私たちが生きている世界は、時間と空間によって成り立っていますが、どちらも連続しています。
「静岡県って、どこだっけ?」
「神奈川県の向こうだろう」
私たちは、大体、こんな風に考える訳です。空間は連続している。その連続性の中で、位置を認識するのです。
「昭和って、いつだっけ」
「平成の前だよ」
時間も同じですね。地球という惑星が生まれて以来、いや、そのもっと前から時間の流れが途切れたことはありません。
ミシェル・フーコーは、動物の種別についても連続していると述べています。原始的な生物と人間の間には、サルがいる。鳥と哺乳類の間には、ムササビがいる。私たちを取り巻く自然というのは、この「連続性」によって構成されている訳です。そして、この「連続性」という原理が、人間の認識方法に強い影響を与えてきた、と主張するのです。
フーコーは、各時代を支えるエピステーメーという概念を提唱した訳で、エピステーメーは変化する訳ですが、にも関わらずこの「連続性」に支えられた認識方法は、変化していないと考えたようです。文献5から、引用させていただきます。
- エピステーメーの変化の間に存在する深い非連続性にも関わらず、実は「同一者」による連続性の原理・思考が、人間の知を常に秩序づけ、規定し続けてきたという事実なのである。(P.43)-
民俗学の折口信夫やその他の文化人類学者たちは、「古代人は類似性に着目していたが、現代人は差異に注目している」と永年考えていたようですが、それは間違いであって、人間はこの「連続性」を基礎として認識しているとするフーコーのこの説が正しいように思います。これで一つ、疑問が解消されました。
確かに私たちが生きている時間と空間によって成り立つこの世界や、自然界におきましては、この「連続性原理」が生きている。では、人間の社会に目を転じた場合は、どうでしょうか。こんな例を考えてみました。
あなた自身 → 面白い人 → 少し変わった人 → かなり変わった人 → 狂人
人間にも色々いる訳ですが、そこにも「連続性」がある。では、あなたは上記の区分で、どこら辺の人までであれば、付き合ってもいい、話が通じる、と思うでしょうか。仮にあなたは結構、寛容な人だったとして「かなり変わった人」までは、話ができると考えたとしましょう。すると、「かなり変わった人」と「狂人」との間で、断絶、非連続性が生ずることになります。
あなた自身 → 面白い人 → 少し変わった人 → かなり変わった人 /(断絶!)/ 狂人
こうして、私たちが認識する世界から、「狂人」は除外されることになります。そして、私たちにとって認識することができない「狂人」は、私たちにとって「他者」となるのです。西洋の歴史は、この「他者」を徹底的に排除する歴史でもあった訳です。カトリック教徒は、他者であるプロテスタントと戦い(宗教戦争)、ドイツの人口は3分の1まで減少した。フランス人は、パリの居住者の4人に1人を収容所に監禁した。ナチスドイツは、他者であるユダヤ人を虐殺した。
そしてフーコーは、それらの原因の一つにカント哲学を挙げたのでした。そもそもカントは、自律的な思考を推奨したのです。これは一見正しいようにも思えますが、裏を返せば、それは他者を排除することを意味している。文献6から引用させていただきます。
- 換言すれば、人間の意志からは「他者」との関わりの一切が理性の道徳的判定に悪しき影響を与えるものとして、すなわち「他律性」として取り除かれ、ただすべてはア・プリオリに規定された定言的命法の命ずるところによって行為されなければならない。カントが思い描くのは、こうした「他者」抜きの、ただ普遍的道徳法則にのみ依拠した実践の可能となるような、いわば絶対零度の真空空間である。(P.50)-
上記引用文に記されたようなカント的な考え方をフーコーは「人間学」と呼び、「言葉と物」の中で批判したのです。ただ、1960年代の西洋においては、カント的な「理性」を批判するのは、時代の趨勢になっていたのだろうと思います。そして、その中心的な役割を果たしたのは、構造主義者だった。
「言葉と物」は、第10章の第6パラグラフで終わります。このパラグラフには題名がありませんが、「人間の終焉」が描かれているのです。そして、その直前の第5パラグラフのタイトルは「精神分析、文化人類学」となっているのです。ここで、フーコーが2つの学問を取り上げているのには、理由があるように思うのです。ここからは、私の想像だと思って読んでください。
