文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 189 自然と結ぶ力

今回の原稿も話が飛びそうなので、一番言いたいことを最初に記しておきます。石には、私たちの心と自然を結びつける力がある。そして、その力は私たちの心を癒す。

 

昔、チャーリー・ワッツローリング・ストーンズのドラマー)が面白いことを言っていました。

 

「ドラッグには、心をハイにさせるアッパーと、逆に心を落ち着かせるダウナーというのがある。やがて、その双方を交互にやるようになる。変な話だよね。」

 

なるほど。私などは、それは文化も同じかも知れないと思う訳です。文化にも、心を熱狂に向かわせる1次性のものがあり、反対に心を落ち着かせる2次性のものがある。そして、石を巡る文化は、2次性の典型ではないか。

 

前回の原稿を書いた頃から、私は石に惹かれ始めたのですが、すると街を歩いていても、新たな発見があるのです。あちこちに、石がある。例えば、20数年に渡って通い続けている駅前の蕎麦屋があるのですが、そこの駐車場の隅に立派な岩があったりする。その岩に、今まで私は全く気付いていなかった。一体、私は何を見て60年以上も生きてきたのか、とあきれてしまいます。興味がなかった。関心がなかったから、その岩に気付かなかった。工事現場の片隅に石が山積みになっていたりする。立派なお宅の庭にも、無造作に石が置かれていたりする。生垣の隙間からそんな石を眺めたりしている訳ですが、これはもう不審者と疑われても仕方がありません。

 

石についてまったくの素人である私に石を語る資格があるのか、という気もします。玄人の方からは、「このトーシローが!」とお叱りを受けそうですが、ご容赦ください。

 

さて、石と人間の歴史を考えてみますと、それは文字通り石器時代まで遡ることになります。鋭利に尖った黒曜石を矢の先に付けたり、木の棒の先端に石を括り付けて斧にしたりしていた訳です。これらは機能を持っておりますが、それだけではなかったような気もします。無文字社会のイワム族には、ある石を大切に保管している人がいました。弥生時代の日本でも“玉”と呼ばれる石を加工したものが、普及しています。石には、人の心を癒す何かがあるに違いない。宝石などは、古今東西、女性たちの心を惹きつけています。

 

そう言えば、以前、私はベルギーのグラン=プラス広場に行ったことがあるのですが、妙に気持ちが落ち着いたことを覚えています。この広場は教会だとかホテルなど、数百年の歴史を持つ建物に取り囲まれているのですが、それらの全てが石づくりになっている。広場の地面も全て石畳になっているんです。すると、多少のことがあったって、人間の社会というのは存続していくんだ、という確信のようなものが心の中に湧き上がって来るのです。今までも、長い間続いて来た。だから、これからも続いていくに違いない、という感覚なんです。そういう安心感というものが、見渡す限りの石から伝わって来る。

 

日本に目を移しましても、お地蔵さんが沢山ある。都会ではあまり見かけなくなりましたが、ちょっと地方へ行けば、そこら中の田舎道にお地蔵さんが立っている。お地蔵さんを作った人の気持ちを推し量ってみますと、あまり仏教の教義などに関心はなかったのではないか。特に昔のことであれば、仏教に関する情報も極めて少なかったに違いありません。してみると、仏教的な意義というよりは、むしろ石を削るという行為の中にこそ、本質的な意味が込められていたのではないかという気がしてきます。石を削る。それは大変な作業だろうと思うのですが、完成した時の喜びもひとしおではないでしょうか。ある石と自分との間に強固な関係性が確立される訳です。

 

現代の日本におきましても、石に関わる文化は、盛んなようです。“水石”と呼ばれるジャンルがある。これは、石を台座などに据えて、楽しむスタイルを指すようです。調べてみますと、全日本愛石協会という団体まであります。この教会は、定期的に水石の展覧会を開いているようです。

 

中国に起源があるのかも知れませんが、「一生一石」という言葉がある。ネットで調べたのですが、残念ながらその正確な意味は分かりませんでした。「生涯を掛けて、たった一つの石を慈しむ。それ程、人生というのは儚いものではあるが、それで良いのだ」ということでしょうか。

 

蛇足かも知れませんが、記号原理で考えてみます。

 

この場合、石が記号です。そして、石が指し示す対象とは、自然であり、永遠だと思うのです。石は私たち人間よりも遥かに長い時間、存在し続けている。それは、多分、私たちが死んだ後にも存在し続ける。そのような石の確固たる存在を一言で表現するには、“永遠”という言葉が相応しいのではないでしょうか。

 

ある石があって、その石と私との関係性を考えてみる。これが意味ということです。しかし、残念ながら、私はどの石とも関係性を持っていない。ほとんどの場合、誰だって事情は同じだと思うのです。生まれた時から、特定の石と何らかの関係を持っている人というのは、ほとんどいないと思います。すると関係性、すなわち意味を作り出さなければならない。記号原理で言えば、“意味創出型”ということになります。そこで、石と関係性を持ちたいと願う人は、石に働きかけることになります。ある人は、石でお地蔵さんを作る。その他にも、石を所有する、磨く、水を掛ける、水に漬ける、台座に載せる、写真を取るなど、様々な方法が考えられます。すなわち、人間の方から働き掛けないと石との関係性は生まれない。

 

対象・・・自然、永遠
記号・・・石
行動・・・石に対する働きかけ
意味・・・自然、永遠とのつながり。心の平穏

 

いずれにしても、生涯を掛けて慈しむべき、たった一つの石。そんな石に巡り会いたいものです。