文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

文化認識論(その36) 権力と大衆の共謀

安倍政権はコロナ対策に失敗したのだ、と私は思います。1番目としては、新自由主義に基づき、かねてより病院のベッド数を削減しようとしてきたこと。これは現在も削減しようとしているのか、国会で揉めていました。2番目は、中国の春節の時期に、大量の中国人観光客を招聘したこと。3番目は、オリンピックを予定通り開催しようとして、対応を遅らせたこと。4番目は、PCR検査を抑制してきたこと。安倍政権は感染者を発見すると、感染経路を特定し、クラスターの発生を防御しようとしてきた。言わば、これは点と線による対策だと言えますが、他国がやっているのは面の対策なのです。すなわち、日本みたいなことをやっていては間に合わないので、徹底的に検査を実施して、片っ端から感染者を隔離する。5番目としては、緊急経済対策。108兆円の事業規模などと言っていますが、真水は16.7兆円に過ぎない。国民を助けようという気持ちは、全くありません。そう言えば、布製マスクの配布という愚行もありましたが・・・。そんなお金があるのであれば、人工呼吸器を配備すべきです。

 

コロナの問題を「これは戦争だ」と言う人がいますが、私は、そう思いません。戦争であれば、白旗を挙げて降伏することができる。コロナ禍の場合、それができない。

 

ツイッターを見ていますと、医療関係者の呟きに出会うことがあります。既に、いくつかの病院では、医療崩壊が起こっている。昨日のニュースによれば、中野区の病院で90名近くの感染者が発見された。

 

ところで、感染者数は連日発表されますが、検査数はほとんど発表されない。検査数を分母として、感染者数を分子とすれば、当然、感染率を認識することができる。そんなことは中学生でも分かる。しかし、メディアは検査数を報道しない。どうやら、一体、何人の検査をしているのか、厚労省でも分からなくなってしまった可能性がある。これは、立憲民主党の石垣のりこ氏がYouTube動画で、詳述されていました。医療だけではなく、行政までも崩壊しつつある。

 

5月6日までに収束しなければ、安倍総理には、責任を取って退陣していただきたい。安倍政権は、今日までの失敗を正当化しようとして、更に、過ちを犯すに決まっています。そして、国民に責任をなすりつけてくるかも知れません。自粛要請に応えなかった国民が悪い。そういう意見を押し付けてくる危険性があります。マスメディアがこれに乗ると、国民は分断されます。

 

私の支持政党は、れいわ新選組です。できれば、その理由を皆さんにも分かって欲しいと思っています。しかし、どうしても自民党を支持したいという人もいるでしょう。そうであれば、石破茂氏はどうですか? 少し右に寄り過ぎているかも知れません。しかし、石破氏は、論理を語ることができる。憲法を語ることができる。このような人であれば、議論のしようもあろうかと思うのです。論理的に思考する人というのは、常に頭の中でジグソーパズルのようなものを組み立てている。だから、そう簡単には嘘をつきません。1つのパズルを外すと、絵の全体が壊れてしまうからです。

 

石破氏の経済政策がどうなのか、この点には疑問があります。緊縮派である可能性もありますが、最近、改心しつつあるという意見もあります。いずれにせよ石破氏は、安倍総理や立憲の枝野氏より数段、まともだと思います。

 

さて、このブログでは「認識の6段階」ということを考えて、そこから人間のタイプを4つに分類するところまで来ました。

 

・大衆
・芸術家
・既得権者(=権力者)
・単独者

 

それぞれのタイプについて考えていたのですが、どうも権力者と大衆の間には、奇妙な符号がある。そして、権力者の思考パターンというのは似ていて、似たようなメカニズムによって、国政のみならず、学者、会社、宗教、官僚などの世界も動いているのではないか。そう思えてくる。

 

まず、権力者が被支配者(=大衆)に対し何をするかと言えば、金と時間と情報を奪うのではないか。まず、国民は税金をむしり取られる。元来、税金というのは、国民経済(個人+企業)に出回っている通貨量が過剰となった場合に、それを調整する、低減させるために徴収すべきものですが、現実は、そうなっていない。労働者は、低賃金で働かされる。ブラック企業しかり、外国人労働者しかりです。学者の世界も、事情は厳しい。大学の場合、教授になるとそれなりの報酬が得られますが、その前段階だと、生活するのがやっとという水準らしい。会社の初任給は、過去20年、ほとんど変わっていないし、職人の世界でも見習い期間は厳しい。

