● 昨日の街頭記者会見
昨日(8月1日)、新宿で山本太郎さんの街頭記者会見がありましたが、私はこれを見て驚いてしまいました。最初の質問者が自ら言うには、中卒で、刺青をしていて、デリヘル譲を送迎する車の運転手をしていたとか。そして、彼が叫ぶ。「皆、泣きながら仕事してるんだ!」確かに想像を絶する環境にある。こういう人たちからも消費税をむしり取っていいのか。消費税は撤廃すべきだと、改めて感じ入った次第です。
● 認識論から見た“れいわ新選組”
人間は、どのようなステップで世界を認識するのか。まず、親に教えられる。やがて、学校へ行き教育を受ける。受動的にテレビを見たり、新聞を読んだりする。そこで、完結してしまう人もいる。しかし、主体的に情報を得ようとする人もいる。具体的には、読書とネットがその手段となるでしょう。
・家庭教育
・学校教育
・マスメディア
・主体的情報取得(読書、ネット)
しかし、人が世界を認識する手段は、もう一つある。“経験”です。実は、これが大きいのではないでしょうか。上に記したデリヘル譲の送迎をしていた男性、強烈な経験だったはずです。それが、「泣きながら仕事をしているんだ!」という言葉につながる。彼は、それを直接経験しているから、彼の認識は確固たるものとなっている。
戦後の日本には、戦争を“経験”している人たちが少なからずいた。その経験は、家庭教育などの場を通じて、子供に伝えられたに違いありません。戦争というのは、日本国民全体に共通する“経験”だった訳ですが、その経験者は急速に減少している。反対に、現在の日本においては、“貧困”という過酷な“経験”に直面している人たちが増えている。しかし、貧困というのは、個別的だと思うのです。貧困には、様々な態様があるので、なかなか社会問題として把握しづらい。そのような個別の“経験”にスポットライトを当てたのが、“れいわ新選組”だという見方もできるように思います。
● お勧めYouTube動画
「2019参院選後の日本 民意を読む」(3) 白井聡 京都精華大学専任講師
2019.07.31 1:37:54
https://www.youtube.com/watch?v=nDrkCwWg4KA
コメント・・・57分経過時点で紹介される若者の話には、驚きました。また、反共主義を唱える連合主流派と、連合主流派に従属している立憲民主党、国民民主が、共産党と手を組めるはずがない。つまり、市民連合が主導してきた野党共闘というは、所詮夢物語で、実現可能性がないのではないか。
● “れいわ新選組”から教わったこと
“れいわ新選組”をきっかけに、このブログでは政治、経済について検討することになりました。特に、このブログでMMTだとかマクロ経済について取り上げるとは、思ってもみないことでした。結果、私の国家観も鍛えられたように思います。
しかし、私が“れいわ新選組”から教わった最も重要なことは、大衆を愛するというメンタリティです。一般大衆というのは、勉強もせず、視野は狭く、自分勝手だ。え~い、世の中、どうなったって構いやしない! 良くないとは分かっていても、私は、そういうメンタリティを持っていました。しかし、太郎さんの演説を聞き続けるうちに、「大衆とは、愛すべき存在だ」という心境に変わってきたのです。
例えば、太郎さんがこう言う。
「皆さん、この国で一番偉いのは、誰か知っていますか?」
すると、女性の声が聞こえる。
「私たち!」
それはそうなんですが、そこまで大きな声で言わなくても、と思ったものです。それは、当たり前のことなのですから。
別の日、太郎さんがこう言う。
「社会保障費が、4兆円も削減されているんですよ」
「ふざけるなア~!!!」
そう叫んでいる、私がいた。
「私たち!」と叫んだ女性と私の間に、どれだけの違いがあるのか。結局、私自身、愚かな大衆の一人に過ぎない。そして、太郎さんの演説に聞き入り、大声で反応している人たちというのは愛すべき人たちなんだと、そう思えるのです。
このブログでは、横光利一の「時間」という小説を取り上げたことがありますが、この作家も、同じようなことを考えていたのかも知れません。そして、あのカントも。
● 政治と芸術
学者というのは、自分の専門分野を決めて、そこから出て来ようとしない傾向にある。政治学者は、経済を語ろうとしない。同様に、経済学者は政治を語ろうとしない。専門が違うと言えばそうなのですが、それでは現在の“山本太郎現象”を分析することはできない。もっと、総合的に検討すべきだと思います。
その点、学者でない私は、自由に物事を考えることができる。例えば、政治と芸術。人間は、動物に触発されて芸術を生み出した。それは次第に集団化され、シャーマニズムに至る。これが政治の原点ではないでしょうか。シャーマニズムは様式化され宗教となり、宗教国家を形成する。ヨーロッパで、宗教を乗り越えようという試みがあり、近代国家が誕生する。
これらの流れは、ずっとつながっているに違いない。“れいわ新選組”の街頭演説会には、ミュージシャン、作家、映画監督、落語家などの文化人が参加したし、そこには熱狂があった。どこか、ロック・コンサートに似ている。つまり、政治と芸術というのは、つながっているに違いない。私はそう思っているのですが、そのようなことを体系的に説明した人というのは、いるのでしょうか?
● 休止のお知らせ
せっかく皆様にお読みいただいているのに残念ですが、お読みいただくに足る原稿を書くためには、私自身、知識を補充する必要があります。よって、このブログの更新は、しばらく休むことに致します。
暑い日が続きますが、何とか乗り切って行きましょう!