文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 171 人間と文化の仕組み

地上波のテレビ番組で「放送大学」というのがあるのをご存知でしょうか。先日、そこで「記号と人間」という大変興味深い(?)番組があったので、見てみました。優れた講義を再放送するというシリーズで、85とありましたので、多分、1985年に放送されたものだと思われます。また、アシスタントの女性の顔が、どことなく昭和の感じなんです。何故だろうと思ったのですが、一つには髪が黒い。そして、眉毛が太いんですね。昭和から平成に移って、日本女性の眉毛は細くなったのでしょうか。それとも、最近は細く見えるようにしているのでしょうか。私には、知る由もありません。

 

番組の中で哲学の専門家が、記号について説明されていました。イラストが出て来て、一つのキャラクターは地球儀に手足が生えている。これは、記号が表わす実体を意味しています。他方、記号という名のキャラクターも出て来ます。便宜上、記号君と呼びましょう。地球儀の隣に立っている記号君は、笑っています。講師の先生は、記号というのは何らかの実体を示していて、指し示す実体のある記号というのは、居心地がいいものだ、と言うのです。もう一枚イラストが出て来て、こちらの方では記号君が一人で、寂しげな顔をしています。先生曰く、指し示す実体を持たない記号というのもあるが、こちらの方は居心地が悪い。なんだ、私が考えていることは1985年当時、既に説明されていたのか、と一瞬思ったのですが、私はすぐに考え直したのでした。実体と言うから、それは確かに実在しない場合がある。例えば、幽霊のように。しかし、実体とは言わず、ここは記号が指し示す「対象」と言うべきだ。そして対象には、抽象的な概念や、心的なイメージを含めて考えるべきだ。そう考えた場合、記号には、常に指し示す対象があることになる。例えば、てるてる坊主にだって、それが指し示す心的なイメージがある。

 

やはり、人間の認知・行動システムを構成しているのは、対象、記号、意味、行動の4つであるに違いない。私は、この考えに取りつかれてしまったようで、当分、この考え方から抜け出すことができそうもありません。

 

そして、このシステムには、意味発見型と、意味創出型の2種類がある。

 

まず、意味発見型の典型として、ゴッホを例に考えます。ゴッホは、自然を愛していた。その事は、ゴッホが弟に宛てた手紙の中で、繰り返し述べられています。そして、ゴッホは自然の中に、あるシグナルを発するものを見つけていたのだと思うのです。それが、例えば星だったり、月だったり、向日葵だったり、麦畑の上空を飛ぶカラスだったりしたのだと思います。そして、それらのシグナルの中に、ゴッホは意味を見いだしていた。例えば、孤独感であったり、人間存在の本質であったりしたのだと思います。例えば、向日葵にしても、よく見るとそこにはまだ花びらをつけて咲き誇っているもの、枯れかけているもの、すっかり枯れてしまって、しかし、豊かな種を宿しているものなどが描かれているのです。これは、人間の一生を象徴しているようにも見えます。だから、その意味を噛み締めながら、ゴッホは絵を描くという行動を取ったに違いありません。

 

対象・・・自然

記号・・・星、月、向日葵、カラスなど

意味・・・孤独感、人生観など

行動・・・絵を描く

 

次に、意味創出型ですが、これは呪いの藁人形が典型的です。

 

対象・・・殺したいほど憎い人

記号・・・藁人形

行動・・・五寸釘を刺す

意味・・・呪い殺す

 

エレクトリック時代のマイルス・デイビスなどもこの例に当たると思います。この時代、マイルスは前衛的なジャズをやっていた訳ですが、分かる人が聞けば、マイルスの音楽には明確な心的イメージがあった。(疑う人がおられたら、是非、彼の「ビッチェズ・ブリュー」を聞いてみてください!)

 

対象・・・心的イメージ

記号・・・前衛的なジャズ

行動・・・即興演奏

意味・・・自由、共感、感動

 

お気付きの方もおられるとは思いますが、同じ4つの要素を並べてはいますが、意味発見型と意味創出型では、順番が少し違うのです。

 

意味発見型・・・対象+記号+意味=行動

意味創出型・・・対象+記号+行動=意味

 

言ってみれば、これがこのブログにおける一つの到達点だと言えそうです。これが、人間と文化の基本的な構造だと思うのです。但し、これは純粋に私のオリジナルという訳ではありません。人間の認知システムに関して、記号学のパースが提唱した「記号過程」という考え方があって、若干それを変更し、更に「行動」という要素を追加したものです。

 

また、上記の4要素を考えておりますと、それらのいずれが欠けても、このシステムが作動しない、成り立たないということに気づかされます。人間をブリキのオモチャに例えますと、このオモチャは4つの部品から出来上がっている。どの部品が欠けても、このオモチャは動かない。

 

例えば、北アジアに人々の病を直すシャーマンがいます。彼ら(彼女ら)は、鳥の羽などを使って、美しく着飾っています。それらの装飾品を使って、彼らは自らを記号化している訳です。行動というのは、もちろん病気を直すお祓いの儀式を指します。意味は、病気を直すということです。しかし、これだけでは、システムが作動しない。そこで、記号が指し示す「対象」が必要となる。そこで、「精霊」という概念が出てきたのではないか。彼らは、精霊の声を聞くのです。

 

対象・・・精霊

記号・・・着飾ったシャーマン

行動・・・お祓いの儀式

意味・・・病気からの治癒

 

これが、アニミズムの本質的な構造ではないか。そして精霊が、地域や時代によっては、神になった。

 

先日、犬型ロボットのアイボが発売されました。前にも書きましたが、人工知能を搭載した最新鋭のロボットというのは、動物や昆虫の形をしている。何故か。その理由も分かります。記号には「対象」が必要だからです。

 

対象・・・犬

記号・・・アイボ

行動・・・アイボとのコミュニケーション

意味・・・愛玩

 

興味深いのは、上記の認知・行動システムが、個人の行動から、集団で産み出す文化にまで当てはまるということです。例えば、ハチやアリなどの社会性の高い生き物を「真社会性動物」と言ったように記憶しているのですが、人間にも通じるところがあるのかも知れません。ハチなどは、あの小さな体ですから、複雑なことを理解しているとは思えません。それぞれの個体には、単純なメカニズムがインストールされているに過ぎない。しかし、個体が集まって集団となると、見事な幾何学模様の巣を作ったりする。

 

ところで、人間社会には、もちろん上記のシステムでは計り知れない物事というのも存在します。例えば数学や物理学などの自然科学。また、民主主義というのも、ロジカルな思想であって、上記のシステムでは説明できません。哲学者や科学者というのは、上記のシステムからの脱却を試みているのかも知れません。