 

マルクス主義者であれば、これを「搾取」と呼ぶのでしょうが、理由はそれだけではないような気がします。

 

次に、権力者は大衆から時間を奪う。日本の長時間労働は有名ですが、これは今でも続いている。例えば、教員は長時間拘束される。どうでもいいような書類を沢山作らされる。加えて部活を担当させられると、朝練があったり、放課後の練習があったり、おまけに休日には他校との試合や大会への参加などがある。官僚の世界にも長時間労働がはびこっている。

 

権力者というのは、大衆から考える時間を奪うのだと思います。

 

そして、情報。政権はマスメディアを通じて、自分たちに都合の良い情報ばかりを宣伝させる。例えば、現在のコロナ対策など、マスメディアでは他国の成功例をほとんど報道していないのではないか。政府は教科書を検定するし、経営者は会社の経理情報を社員に教えたがらない。儲かっていれば、もっと給料を上げろと言われるし、儲かっていなければ自分が無能だと言われるからです。宗教の教団では、決して、他の宗派の文献を読ませようとはしない。

 

こうして、権力者は大衆の耳をふさぎ、目を覆い、最後に口を封じて言論を封殺しようとする。権力者というのは、徹底して、大衆に対して教えない、考えさせないのではないでしょうか。これは、古今東西、人間集団に共通する原理ではないかと思うのです。それは国家レベルのみならず、会社や学校、そして役所の世界にも共通している。イデオロギーとは無関係で、例えば、中国共産党の内部でも同じ原理が働いているに違いない。

 

権力者はライバルが登場しないように、新規参入障壁を設ける。それは、家柄だったり、学歴や世襲だったり、彼らはあらゆる手立てを講じるのです。そして、棲み分けということもある。権力者は、他の権力者と領域を分断することによって、互いの権力を守ろうとする。役所がたて割りになるのは、これが原因だと思います。それぞれの省庁は、自らの天下り先を確保するために、独立行政法人を沢山作る。これも多分、棲み分けがなされているものと思います。学者の世界も同じで、権力を持つ学者の数だけ、学術分野というのは分断されてきたのだと思います。例えば、憲法学と法哲学。これって、同じじゃ何かまずいのでしょうか?

 

このようにして、大衆の想像力と思考力は奪われていく。認識能力の低下した大衆は、文化の領域を飛び越えることなく、極めて限定された世界の中で生きていくことになる訳です。例えば、野球選手だったら野球の世界で、寿司職人は一生、寿司を握り続ける。

 

本当のことを言えば、彼らだって、外に別の世界があることは知っている。海の向こうには外国があるし、最近は野球よりもサッカー人気が上回っている。寿司には回転寿司もあるし、スーパーに行けば格安のものが売られている。これはとても不安だ、というのが本音ではないでしょうか。そこで、反パターナリズムというメンタリティが生まれる。すなわち、ただでさえ不安に思っているところへ、上から目線で意見をされると激怒してしまう、という心理が生ずる訳です。文化的反動と言っても良い。世の中、変わらないで欲しい。そう思うのは自然なことです。これ以上、世の中が変わってしまうと自分が生きて行けなくなる可能性がある。

 

例えばコロナの関係で、いくつかの英単語が出てきた。パンデミック、オーバーシュート、ロックダウンなど。すると、文句が出てくるんですね。日本語で言え、と。こういうの、文化的反動だと思います。

 

例えば、山本太郎さんが街頭で演説する。すると、消費税がどうだとか、統計上の数字がどうだとか、何やら難しいことを言い始める。世の中変わって欲しくないと思っている大衆は、当然、カチンとくる訳です。

 

反対に安倍総理の会見を見ても、そこにロジックというものは一切、出てこない。全力で、とか、一丸となって、などの情緒的な形容詞ばかりで中身はない訳ですが、大衆としては、安心する。やっぱり、自民党支持にしようと、こうなるのではないか。

 

このようにして、権力者は大衆に考えるなと言い、大衆はそれを受け入れるのだろうと思います。