前回の原稿で、権力には3種類あると書きました。その呼称なんですが、最後に“権力”という言葉を加えた方が分かり易いのではないかと思い直しました。変更させていただきます。
規範制定力 → 規範制定権力
軍事力 → 軍事的権力
経済力 → 経済的権力
神聖ローマ帝国は、かつてローマ教皇を頂点とする権力組織が上記3つの権力を統制し、機能していたのだろうと思います。規範制定権力は、ローマ教皇とカトリックの教義が支配し、軍事的権力は皇帝が掌握し、経済的権力は未発達の段階にあったものの、徴税システムが機能していたに違いない。すなわち、ローマ教会が3つの権力の全てを掌握していた。
しかし、十字軍の遠征(1095~1291)があり、カトリック勢力としては聖地エルサレムの奪還に失敗し、皇帝の権威は低下した。反面、ヨーロッパと中東を結ぶ交易が始まり、その中心地としてローマは経済的な発展を遂げた。幾人もの大富豪が生まれ、彼らは芸術家のパトロンになった。生活費の心配をする必要のなかった芸術家たちは創作活動に専念し、14世紀のイタリアにおいて、ルネッサンス文化が開花する。これは主に、美術界において多大な成果をもたらした。人間回帰を標榜するルネッサンスとは、別の言い方をするとカトリックの厳しい戒律に対する反発でもあった。このような経緯の中で、ローマ教会が持っていた規範制定権力と経済的権力の双方が低下していった。
16世紀の南ドイツ地方は、銀や銅などの鉱物の産地だった。これらの鉱物は東方諸国へ輸出された。その利権と販売ルートを手に入れたヤコブ=フッカーという商人は、巨万の富を手にした。他方、皇帝は相変わらず軍事的権力を握ってはいたものの、戦費が膨らむなどして、財政的には窮乏していた。そこで、富商フッガーは皇帝や諸侯に高利で金を貸し、経済的権力を持ち始めた。ちなみに、皇帝カール5世は、7人の選帝侯たちの選挙によって選出されたのですが、この際、巨額の裏金を選帝侯たちに支払ったと言われています。そして、その裏金を工面したのが、富商フッガーだった。こういう背景があって、贖宥状の事件が勃発したようです。
さて、本題の“宗教戦争”に移りましょう。ルターやカルヴァンに関する文献の多くは、キリスト者が著作している。すなわち、もう信じ切ってしまっているので、ルターやカルヴァンは素晴らしい、神様を信じよう、というスタンスなんですね。そういう著者の方々を批判するつもりはありませんが、私にはもっと客観的な情報が必要です。しかし、本屋へ行ってもこの時代について説明している文献というのは、なかなか見つからない。それには理由があるのだと思います。つまり、ヨーロッパ人はこの恥辱にまみれた時代のことを思い出したくない。それについて語ることはタブー視されている。そういう事情があるのではないか。しかし、ふと思い立って、手元にあった“暴力の人類史”(文献10)を開いてみると、そこにかなり生々しい記述を見つけることができました。
“1520年から1648年にかけてヨーロッパで戦われた多くの宗教戦争が、きわめて陰惨で残酷かつ長いものだったことは驚くに値しない。これらの戦争は単に宗教だけではなく、領土や権力をめぐる争いでもあったが、宗教上の違いが激しい感情をいっそうかき立てたことは間違いない。”
そして、文献10は軍事歴史学者のクインシー・ライトの説として、宗教戦争には以下のものが含まれる、と説明しています。
・カンブレー同盟戦争(1508~1516)
・カール5世によるメキシコ、ペルー、フランス、オスマン帝国との戦争(1521~1552)
・ユグノー戦争(1562~1594)
・オランダ独立戦争(1568~1648)
・エリザベス1世によるアイルランド、スコットランド、スペインとの戦争(1586~1603)
・30年戦争(1618~1648)
・清教徒革命(1642~1648)
その犠牲者について、同じく文献10は次のように述べています。
・30年戦争で今日のドイツの大部分は荒廃し、人口はほぼ3分の1に減った。死者数は約575万人と推定されている。(3人のうち2人が死んだということでしょうか!?)
