文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 237 憲法の声(その4) 神聖ローマ帝国における権力の構造

 

注文していたカルヴァンに関する本(文献9)を読んでおりましたら、面白い記述がありました。

 

ルターが火を付けた宗教戦争は、ヨーロッパ各地に飛び火して行く。しかし、当時は現代に比べると国家という枠組みが明確ではなかった。そこで、カトリック勢力とルター派が争う訳ですが、その勝敗というのは、国家単位というよりは地域単位で決していく。同じフランスでも、どこそこの街はカトリックが勝ち、隣の街はルター派が勝つ、という具合だったようです。

 

ルター派と言っても、どこまでルターの考え方が浸透していたのかは分かりません。インテリだったルターは、多くの原稿を書き、本を出版しましたが、社会の底辺にあった農民たちは、ルターが主張した聖書第一主義(福音主義)というよりは、自分たちの地位や経済的な水準の向上を目指していた。便宜上、ここでは総合してルター派と記します。

 

ルター派の闘争は、次第に過激になっていく。そして、標的とされたのはカトリックの教会だった。14世紀のイタリアに端を発したルネッサンスの影響もあって、当時のカトリック教会には豪華な絵画や彫刻が沢山あった。教会の建物自体にも彫刻が施されていた訳ですが、ルター派はそれらを片っ端から破壊した。そもそも、ルター派の主張というのは、神の言葉は聖書に書いてあるのであって、それを人間が勝手に解釈するのはけしからんという点にあった訳で、ルターは同じ観点で、当時の宗教画などは人間による勝手な解釈だと考えたのでした。

 

また、ルター派カトリック教会が行っていた儀式(サクラメント)についても、批判しました。言ってみれば、これらは呪術のようなものであって、排除すべきだ、ということだったのです。私も、それら儀式の本質は、呪術にあると考えます。何かを願い、物に働きかける。それが呪術の本質だと思うのですが、してみると儀式という文化自体、その本質は呪術にある。(日本古来の神道など、呪術そのものだと思います。)

 

ルター派は、美術品を破壊しはしたものの、教会の建物までは壊さなかった。すると、ガランとした建物だけが残された。これは寂しい。なんとか、人々の心を引き付ける工夫が必要だ、ということになった。そこで、ルターは「賛美歌を歌おう」と提案した。当初、歌詞は聖書から持って来て、そこにメロディーを付けることで、賛美歌が成立した。しかし、それでは曲数が足りないということで、なんとルターは、自ら賛美歌の作詞、作曲を行ったそうです。カトリック教会でも賛美歌は歌われていたようですが、儀式を重んじていたカトリックは、ルター派ほどには賛美歌に力を入れていなかったそうです。

 

こういう話に触れると、私は想像せざるを得ないのです。すなわち、プロテスタントのヨーロッパ人が、やがて海を渡りアメリカ大陸に移住する。アメリカでも同じように教会を作り、賛美歌を歌った。この賛美歌が後にゴスペルと呼ばれるようになり、モータウンサンドに発展する。一方、アフリカ大陸からアメリカ大陸へ奴隷として連れて来られた黒人は、まず、労働歌を歌い始める。労働歌にギターの伴奏を加え、ブルースが生まれる。ブルースを8ビートに変えたのがチャック・ベリーで、これがロックンロールとなる。ロックンロールとモータウンサウンドを融合させ、ビートルズが生まれた! 仮説ではありますが、多分、そのような経緯ではないでしょうか。従って、全てのビートルズファンは、マルティン・ルターに感謝すべきなのです!

 

話を戻しましょう。ルターは、世俗的な(宗教以外の)世界と、信仰の世界とを分けて考えた。更に、儀式(呪術)を批判し、賛美歌を奨励した。これらの事象をどのように考えれば良いでしょうか。文化論者である私には、整理できます。次の図をご覧ください。

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なお、ここでは“権力”に注目したいのです。本稿(憲法の声)では、後にモンテスキュー三権分立についても検討する予定です。加えて、権力分立というのは憲法を考える上で、とても重要な要素となります。

 

権力には、3種類ある。それが現時点における、私の意見です。まず、軍事力(競争系)。軍事力を持つ者が、権力者である。この点、反論はないと思います。次に、経済力(物質系)。結局、金を持っている者が強いのだ、と考える人も現代の日本では少なくないように感じます。よって、これについても、異論は少ないと思います。しかし、権力にはもう一つある。人々の心を支配し、統制する力。目には見えにくいこの力によって、人々の考え方や行動が決定される。英語にはマインド・コントロールという言葉がありますが、これに相当する適当な日本語は、見つかりません。例えば、宗教上の戒律は、これに該当すると思います。現代の法律もこれに該当するでしょう。ルールと言っても良い。戒律、法律、ルールを定める権力というのは、確実に存在する。そして、あらゆる権力の中で、一番強いのがこれではないでしょうか。便宜上、この権力を“規範制定力”と呼ぶことにします。

 

文献9: カルヴァン/渡辺信夫/清水書院/1968