文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 193 この素晴らしき世界

YouTubeを立ち上げて国会中継の音声を聞きながら、パソコンの画面上では将棋を指す。これが私の暇つぶし方法だったのですが、野党が審議を拒否し、ゴールデンウィークに突入してしまいました。すなわち、国会中継がなくなってしまった。そして、将棋だけでは、どうも具合が良くない。刺激が足りない。私流の言い方をしますと、記号密度が低過ぎるということになります。どうしたものかとYouTubeの中を探索しておりますと、BGMとして延々ジャズを流しているものがあった。聞いてみると、これがなかなかいいんですね。そんな怠惰な生活をしていた訳です。

 

ところで、YouTubeでは過去の検索実績に従って、お勧めのコンテンツが表示されます。従って、ジャズに関するコンテンツがどんどん出て来る訳です。例えば、ビリー・ホリデイ。この人は確か、奇妙な果実(Strange Fruit)を歌った人だなどと思い、そのアイコンをクリックしてみる。(ちなみに、奇妙な果実とは白人に殺された黒人が木に吊るされている様子を表現したものです。)ビリー・ホリデイって、こんな声をしていたんだとか思いながら、段々、ハマっていく。ダイアナ・ロスシュープリームの“ラバーズ・コンチェルト”という曲を聞いてみる。シンプルなラブソングで、とても懐かしい。女性ボーカルの繋がりで、スリー・ディグリーズというのも出て来た。黒人の女性3人組で、こちらもラブソングを歌っています。私は、今回初めて聞いたのですが、結構、魅力的なんです。ジャズと言うよりは、ポップスです。モータウン・サウンズの系譜か、ディスコミュージックか、ちょっと私には分かりません。ダイアナ・ロスもそうですが、歌詞はとてもシンプルです。「私たちって、恋人同士なのかしら。それともただのお友達?」そんな具合で、これって日本の歌謡曲と変わらない。そんな歌をいくつも聞いていると、ラブソングが人種や民族を超える普遍性を持っていることに気付かされる。肌の色が白かろうが黒かろうが、人間の恋愛感情に変わりはない。また、ラブソングが表現しているのは、徹底した個人主義であって、そこに戦争に向かう要素はない。むしろ、「戦争よりも、私にとっては恋人の方が大切だ」という反戦のメッセージが隠されているような気もします。

 

ラブソングについて考えておりますと、これはもしかして恋愛感情とはかくあるべし、ということを教えているのではないか、という気もしてきます。個人の想像力だけで、恋愛という壮大な幻想を作り上げることは不可能です。もしもこの世にラブソングも恋愛小説もなかったとしたら、どうでしょう。若者たちは、恋をしないのではないか。そう考えますと、思い当たることが沢山あります。すると、ラブソングも立派な文化だと言うことができる。極言すると、文化の力がなければ、人間は恋をすることもできない。

 

遠くで鳥のさえずりが聞こえ、東の空が白んできた頃、私はサッチモこと、ルイ・アームストロングが歌う“この素晴らしき世界”(What A Wonderful World)の動画に出会ったのでした。独特のしわがれ声で、顔全体をしわくちゃにしながら、一つひとつの言葉を噛みしめるように、サッチモが歌う。この世界は素晴らしいと。どうやら、ここら辺に文化の本質があるのではないか。

 

もちろん、世界はそんなに素晴らしくはない。それが現実です。でも、見方によっては素晴らしくも見える。そういう素晴らしさを発見していくべきだ、というメッセージが歌われている。ネットで調べてみますと、この歌はやはりベトナム戦争に対するアンチ・テーゼとして作られたとのことです。

 

長い間、私は1次性と呼んできたカテゴリー(人間と動物、音楽、感情)にこそ、人間社会の問題が潜んでいるのではないかと思ってきました。しかし、そうではない。人間を集団主義に駆り立て、戦争をさせる。それは、エゴイズムが引き起こしてきた現象だ。そして1次性から3次性まで、全ての文化はエゴイズムを否定する方向に進化してきた。もちろん、文化も、途中、間違った方向に進んだこともあった。しかし、その歴史を通して見れば、それは確実に正しい方向に人間を導いている。

 

文化がなければ、残るのは記号原理とエゴイズムだけで、それでは動物と同じです。文化の力が、人間を人間たらしめている。文化こそが、つまらない人間社会に色彩を与えている。現実とは異なる世界認識であるという意味で、本質的に文化とは幻想である、とも言えそうです。そういう意見に対して、私は、こう申し上げたい。確かに文化とは幻想かも知れない。しかし、幻想の中に生きるのが人間の本質であると。

 

どうやら私の文化論は、体系化する作業を別にすれば、ほぼ完成したようです。

 

(お詫び:「パースのアブダクション」は、次回、掲載します。)