文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

文化認識論(その35) 単独者に栄光あれ!

昨晩、安倍総理の緊急事態宣言に関する会見がありました。どうやら、日本政府には全ての国民をこの危機から救う気はなさそうです。しかし、私たちには生きる権利がある。生き残ろうとすること、それは正しいことなのです。

 

まず、コロナ対策。アメリカの学者は、次の4項目を推奨している。

 

1. 手を洗う。(特に指先)
2. 手で顔を触らない。(目、鼻、口)
3. マスクをする。(手から鼻や口にウイルスが感染しない)
4. 人に会わない。

 

次に、経済的な事項を考えました。

 

1. 職を失った → ハローワークへ行って、雇用保険(失業保険)を請求しよう。
2. 借金が返せない → 自己破産を検討しよう。自己破産をすれば、保有資産は失いますが、借金をチャラにすることができます。弁護士に相談する必要がありますが、全国の都道府県には弁護士会というのがあって、無料法律相談を受け付けている場合が多いようです。法テラスという組織もあります。傷が浅ければ、民事再生法の申請をするという方法もあります。
3. もう生活が立ち行かない → 生活保護を申請しよう。これは、上記の通り弁護士に相談する方法と、共産党系の市区会議員に相談する方法があるようです。1人で役所の窓口へ行くと、適当に追い返されるケースが多いようなので、要注意です。

 

ところでこのブログですが、「認識の6段階」ということを考え始めてから、私は、同じことを言おうとしているように感じます。例えば、一頭の象がいる。これを描写するために、象の体は大きいとか、象の鼻は長いとか、手を替え品を替え、なんとか象を描きだそうとしている。

 

(認識の6段階)
1. 記号
2. 情報
3. 因果関係
4. 概念
5. 原理
6. 論理(的な帰結)

 

(心の成長3段階)
1. 人間
2. 芸術
3. 論理

 

恐縮ですが、この話、もう少しお付き合いいただきたいのです。今回は次の通り、「認識能力の3段階」ということを提案させていただきます。

 

(認識能力の3段階)
1. 知識
2. 想像力
3. 思考力

 

複数の記号が組み合わさって、情報となる。情報が記憶されれば、それは知識となる。

想像力とは、知識によっては理解し切れない事柄を認識しようとするときに生まれる。それは、古代的であり、かつ、芸術に結びつく。

 

思考力とは、原理を発見し、そこから論理的な帰結を導く能力のことである。

 

このように考えますと、あとは3つの要素の組み合わせによって、パターン化することができると思います。

 

大衆(1だけ)・・・大衆とは、人間に興味を持ち、知識によって生きている人々のことである。想像力と思考力は欠如している。人々のマジョリティを形成する。

 

芸術家(1+2)・・・想像力、発想力に富む。但し、思考力は欠如している。マイノリティである。

 

既得権者(1+3)・・・知識を持ち、思考能力も持つ。但し、想像力が欠如している。専門分野に関する知識と思考能力によって、社会の中で地位や名声を勝ち得る。それが既得権となる。既得権を守ろうとし、社会の変化に抵抗する。

 

単純に組み合わせで考えますと(2+3)というパターンもあり得ますが、知識を持たず、人間に興味を抱かない人というのは、存在しない。すると、残りはフルのパターンということになります。すなわち、(1+2+3)。

 

オルテガは大衆の反対概念として、貴族を持ってきた。但し、その世襲には反対で、何か立派なことをした初代の人だけをそう呼ぼうとした。しかし、現代の日本においては、憲法によって貴族制は廃止されています。もちろん、私たちの身の回りにも貴族はいません。では、大衆の反対概念をどう呼ぶべきか。そういう疑問を持ってきたのですが、どうやらオルテガの遥か昔にキルケゴールが同じようなことを考えていて、彼はそれを「単独者」という言葉で表現したようです。私は思わず、膝を叩いたのでした。

 

上に記した(1+2+3)の人、知識と想像力と思考力、その全てを兼ね備えている人、その人こそが「単独者」であると思う訳です。「単独者」は想像力を持っている。だから、マジョリティである大衆とは相容れない。既得権者とも対立する。思考力を持っているので、芸術家とも異なる。結果として、「単独者」は孤立する。それが「単独者」の本質だと思うのです。オルテガキルケゴールも、きっと孤独な「単独者」であったに違いない!

