文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

山本太郎と東京都知事選(その4) エピステーメーと権力組織の経路依存性

つまり、こういうことではないだろうか。すなわち・・・

 

権力をシステム化したものが、「組織」である。

 

上記の組織という言葉は、「権力組織」と言い換えた方がいいかも知れない。社会学においては、目的を持たない人間集団をゲマインシャフトと言い、目的を持つ人間集団をゲゼルシャフトと言いますが、私がここで問題としているのは後者、すなわちゲゼルシャフトの方です。

 

そして、前回の原稿に記したように、権力には以下の特徴がある。

 

<組織と権力に関する3つのテーゼ>
1. 権力の源泉は、社会的な制度やシステムにある。
2. 権力者は変化を好まず、現状を維持しようとする。
3. 組織において世代交代は進まず、高齢化と老害が生ずる。

 

とにかく、権力は変化を拒絶する。一度動き出すと、方向転換をすることができない。これが「経路依存性」と呼ばれる人間集団の特質です。

 

つまり、私たちが生きている世界には、変化し続ける時代の常識や価値観がある。これを哲学者のミシェル・フーコーエピステーメーと呼んだ。反面、この世界にはいつまでたっても変わらない要素というものがある。それは、権力組織の経路依存性によってもたらされる弊害なのではないか。

 

お若い人にはピンと来ない話かも知れませんが、例えばこの50年で、世の中は一変しました。日進月歩のテクノロジーは言うに及ばず、世間の常識も随分と変わりました。セクハラ、パワハラなどという言葉が使われるようになったのは、つい最近のことです。昔は、職場でも当然のことのようにセクハラが横行していました。私がLGBTという概念を知ったのも、比較的最近のことです。昔は、事務所の中でも当然のこととして、煙草を吸っていました。これらの価値観は、確実に変化した。これがエピステーメー

 

ところが、考えてみますと、この50年で変わらないことも沢山ある。環境破壊は止まらない。官僚は大衆を見下し(官尊民卑)、日本の対米従属も継続している。選挙になれば現ナマが飛び交い、三権分立は機能しない。大企業は莫大な利益をあげ、中小・零細企業は困窮している。都市は栄え、地方は貧困に喘いでいる。何も変わっていない。そしてこれらは、権力組織の経路依存性に依拠している。

 

しかし人々は、この権力組織にほとほと嫌気が差してきた。もう官僚組織も、政党も、会社や学校すら嫌になった。そういう多くの人々に共通する無意識のようなものが、蔓延しているのではないか。

 

その理由の1つには、情報革命の影響がある。ネットを通じて、情報は瞬時にして駆け巡る。昔は、現在ほど政治家の不祥事に関する情報というのは、出回らなかったように思います。それらの情報を得る手段というのは、ほぼ、新聞と週刊誌しかなかったからです。しかし、今は各段に情報量が増加している。内部告発が活発化したということもある。結果として、権力者の悪事が、比較的容易に暴かれるようになった。例えば私は安倍政権にうんざりしていますが、彼らの悪事というのは、徹底して白日の下に晒されている。他にもあるのだろうとは思いますが、暴かれた安倍総理の悪事というのは、モリ、カケ、サクラと枚挙にいとまがない。「ケチって火炎瓶」というのもありました。もう隠せない。そういう時代になったのではないでしょうか。

 

アメリカのBlack Lives Matterの運動が終わらないのは、第2、第3の事件が続発しているからだと言われています。全米各地で、警察官が黒人を虐待している。そして、そういう場面がスマホで撮影され、ネットに投稿される。

 

今や世界中で、ネットにアクセスできる世代の人々は、この権力組織というものに嫌気が差している。日本でも「#検察庁法の改正案に抗議します」というのがツイッターでバズって、結果、この法案は廃案となりそうです。

 

このような環境下にあって、現在、東京都知事選が繰り広げられている訳です。私は、山本太郎さんの主張の特徴は、反緊縮の財政政策にあると思ってきましたが、それよりも本質的な問題が、上に記した「権力組織」との闘いにあるような気がしてきました。自民党の政策というのは「緊縮」ということもありますが、例えば電通に中抜きさせる。パソナピンハネさせるという、あくまでもそれらの権力組織の利益を優先させるものです。対する太郎さんが掲げる政策は、権力組織をターゲットとするのではなく、個々人としての都民をターゲットにしている。そう思うのです。だから、私は山本太郎さんを支持しているのです。