文化認識論

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反逆のテクノロジー(その1) はじめに

しばらくこのブログの更新が滞っていましたが、主にフランスの哲学者ミシェル・フーコー(1893-1984)を題材とした新規連載、「反逆のテクノロジー」を始めることに致します。本稿の目的は、フーコーの思想的な軌跡を学術的に検討するというものではありません。そのような文献は既に多く出版されていますし、それは私の力量ではなし得ないことです。そうではなくて、時にフーコーの胸を借り、時にフーコーを遠慮なく批判し、フーコーの思想と私の文化論を交錯させてみたいと思っているのです。

 

ところで、フーコーは次のように述べています。(文献1)

 

「わたしは、普遍的な真理には懐疑的だ」

 

フーコーの思想を考える上で、上記の発言は重要な前提を示しています。すなわちこの発言は、フーコーが近代哲学の提唱した「理性」に懐疑的であったことを意味している訳です。しかし、仮に「普遍的な真理」が存在しないのであれば、人は何故考えるのか、という素朴な疑問が湧いてきます。この点、私は、次のように考えています。

 

確かに、「真理」というものは存在しないのかも知れない。「真理」が存在するのかしないのか、それは人間が知り得ない領域に属する設問なのではないか。例えば、人間は何故、存在しているのか。この設問に答えられる人は、多分、いないでしょう。それと同じで、結局は考えても分からないのです。では、考える必要がないかというと、そんなことはありません。人間は、深く思考すべきなのです。その目的はいくつかあるのでしょうが、1つには、権力に負けない自律的な思考を身に付けることであって、2つ目としては、人生という名の芸術作品を完結させるために思考するのだと思います。フーコーは、次のようにも述べています。(文献2)

 

「すべての個人の人生=生活とは、一個の芸術作品でありうるものなのではないでしょうか。なぜ、絵画や建物が美術品(芸術対象)であって、私たちの人生=生活がそうではないのでしょうか」(「倫理の系譜学について」)

 

従って、私たちは思考すべきなのです。しかし、そうは言っても、一体、何をどう考えれば良いのか。それは、簡単には分かりません。その答えは、人によっても異なるはずです。そこで、先人の知恵に学ぶ必要が出てきます。

 

  • 何を考えるべきなのか。
  • 何故、そのことを考えるのか。
  • どのように考えるべきなのか。

 

上記の3点を学ぶために、私たちは本を読んで、先人たちの知恵を学ぶのだろうと思います。言うまでもなく、21世紀の日本に生きる私とフーコーの間には、時間的、空間的、言語上の隔絶があります。しかし、だからこそフーコーの思想と向き合ってみる意義があるように思うのです。そのような隔絶があるからこそ、驚きがあり、発見があるのではないでしょうか。私は、まだフーコーの文献を読み始めたばかりですが、これからも読み続けながら、このブログに記事を掲載していきたいと思っています。

 

ところで、本原稿のタイトルである「反逆のテクノロジー」の意味について、少し述べておきたいと思います。まず、フーコーは近代ヨーロッパにおける理性主義に対する反逆を企てた。例えば、歴史学にも反旗を翻したのです。それまでの歴史学というのは、いつ、どこで、どのような事件が起こった、ということに注目していたのです。しかし、フーコーは各時代の人々が何をどのように思考していたのか、そのメカニズムに注目したのでした。そこで、当時の人々が依存していた科学的知見、物事の見方、常識などに焦点を当てることとし、それをエピステーメーと呼んだのです。加えてフーコーは生涯を通じて、権力とは何か、問い続けたのです。権力と戦い続けた。それがフーコーの人生だったように思います。

 

そしてフーコーは、テクノロジーについても4つの類型を提示しています。

 

 

4番目の「自己のテクノロジー」とは、「自らに関わる倫理的作業であり、自己の変容に関する技術といえる」のです。(文献2)

 

すなわち、反逆のテクノロジーとは、権力から離れ、自律的に思考する自己を確立し、芸術作品としての人生を完結させるための技術であると言えます。その本質にどこまで迫れるか分かりませんが、お付き合いいただければ幸いです。

 

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(参考文献)

文献1: FOR BEGINNERS フーコー/Cホロックス/白仁高志訳/現代書館/1998

文献2: フーコー今村仁司・栗原仁/清水書院/1999

文献3: 言葉と物/ミシェル・フーコー渡辺一民佐々木明訳/新潮社/1974