文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 209 第9章: 心的領域論(その2)

 

引き続き、前回の原稿に添付致しました「文化とメンタリティの関係図」に基づき、検討してみます。

 

まず、芸術と各領域の関係は、次のようになっています。

 

身体系・・・音楽
想像系・・・文学
物質系・・・美術

 

やはり、競争系の芸術というものは、存在しない。

 

次に、動物の心的領域について考えてみます。これは、記号系、身体系、競争系の3つであると言えそうです。動物も記号を通じて、外界を認知している。また、動物の行動を見ておりますと、互いの体を舐め合ったり、じゃれあったりしている。例えば、人間が猫を撫でていると、彼らは喉をゴロゴロと鳴らし、気持ち良さそうにしている。これは、融和的な関係を示していると思うのです。また、マウンティングに代表される競争系の行動も見られる。ライオンや野良猫のマウンティングというのは、かなり激しい。格上を主張する者が相手の背中にまたがり、相手の首筋を噛む。やられる方はたまったものではありません。激しく泣き叫ぶ場合もあります。また、インドではサルが人間を襲っている。サルの場合、餌を与えてくれるのは格下の者だという認識があるからだそうです。人が善意でサルに餌を与えると、サルの方は人間を格下だと認識する。そして、人間を背後から襲ったりする訳です。ペットの犬や猫は、家族の中で自分が一番下の序列に位置していると思っている。だから、飼い主には懐くし、逆らったりしない。しかし、例えばその家庭で新たに赤ん坊が生まれる。するとペットは、この赤ん坊を自分よりも格下だと認識し、噛み付いたりする場合があるようです。厳しい序列によって、動物の社会が成り立っていることが分かります。

 

反対の見方をすれば、想像系と物質系の領域は、人間に固有のものだと言えそうです。やはり、人間とその他の動物との間には、大きな違いがある。想像系のメンタリティは、ある程度、文字で書かれた文章を読まなければ育たないと思います。また、物質系の文化やメンタリティを獲得するためには、教育や経験が必要ではないでしょうか。例えば、古いオートバイをいじくり回すのが好きな人たちがいます。また、オートバイのエンジンの排気量を増加させる人もいる。結構、素人でもこういう改造は、できるようです。ボアアップと言います。私もやってみたいという気持ちはあるのですが、何をどうすればいいのか、さっぱり分からない。そういう知識なり能力を持っている人たちというのは、もしかすると工業高校を卒業しているのではないか。又は、整備士の資格を持っているのではないか。その他にも寿司職人とか、大工さんたちもかなり専門的な能力を持っている。それらの能力を身に付けるため、彼らは修行を積んでいる。やはり、教育ですね。物質系というのは、結構、ハードルが高い。

 

前回の原稿では、関係図を上下や左右に分割して考えてみました。これらの場合には、それなりに共通点がある訳で、相性が悪いとは言えない。例えば、左半分の身体系と競争系には、集団的(依存的)という共通項がある。反対に、想像系と物質系には個人的(自律的)という共通項がある。例えば、物質系のメンタリティを持った人が、お地蔵さんを作る。そして、想像系の人が、お地蔵さんにまつわる物語を作ったりする。

 

では、関係図の中で対局に位置する領域はどうか。まず、想像系と競争系ですが、この2つの領域には共通点がないばかりか、激しく対立しているものと思います。競争系における真実とは、序列であり、序列の最上位に位置する人が絶対的に正しいとされる。反対に、想像系(論理的思考)の場合は、合理性や整合性のある理論によって導かれる結論が、正しいということになる。この2つの領域に、妥協の余地はないように思います。

 

では、身体系と物質系はどうか。こちらは、左程、対立しない。例えば、物質系の人が楽器を作る。そして、身体系の人がそれを演奏する。物質系の人がおいしい料理を作って、皆がそれを食べる。どうも物質系の人は、誰とでもうまくやっていけそうです。

 

2.個人の心的領域

 

