関東地方では、春めいてきましたが、皆様、いかがお過ごしでしょうか。
さて、このブログでは1次性~3次性についての要約書を掲載してまいりました。私としては、なんとか分かり易くお伝えしたいとの思いで趣向を凝らした訳ですが、ご理解いただけたでしょうか? 私の“心的領域論”は、文化論であり、歴史認識であり、心理学的であり、現代日本における政治論でもある訳です。荒唐無稽であるとのご批判もあろうかと思いますが、皆様が身の回りで起こっている様々な事象をお考えになる際、少しでも参考にしていただければ幸いです。
では、私の立場から表題の件を概観してみたいと思います。結論から言えば、今回の事件は、安倍政権にとって最大の危機であって、今後の進展次第では、総辞職もあり得るのではないかということです。
ご案内の通り、安倍政権は幾多のスキャンダルを抱え、強硬採決を繰り返してきた訳ですが、今度ばかりは風向きが変わってきているように感じます。
私流の言い方をしますと、安倍政権を支えてきたのは“1次性”のメンタリティということになります。この1次性のメンタリティというのは、非論理的であって、感情的であるということです。すると、財務省の近畿理財局の職員の方が自殺をされたという事実は、彼らの琴線に触れる可能性がある。更に、本日になって報道されておりますが、実は、財務省の理財局(本省)でも、自殺された方がおられるらしい。文書改ざん事件との関係は未だに不明ですが、いずれ明らかになるでしょう。こうなってくると、安倍政権の支持層においても動揺が広がる可能性がある。
次に、メディアの姿勢にも変化が見られるということ。言うまでもなく、3月2日に朝日新聞が本件を報道した訳ですが、当初、右派のメディアは誤報ではないかと朝日新聞を攻撃しました。しかし、当の財務省が文書の改ざんを認めた訳で、白黒決着がついたのです。以後、読売、サンケイなどにも、事実を伝えようとする姿勢が出て来たように思えます。結局、メディアにとっては、安倍政権をヨイショすることよりも、購読者や視聴者の方が大切なんです。
与党も遂に重い腰を上げて、佐川(前)国税庁長官の証人喚問に応じるようです。多分、佐川氏は大阪地検における捜査が継続中であることなどを理由に、核心部分の証言を拒むのではないかと思います。しかし、国会における偽証など、逃げ切れない事実もいくつかあります。そのため、佐川氏の証人喚問によって、本件が沈静化するとは思えません。すると批判の矛先は、一気に安倍昭恵夫人に向かうことになるでしょう。ここでも、1次性のメンタリティが影響してくることになると思うのです。昭恵夫人については、既に批判的な報道が出ていますが、もし証人喚問ということになれば、お昼のワイドショーにとっては格好の材料となるはずです。すると1次性、特に女性の支持層が安倍政権から離れる。それは与党も良く分かっているので、昭恵夫人の証人喚問、参考人招致だけは絶対に回避したいと思っているはずです。それをする位なら、その前に総辞職する可能性すらあるのではないか。
麻生大臣は、自ら「原因究明と再発防止に努める」と言っていますので、いずれ辞任するものと思われますが、昭恵夫人の証人喚問(又は参考人招致)との関係もあって、辞任のタイミングは極めて難しい判断となりそうです。麻生大臣と言えば、本日、理財局以外の部署でも文書の改ざんがなかったか調べるとのことですが、そこで新たな改ざん事例が出て来たら、どうするのでしょうか。
森友事件だけをとっても、安倍政権に対する疑問は沢山あります。まず、昭恵夫人の命を受けて財務省に連絡をとった谷さんという女性は、当該事実が発覚後、直ちにイタリアへ転勤を命じられています。そして、籠池氏は収監されています。かれこれ、10か月になるようです。逃亡や証拠隠滅の恐れがない籠池氏を何故、長期に渡って収監しているのか、その理由が分かりません。仮に100歩譲って逃亡の恐れがあったとしても、それでは直ぐに裁判手続を開始すべきではないでしょうか。それをしない裁判所の判断も疑問であると言わざるを得ません。財務省を監査した会計検査院は、改ざん前の文書を国交省から受領していたそうです。そして、財務省から提出された改ざん後の文書との相違に気付いた。そこで会計検査院は財務省に説明を求めた訳ですが、財務省から「こちらの文書が最終版だ」と言われて、それを信じたとのこと。これでは、ドロボーを取り調べている警察が、当のドロボーの意見に従ったのと同じで、全く会計検査の体をなしていません。
結局、皆、安倍政権を怖れているとしか思えません。安倍政権に逆らったら、何をされるか分からない。前川(元)事務次官のようにプライバシーに関わる事項で攻撃されるかも知れない。世間では、「忖度」という言葉が多用されていますが、私は、そんなことはないと思うのです。安倍政権のご機嫌を取って出世したい、もしくは攻撃されたくない、というエゴイズムが働いているのだと思います。そうでなかったら、明示または黙示の政治的圧力に屈しているのではないでしょうか。
どこの国でも、民主主義というのは、国民が勝ち取ってきたものと思います。今回の件で、怒れる国民の側が勝利をすれば、ひょっとすると日本にも民主主義が根付く契機となるかも知れません。どうなるかは分かりませんが、そうあって欲しいと願っています。