文化認識論

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反逆のテクノロジー(その16) 監獄の誕生

ミシェル・フーコーの著作「監獄の誕生」は、哲学書のようであり、歴史書のようでもあり、そして文学書のようでもある不思議な作品だ。フーコーは膨大な史料を読み解き、自らの思想については控えめに記述し、史料自体に語らせるという方法で、この本を書き上げている。そこには残酷さや人間の愚かしさに関する徹底したディテールの描写があるが、それらを乗り越えて通読してみると、そこはかとなく立ち上がってくる物語があり、その背後にフーコーの明確な意志が見えてくる。人生の限られた時間の中で、このような本に出会えることは極めて稀であり、私はこの本を長く手許に置いて、事あるごとに参照しようと思っている。

 

例えば傑出した芸術作品の一部を切り取って、その作品の素晴らしさを表現することはできない。それと同じで、「監獄の誕生」の思想史における意義を、短い文章で再現することなど、誰にもできはしない。以下の記述はあくまでも、私がこの著作に共感を覚えた多くの事柄の、その断片に過ぎない。

 

「監獄の誕生」の冒頭には、写真や施設の見取り図などが掲載されているが、私がここで言及したいのはその30枚目、最後の1枚である。左側には人為的に加工したであろう1本の直線状の材木が垂直に立てられている。その右側には曲がりくねった生きた樹木が立っている。そしてその2本は、太いロープで固く結ばれているのだ。タイトルにはこうある。

 

「30/ N・アンドリュー 『整形術、もしくは幼児における身体の畸形を予防し矯正する術』1749」

 

この絵画が示すのは、幼児の畸形を矯正するためには、当時の大人たちが正しいと考えていた道徳観なり価値観に幼児を強制的に拘束すべきだ、という思想に他ならない。言うまでもなく、大人たちの道徳観や価値観というのは仮説に過ぎない訳だが、そのような危惧をこの絵に見て取ることはできない。人類の歴史は秩序化の歴史であるという考え方があるが、直線の発見から始まる自然界に対する働きかけのみならず、秩序化という営みは人間自身に対しても向けられてきたに違いない。

 

「監獄の誕生」の本文は、18世紀のフランスにおける残虐な身体刑の描写から始まる。それは人間の身体に火傷を負わせ、引き裂き、切り落とすような刑罰だった。そして、そのような刑罰は、一般大衆に「見せしめ」として、公開されていたのである。公開することによって、将来起こり得る同様の犯罪を未然に防止し、時の君主の権力を誇示していたとも言える。

 

処刑の行われる広場には、多くの大衆が集まった。そして、処刑の様子をつぶさに観察している彼らは、熱狂したのである。大衆が憎しみを抱く犯罪者に対しては、彼らはより残酷な刑罰を希望した。反対に、彼らが共感を覚えるような犯罪者に、彼らは減刑を望んだ。熱狂する大衆は処刑人の手から犯罪者を奪還することもあった。処刑の方法は予め定められていた。例えば、斧を一振りすることによって犯罪者の首を切り落とすことなど。

 

- 命令どおりに相手の首を一刀両断に斬り落とした場合、彼は「その首級を民衆に見せて地面におろし、ついで一礼する、と皆はその腕前にさかんに拍手喝采を送るのである。」(P61)-

 

また、処刑という行事は娯楽的な色彩を帯びていたのではないかと思わせる記述もある。

 

- 処刑当日には、普段の仕事は中止され、居酒屋は満員となり、権力者たちは罵倒され、死刑執行人や治安取締役人や兵卒は侮辱されたり投石されたりするのであった。(P.73)-

 

すなわち、当時のフランスにおける処刑は、混乱を極めていたのである。18世紀の後半になると、残虐な身体刑に対する批判が高まった。中心的な役割を果たしたのは、法律家たちだった。1つには、処刑の残虐さに対する批判だった。犯罪行為よりも、更に残虐な刑罰を与える場合があり、これに対する反省が起こる。処刑を公開することによって惹起される社会的な混乱についても批判される。また、当時の裁判官というのは一種の財産のようなものであって、その立場は金銭で売買されていたのだ。そのため、刑罰の種類や程度にも統一性がなかった。そこで、刑法の改正案が次々に提出される。例えば、1791年にル・ペルティエが刑法の改正案を提出した。

 

