ルターやカルヴァンについて検討したことは、決して無駄ではなかったようです。当時の時代環境について知ることができたし、加えてこれから述べるホッブズの偉大さを噛みしめることができると思うからです。そして私は、このブログでホッブズについてご紹介できることを、とても光栄に思っています。
トマス・ホッブズは、マームズベリーという街で生まれた。(当時イギリスは、イングランド、アイルランド、スコットランドに分裂していたものと思われますが、事情は複雑なようです。マームズベリーはロンドンの西側に位置するので、イングランドだと思われます。)ホッブズの生まれた年は、ルターと比べて105年、カルヴァンとは僅か79年しか違わない。
・マルティン・ルター(1483~1546)
・ジャン・カルヴァン(1509~1564)
・トマス・ホッブズ(1588~1679)
ホッブズの人生も波乱に満ちたものでした。神聖ローマ帝国を中心にカトリックとプロテスタントが争った30年戦争と呼ばれる史上最大の宗教戦争のさなか、ホッブズは自国における革命の気配を察知し、1640年にフランスへ亡命します。実際、1642年、母国イングランドで王党派と議会派の武力闘争が始まる。これが、50万人の死傷者を出したと言われる清教徒革命(ピューリタン革命)です。そして1651年、63才のホッブズは亡命先のフランスで、その代表作“リヴァイアサン”を執筆し、“リヴァイアサン”はロンドンで出版される。(フランスで書かれたものがイングランドで出版された訳ですが、ホッブズは“リヴァイアサン”を英語で執筆したのではないでしょうか。)同年、フランスにおいて、無神論者として異端視されたホッブズは、再び身の危険を感じ、ひそかに清教徒革命の終わったイングランド(ロンドンだと思われます)へ帰国する。言ってみれば、清教徒革命の間、ホッブズはフランスで過ごしたことになります。参考までに、年表を添付します。
<ホッブズ年表>
1588 ホッブズ誕生
1618 30年戦争(~1648)。主に神聖ローマ帝国を舞台として繰り広げられたカ
トリックとプロテスタントの戦争。後に、ヨーロッパ各地を巻き込む。約575
万人が死亡。
1640 ホッブズ、フランスへ亡命
1642 清教徒革命(~1649)
1649 国王チャールズ1世が処刑される(議会派が勝利)。
1651 フランスにてリヴァイアサンの執筆。イングランドにて“リヴァイアサン”出版。
ホッブズ、イングランドへ帰国。
1660 チャールズ2世を迎えて、王政復古
1666 宗教界、大学、王党右翼によるホッブズ非難が強まる。
チャールズ2世は、ホッブズに対し、政治的、宗教的著作を禁じる。
1668 “リヴァイアサン”のラテン語版、出版。
1669 “リヴァイアサン”のオランダ語版、出版。
1679 ホッブズ死去。享年91才。
1688 名誉革命。イングランド国教会(プロテスタント)が国教化される。
カトリックの敗北。“権利の章典”により、国王の権限が制限される。
※ なお、清教徒革命の時期については、文献等によって、その記載が異なります。
文献6では、1640年~1660年(王政復古を含む)とされており、文献10では、1642年~1648年とされています。Wikipediaは広義と狭義とに分け、狭義では1642年~1649年とされています。ここでは、チャールズ1世が処刑された1649年までとするWikipediaの記載に従いました。
さて、“リヴァイアサン”という言葉の意味ですが、これは旧約聖書のヨブ記に出て来る海の怪獣を意味しています。聖書の中で“リヴァイアサン”は、人間の力を超えた極めて強い動物として描かれますが、神によって倒されてしまいます。人間以上、神未満ということです。ホッブズはこの怪獣のイメージに、彼が考える理想的な強い国家像をなぞらえたのだろうと思います。
“リヴァイアサン”は4分冊になっており、岩波文庫で読むことができます。今回は、その第一分冊から論点を抽出してみます。
上の写真は、“リヴァイアサン”の姿です。国家を代表する王が描かれています。しかし、王の体を良く見ると、そこには無数の個人が描かれている。これがホッブズの国家観を表わしているのです。
さて、“リヴァイアサン”は以下の通り4部構成となっています。