 

ここで少し、単独者と芸術家が持っている想像力について考えてみたいと思います。想像力は、どのようなときに養われるのか。

 

例えば、私の前にアメリカ人が座っている。そして、彼は英語で何かを話している。私の語学力では、そう簡単に彼の言っていることを理解することができない。そして、想像力が生まれる。彼の表情や身振り手振りを見ながら、話の内容を想像する。私は日本語という記号の体系の中で生きている訳で、彼が話す英語は、日本語の体系とは異なる。そこで、想像力が養われる。

 

私は、野良ねこの花ちゃんと触れ合うのが好きですが、猫には猫の記号体系がある。例えば、猫の愛情表現にも以下のような種類があります。

 

・頭で押してくる。
・舌で舐める。
・甘噛みをする。
・見つめながら、ゆっくりとまばたきをする。
・ニャッと短く、微かな声を上げる。(これは最高の愛情表現!)

 

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花ちゃん かわいいね

このように、猫は人間とは全く異なる記号の体系を持っているのです。もちろん、それらの全てを理解することはできない。例えば花ちゃんは、よく背中を丸めます。これはどういう意味なのだろうと思って、私は想像する訳です。

 

英語には英語の、猫には猫の、法律には法律の、記号の体系がある。文化の構成要素とは、これではないか。今後は、これを「記号体系」と呼ぶことにします。

 

自分が持っているのとは違う記号体系に接したときに、人間の想像力が培われる。すると、より多くの記号体系に接し、それを理解しようと努めた人が、想像力を獲得することになる。

 

例えば、れいわ新選組山本太郎さんは、もともと役者の世界にいた。役者とは、他の人間になりきって演じる役割を担っており、想像力が要求される仕事だと思います。そこで、東日本大震災が起こる。彼は、そこから福島や沖縄へと飛び、現地の人々の話を聞いて回った。すなわち、それまでの自分が知らなかった記号体系と出会った訳です。ただ、そこに留まらなかったのが、太郎さんの特異な点だと思います。それから彼は、経済の勉強を始めた。そうやって思考力を身に着け、単独者になったのだと思います。

 

最近、立憲民主党を離党した山尾志桜里氏も、事情は似ているように思います。事の発端は、民主党政権時代に遡る。当時政権党だった民主党は、インフル特措法というのを制定した。インフルエンザが蔓延した場合、国が緊急事態宣言を発令することができる。そういうことを定めた法律だった訳です。元来、このインフル特措法で、今回のコロナ対策も実施できるという法律構成になっていた。しかし、そこで自民党が変化球を投げてきた。インフルとコロナは違うので、新たにコロナ特措法を制定する必要があると主張してきた。但し、変更点というのは、「コロナも対象にする」ということだけだった。当時、民主党政権の中枢にいた枝野氏は、反対のしようがなかった。しかし、改めてインフル特措法を検討すると、そこには4つの欠陥がある、と山尾氏は考えた。例えば、インフル特措法によれば緊急事態宣言の期間は、最長2年間となっているが、これでは長すぎる。せめて6か月に短縮すべきだ、と彼女は考えた。加えて、緊急事態宣言の期間を更新する場合には、国会の承認を必要条件とすべきだ。しかし、インフル特措法は、国会への報告だけを要件としていた。言うまでもなく、緊急事態宣言を下す場合には、急を要する場合があるが、延長時には事前に国会で審議する時間的な余裕がある。だから、延長時には国会の承認を要件とすべきだ、というのが彼女の主張だった。

 

ロジックで言えば、明らかに山尾氏の主張に正当性がある訳ですが、枝野氏と安住氏は、論議することを拒み、自民党の要請を丸のみしたのです。

 

山尾氏は憲法論議についても自由でオープンな論議をすべきだと主張していましたが、枝野氏はこれも拒んだ。結局、枝野氏は野党第1党の党首であるという既得権を守ることしか考えていない。私には、そう見えます。そもそも既得権にしがみつく人たちは、自由でオープンな論議などしません。説明責任を果たすこともありません。

 

そして、覚醒した山尾氏は、たった1人で立憲民主党を離党した訳です。まさに、単独者として行動したのだと思います。あたかも太郎さんが1人でれいわ新選組を立ち上げたように。単独者とは、たった1人でも行動する人のことです。既得権者が最も恐れ、忌み嫌うのは、覚醒した単独者なのではないか。

 

森友事件で自殺された財務省職員の赤木氏。彼の奥さんが、国と佐川氏を相手取って、訴訟を提起しました。彼女も立ち上がった単独者なのではないか。

 

単独者とは、転校生であり、異邦人であり、記号体系を超えるトリックスターなのです。