・清教徒革命の死傷者数は、約50万人。
しかし、戦争や革命とは別の殺人も頻繁に繰り返されていた。魔女狩りです。文献10によれば、旧約聖書の出エジプト記22章18節に「魔法使いの女は、これを生かしておいてはならない」という記述がある。これが根拠となって、15世紀から17世紀にかけて、フランスとドイツで魔女狩りの嵐が吹き荒れたとのこと。6万人~10万人が処刑されたそうです。犠牲者の85%は、女性だった。まず、拷問が行われ、その後火炙りの刑に処せられる。当時の人々は信じていたようですが、人間が箒に乗って空を飛ぶはずがない!
人権侵害という意味では、奴隷制の問題もありました。同じく文献10から、引用させていただきます。
“旧約・新約聖書は奴隷制を支持し、プラトンとアリストテレスはそれを文明社会に欠かせない自然な制度として正当化している。”
中世のヨーロッパにおいて、奴隷制は農奴制や小作制度へと移行する場合もあったそうです。
ルターは「ユダヤ人と彼らの嘘について」と題するパンフレットの中で、次のように主張したそうです。「まず、彼らの礼拝所や学校に火を放ち・・・彼らの家も同じように燃やし・・・彼らをこの国から永遠に追放するのだ」。そして、再洗礼派の人々に対し、ルターは「死刑にすべきだ」と宣言した。
またカルヴァンは、三位一体説(神とイエスと聖霊が一体であるとする説)を批判した神学者ミシェル・セルヴェを火炙りの刑に処したとのこと。この点、カルヴァンに好意的な文献9は、若干の反論を加えています。すなわち、異教徒がやって来たことをカルヴァンは当局に告発しただけで、火炙りの刑に処するべきだとは主張していない。但し、告発を受けた異教徒が死刑になることをカルヴァンは知っていた。
随分と昔の話なので、何が真実なのか、それを推し量ることは困難です。しかし、ルターやカルヴァンは、異教徒に対する弾圧、殺戮、魔女狩り、奴隷制などを支持していたものと思われます。長い目で見ると、カトリック教会が支配していた権力構造が崩れ始め、そういう社会的な環境にあって、ルターとカルヴァンが引き金を引いた。そこで、宗教戦争という暴力とカオスの時代が到来した。そういうことでは、ないでしょうか。
日本が大戦中に繰り広げたアジアにおける殺戮行為について思い出したくないのと同様に、ヨーロッパ人は宗教戦争の時代を忘れたがっているのではないか。日本人が“敗戦”という事実を“終戦”と呼び代えたように、ヨーロッパ人は“宗教戦争”を“宗教改革”と呼び代えているのではないでしょうか。
私の気力はすっかり失せてしまったのですが、カルヴァンについて、簡単に記しておきましょう。彼はフランスで生まれ、神学などを勉強します。あまり行動的な性格ではなかったようですが、ある日、回心する。そして、自己を滅却し、神に仕えることのみに価値を見いだす。ルターの影響もあって、カルヴァンは行動し始める。フランス当局からの弾圧を怖れたカルヴァンは、ジュネーブへ行く。そこで、教会のガバナンスを確立する。すなわち、教会の規律を策定し、賛美歌を推奨し、教育を推奨し、聖職者の結婚を是認した。このような立場を取る宗派はプロテスタントと呼ばれ、キリスト教においてカトリックに次ぐ宗派となる。プロテスタントには、ルター派、バプテスト派、メソジスト派、改革派、会衆派、ピューリタンなどがある。
近代立憲主義や民主主義の起源ということを考えますと、それはルターやカルヴァンではない。起源と呼ぶに相応しい思想家は、もう少し後になって、すなわちピューリタン革命の時代に、イギリスで生まれたホッブズだと言えるのではないでしょうか。
文献3: ルター/小牧治・泉谷周三郎/清水書院/1970
文献4: プロテスタントの歴史(改訳)/エミール=G・レオナール/白水社/1968
文献5: 宗教改革と現代の信仰/倉松功/日本キリスト教団出版局/2017
文献9: カルヴァン/渡辺信夫/清水書院/1968
文献10: 暴力の人類史(上)/スティーブン・ピンカー/青土社/2015