引用させていただきました。
「パースはつまり宇宙におけるいっさいの事象をカオスから秩序へ、偶然から法則へ、対立から統合への弁証法的習慣形成の過程において見る宇宙進化論者であり、その進化論には絶対精神へと止揚されるヘーゲル的な弁証法的精神進化の過程を思わせるものがある。」
私はヘーゲルについて詳しくありませんが、彼の述べた“絶対精神”というのは、キリスト教における“神”の概念に近いのではないかと推測しています。そうしてみると、ヘーゲルの“弁証法的精神進化の過程”というのも、実は、キリスト教的な発想が根底にあるのではないか。神がいるのだから良い方向に、すなわちカオスから秩序に向けて進化するはずだ、と考えたのではないか。そうしてみると、このような考え方に合理的な論拠があるのか、私は懐疑的にならざるを得ません。カントにしてもヘーゲルにしても、ダーウィン以前の人たちです。従って、彼らの文献なり思想を検討する際には、その点を割り引いて解釈する必要がありそうです。好意的な見方をしますと、彼らは宗教による思想上の制限を受けながら、なんとかそれを乗り越えようと格闘していたのかも知れません。カントとヘーゲルの影響を強く受けていたパースについても、同じことが言えると思います。
宇宙の話が出たついでに、現代物理学者の見解をちょっと紹介致します。かつて、宇宙は原子1個よりも小さかった。そこに全ての質量とエネルギーが集中していたように思いますが、本当のことは分かっていないようです。そして、138億年前にビッグバンが起こる。その時のエネルギーによって、宇宙は膨張し続けている。かつては、この膨張がやがて止まり、その後、宇宙は収縮するだろうと考えられていました。しかし、1998年に宇宙が膨張する速度は、昔よりも速くなっていることが分かった。このまま加速度的に膨張を続けていくと、いずれは冷たくなって、宇宙では何も起こらなくなってしまう。これをビッグフリーズと言うらしいのです。まあ、ご心配には及びません。ビッグフリーズが起こるのは相当先のことだと言われています。50億年後には太陽が燃え尽きるそうですので、多分、こちらの方が先でしょう。
ヘーゲルの宇宙論よりも、私は、現代物理学の方を信じています。そして、朝目覚める度にこんな風に呟いてみるのです。「何てラッキーなんだろう。まだ、宇宙は凍り付いていない!」
ところでYouTubeを見ておりましたら、人口知能に関する討論番組をやっていました。宇宙の話よりも、こちらの方が現実的です。既にあちこちの分野で、人口知能やビッグデーターが活用されているようです。これはもう、回転寿司のシャリが機械によって握られている位で、驚いている場合ではなさそうです。ただ、人口知能と言いますか、コンピューターの仕組みに関する説明を聞いておりますと、何となく理解できるんです。そこで使われていた用語は、“記号”であり、“記号が指し示すもの”であり、“意味”であったりする訳です。この観点からすれば、パースの記号学は、先駆的な試みだったことが分かります。
また、私としてはパースの“記号過程”という考え方には、共感しております。すなわち、人間が何かを認知し、思考するプロセスを記号、記号が指し示すもの、そして、記号を解釈する素質、という3つの要素で考えた。但し、どうもパースは3という数字にこだわり過ぎていた。現象についても3つのカテゴリーで説明している。その理由は、ヘーゲルの弁証法にあったのでしょう。(弁証法も3要素で成り立っています。)ただ、私は3という数字にあえてこだわる必要はないと思っています。認知、思考とくれば、その後に行動(反応)という概念を加えても良い。そうすると、概ね、このブログのNo. 156に記しました私なりの試論(実体、記号、意味、反応)とかなり近いものになります。これらにあと若干の概念を加えれば、概ね、文化の基本構造を説明できるような気もしています。
例えば、表象。ゴッホは向日葵など、現実に存在するものを描きました。しかし、ジャクソン・ポロックは現実に存在しないものを描いた。では、ポロックは何を描いたのか。それは彼の心的イメージであって、これを表象というのではないか。そんな見立てもしているのです。