西洋哲学が生んだ「理性」は、他者を排除してきた訳ですが、それではいけない、というのがフーコーの立場です。それは、フーコーの「狂気の歴史」を読めば明らかでしょう。そして、当時の西洋において、理性が理解できないもの、すなわち他者に光を当ててみようとする学問が登場していたのです。その一つが、フロイトの提唱した精神分析ということになります。これは、構造主義者であるラカンによって、継承されます。フーコーはフロイトもラカンのことも高く評価していました。そして、かつては精神病理学の資格を持ち、大学で心理学の講義を受け持っていたフーコーにしてみれば、フロイトやラカンの仕事というのは、とても身近な分野であったに違いないのです。彼らは「無意識」という暗闇の中に潜む「他者」に光を当てたのです。それは、とてもりっぱな仕事だった訳ですが、どうもフーコーにはしっくりと来なかったに違いない。精神病理学や精神分析の仕事というのは、患者を治療することを目的としています。すなわち、狂人をこちら側の世界、理性の世界に連れ戻そうという企てに他なりません。それは、フーコーが望んだことではなかった。かつてパリの精神病棟で感じたあの違和感、フーコーは忘れていなかったに違いない。
次に、共時態で見るという構造主義的な方法を提案した記号論のソシュールがいて、ソシュールの方法論を用いて文化人類学や構造主義を立ち上げたレヴィ=ストロースがいる訳です。フーコーは、彼らの仕事も評価していたようです。確かに、言語や無文字社会も構造を持っている。そして、彼らの仕事によって、アフリカや南米に暮らす無数の民族が救済されたのです。素晴らしい。しかし、文化人類学は、現代の自由主義諸国に暮らす我々自身を救済することはできない。構造、それは確かに存在する。しかし、フーコーは、他の構造主義者たちが措定したよりも、更に大きな、更に深い、そして「現在」に関わる構造を解き明かそうとしたのではないでしょうか。
そして1970年代、フーコーは権力について考え始める。何故なら、権力にも構造があるからです。ただ、フーコーはあえて「構造」という言葉は使わなかった。それは、自分が構造主義者であるというレッテルを貼られることを嫌ったからでしょう。フーコーは、「構造」と言う代わりに、例えば、「システム」という言葉を使った。再び、文献5から引用させていただきます。
- それは主体や実存への情熱ではなく、「システム」への情熱であった。人間の主体の手前に既に存在し、主体を深層において支え、そして統御する「システム」に、この時期のフーコーは明らかに魅了されていたのだ。(中略)人間というものが、実存主義や現象学の考えるような主体のイニシアティヴを発揮しうるものではなく、主体以外のものによって動かされるものなのだという思想は、フーコーにあっては、その時々に応じて、その主体以外のものが「システム」、「言語」、「エピステーメー」、「言説の規則」、(中略/以下の注を参照)「権力」といった様々な形をとりながら、晩年のいわゆる自己の倫理の問題系に至るまで変わることなく展開していく。-
注)2つ目の「中略」とした箇所には、「外部」、「他者」と記されています。ただ、この文脈において、これらを「システム」と同列に記すのは分かりづらいと思い、この箇所は引用文から省略させていただきました。
結局、人類の歴史とは、世界の秩序化に向かうプロセスだったのです。まだ、人類が原始的な動物だった頃、人類は自然やカオスと共に生きていた。やがて、人類は言語を獲得する。言語は、人間のあり様を一変させた。人間の認識能力は、飛躍的に高まった。そして、人間の認識能力を支えてきたのは「連続性原理」だったに違いない。しかし、人間の認識能力には限界があって、それを超える何かを人間は、理解しえないもの、他者として、排除するようになる。この他者を排除するシステムは、幾多の悲劇を生んだ。しかし、このシステムは少数者の努力にも関わらず、ひたすら膨張を続けている。それは貨幣経済や権力構造を伴い、今も、世界を支配している。
こんなことなら、私は、もっと早くにフーコーを学ぶべきだった。そういう後悔の気持ちがあります。しかし、考えようによっては、随分と回り道はしたけれども、まだ、このブログをやっている時点で、フーコーに出会えたことは、とてもラッキーだったと言えるかも知れません。
(参考文献)
文献1: FOR BEGINNERS フーコー/Cホロックス/白仁高志訳/現代書館/1998
文献3: 言葉と物/ミシェル・フーコー/渡辺一民・佐々木明訳/新潮社/1974
文献4: ミシェル・フーコー、経験としての哲学/阿部崇/法政大学出版局/2017
文献5: ミシェル・フーコーの思想的軌跡/中川久嗣/東海大学出版会/2013
文献7: 哲学中辞典/尾崎周二 他/知泉書館/2016