第1部: 人間について
第2部: コモン・ウェルスについて
第3部: キリスト教のコモン・ウェルスについて
第4部: 暗黒の王国
まず、この第1部において「人間について」というテーマを取り上げていることに驚かされます。そもそも、私には“リヴァイアサン”は国家論が中心であろうというイメージがあったので、その内容は社会学、政治学的なものだろうと思っていたのです。この点、ホッブズは、次のように述べています。
“あるひとりの人間の諸思考と諸情念が、他のひとりの人間の諸思考と諸情念に類似しているために、だれでも自分のなかをみつめて、自分が思考し判断し推理し希望し恐怖し等々するときに、何をするか、それはどういう根拠によってかを、考察するならば、かれはそうすることによって同様なばあいにおける他のすべての人々の諸思考と諸情念がどういうものであるかを、読み、知るであろう”。
国家は人間の集団だ。従って、その最小構成単位である個人について検討すれば、国家が持つ傾向などについて、予め知ることができるだろう、ということです。
そして、第1部の第1章は「感覚について」というタイトルになっている。更にホッブズは、感覚とは人間の五感によって感知されるシステムのことで、概ね、次のような構成であると説明している。
――― 性質/Quality ―――
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人 ―――――― 表象/Representation ―――――― 対象/Object
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――― 現われ/Appearance ―――
この図を見ますと、どこかで同じような話を聞いたことがある。上の図の性質、表象、現われという部分を“記号”という言葉に置き換えますと、これは記号学のパース(1839~1914)が考えていたことに良く似ている。ましてや、“対象”という言葉は、私が“記号原理”と称して述べてきた説と同じだ。まあ、私の説はともかくとして、ホッブズとパースはつながっているのだろうか? これは私の個人的な驚きである訳ですが、良く考えてみると、両者は繋がっていることに気付かされる。外界にある何か、すなわち“対象”を人間はどのように認識するのか、という論議を“認識論”と呼んでいいと思います。こういう若干、広い見方をしますと、記号学も認識論の一種である。すると、ホッブズからパースまで、一直線で繋がるのです。
ホッブズ → ロック → ルソー → カント → ヘーゲル → パース
Wikipediaを見ますと“認識論”とは、存在論ないし形而上学とならぶ哲学の主要な一部門である、とのこと。してみると、私がこのブログで繰り返し述べて来た記号だとか、記号原理という問題は、哲学の主要なテーマであったことが分かる。恥ずかしながら、知りませんでした。なお、パースの記号学は現代においても、注目を集めています。それは、人間の認識方法について、人口知能の専門家が勉強し始めているからなんです。多分、上に記したラインは、現代社会の問題にも直結しているに違いない。
ちなみに、ルソーからカントへの繋がりについて、私は直接的な情報を持っていなかったのですが、最近、分かったのです。すなわち、カントは当初、偉いのは学者だけで、無知な民衆を馬鹿にしていた。いかにも、ありそうな話ですね。しかし、ある時カントはルソーの「エミール」という文献に出会う。そして、長く伸びた鼻をへし折られ、自らを恥じたというのです。カントはルソーから、全ての人間を尊敬すべきことを学んだ。ちなみに、殺風景だったカントの書斎を飾っていたのは、唯一、ルソーの肖像画だったそうです。
話がなかなか前に進みませんが、ホッブズの思想について、引き続き検討していきます。
文献6: ホッブズ/田中浩/清水書院/2006
文献7: 抑止力としての憲法/樋口陽一/岩波書店/2017
文献8: 法とは何か 法思想史入門/長谷部恭男/河出ブックス/2015
文献9: カルヴァン/渡辺信夫/清水書院/1968
文献10: 暴力の人類史(上)/スティーブン・ピンカー/青土社/2015
文献11: リヴァイアサン(1巻~4巻)/ホッブズ/岩波文庫/1954