一人の人間の心の中を覗いて見ると、そこにも領域がある。そして、その領域は、一つとは限らない。いくつかの領域にまたがっていると考えた方が良いと思います。例えばある人は、時には音楽を楽しみ(身体系)、時には小説を読む(想像系)。気が向くと料理を作り(物質系)、会社に行けば序列闘争(競争系)に明け暮れる。そういうものではないでしょうか。しかし、私たちが持っているお金には限度がある。買い物をしようとする時、何かを選択し、何かを諦めなくてはならない。例えば、財布の中に3千円入っていたとして、本を買うかCDを買うか、決めなくてはならない。生活の中で自由になる時間にも、限度がある。限られた時間の中で何をするか、決めなくてはならない。そういう限定的な条件の中で、優先される心的な領域というものがある。これを以後、「優先領域」と呼ぶことにします。

 

そしてこの「優先領域」は、年令や環境、人との出会い、何かのきっかけなどによって、変化する。

 

例えば、暴走族(競争系)に入って暴走行為を繰り返していた少年が、ひょんなことから2級整備士の資格(物質系)を取得する。そして、彼の心の中で、物質系の領域が成長していく。

 

例えば、記号系の“空っぽ症候群”に陥っている少女がいる。彼女は、ゲームばかりやっていて、読むのはマンガだけだ。引き籠っていて、仕事はしていない。そしてある日、コスプレに興味を持ち、自らの身体を記号化し、そういう大会に参加してみる。そこで、ある少年と出会い、恋に落ちる。すると彼女の心の中で、身体系の領域が成長し始める。

 

もう少し複雑な例で、ジョン・レノンについて考えてみます。

 

まだ若かったビートルズの4人は、才能があるとは言え、ラブ・ソングばかりを歌い、恋をしていた。ジョージ・ハリソンがインドの宗教家に興味を持ったことに端を発し、最初の転機が訪れる。ジョージはインドの楽器、シタールを弾き、ビートルズの音楽はその幅を広げる。しかし、彼らが慕ったインドの宗教家がセクハラ事件を起こし、彼らは失望する。そんなこともあって、ポール・マッカートニーは音楽、すなわち身体系のメンタリティに固執するようになる。一方、ジョンの前にはヨーコが現れる。そもそも、ヨーコは前衛芸術家だった。彼女がしていたのは、時間と空間を融合させようとする試みだったのではないか。例えば、当時ヨーコは、ある空間を設定し、そこに自らの身体を置く。そして、観客に自分の服を切らせるというシュールなアクトを展開していた。ジョンの心は、これに反応した。2人は結婚し、ベッドインを敢行する。ホテルの部屋に一週間立てこもり、ベッドに入ったジョンとヨーコが記者会見を開き、反戦歌(Give Peace a Chance)を歌うというものだった。これは、身体系、想像系、物質系の3領域を融合させるものだった。現代人には理解することが困難な、融即律(未開の直観)に基づく行動だった。

 

身体系・・・ベッドが象徴する性的な関係。
想像系・・・ベトナム戦争に反対するという平和主義。反戦歌。
物質系・・・ホテルの一室という空間。

 

更に、ジョンとヨーコは、世界各国の政治的指導者にドングリ(物質系)を送ったりした。

 

ジョンの心的領域は、身体系から一挙に想像系と物質系に拡大したに違いない。一方、ポールはあくまでも身体系(音楽)の領域に留まろうとした。これが、ビートルズ解散の本質だと思うのです。

 

やはり、「文化とメンタリティの関係図」は、人間が生きている世界そのものを表わしている。そこには、私たちが生きている外界が記され、私たちの心の領域が示され、それらの結節点としての文化がある。これで全部なのか? 他の領域はないのか? という疑問の声が聞こえてきそうですね。しかし私は、これで全部だと思います。仮にロケットに乗って、宇宙に飛び出したとしても、この関係図の外に出ることはできません。宇宙と言ってもそこには時間と空間しかなく、人間は自らの身体を起点として、それらを認識しているに過ぎない。とても曖昧で、頼りなく、どこに行けばいいという普遍的な回答というものは、この図の中に示されていません。どこを目指せばいいのか、その答えは人それぞれに異なっているのだろうと思います。

 

この章 続く