- 「犯罪の性質と処罰の性質とのあいだには正確な対応関係が必要であって」、犯行が残忍であった者には、身体刑が課せられるべきであり、怠惰な手段をとる者は重労働を強制されるべきであり、卑劣であった者には、加辱刑が課せられるべし。(P.124)-

 

罪を犯した者には、その罪に相応する罰を与えよ。そのような考え方には、一定の合理性がある。しかし、同1791年に制定されたフランスの刑法典は、ペルティエが主張したものとは、異なるものだった。謀反者と殺人者には死刑を規定しているが、他のすべての刑罰には監禁されるべき期間(最長20年)が定められたのだ。多くの議論が繰り広げられたはずだが、1つには、英米の刑法が検討のモデルとされたとの記述がある。また、その思想の基調をなすのは、刑罰を課す目的に関するものだった。ペルティエの主張は、あくまでも罪に対して罰を与えるというものだったが、新刑法典が立脚した思想は、罰に主眼を置くのではなく、犯罪の再発防止を意図したものだった。すなわち、罪人を矯正して社会に復帰させる。そのことを目的としていた。そしてこの考え方は、私が先の原稿で「勤労主義」と呼んだ考え方と調和する。「生きんと欲する者は働くべし」という訳だ。

 

勤労主義にも理由がある。働かない者や放浪を繰り返している者は、必ず経済的に困窮する。そこで犯罪に走るようになる。従って、犯罪を減らすためには人々を働かせるべきだ、と当時の人々は考えていたらしい。

 

このような経緯で、近代的な意味での監獄が誕生し、そこに監禁される囚人たちには労働が命じられる。そして、囚人たちは監視される。やがて権力者たちは、より効率的な監視方法を考案する。

 

一方、ヨーロッパにおいて「規律・訓練」の制度が進展する。

 

- ずっと以前から規律・訓練の方策は多数実在していた。修道院のなかに、軍隊のなかに、さらには仕事場のなかにも。だが、規律・訓練が支配の一般方式になったのは、17世紀および18世紀である。(P.159)-

 

規律・訓練と言って、現代日本人に馴染みがあるのは、北朝鮮の兵士たちの一糸乱れぬ行進ではないか。足の上げ方、手の振り方まで、全てが訓練されている。そして、この規律・訓練を推し進めると、その習熟度を測るための試験が登場する。試験は、人々を階層に分解し、序列を生む。より上の序列を目指そうとする者は、規律に従順になるし、従順でない者は、序列を下げられる。

 

加えて、人々の時間を管理する「時間割」なるものが登場する。

 

- 時間割は古来の一種の遺産である。その厳密な模範は、最初おそらく修道院が暗示したにちがいない。その三つの主要な方策 - 拍子をつけた時間区分、所定の仕事の強制、反復のサイクルの規制 - は、たちまち学校や仕事場や施療院のなかで見いだされるようになった。(P.172)-

 

こうして現代の管理社会が成立する。人々は一か所に集められ、すなわち空間上の拘束を受ける。規律・訓練によって、権力は人々の身体に直接働きかける。時間割によって、人々は時間上の拘束をも受ける。一挙手一投足が監視される訳だが、やがて人々はその監視行為に主体的に取り組むようになる。このような社会の仕組みを「システム」と呼んでおこう。

 

このシステムは、何も監獄だけを支配しているのではない。軍隊、学校、病院、会社、スポーツ団体などをも支配しているに違いない。

 

決して簡単な話ではないが、少し整理してみよう。

 

古代まで遡って考えた場合、最初にあったのは父親の、もしくは集団を率いるリーダーの権力だったのではないか。何しろ、猿山にだってボスザルはいる。リーダーが存在する集団というのは、そうでない集団よりも生存確率が高かった可能性も否定できない。そして、自然界に対する秩序化の働きかけが生ずる。やがて、この秩序化の意志は人間自身に向けられる。すると、マジョリティが認識できない他者(マイノリティ)が排除される。大規模な収容所が作られ、怠け者や精神病患者、同性愛者や犯罪者などが、いっしょくたになって収容所に監禁される。そこで、勤労主義が力をもち始める。同性愛者や怠け者は、強制的に働かせればよいのだ。結果、働くことが困難な精神病患者は病院に、犯罪者は監獄に監禁されるようになる。監禁された者たちは、監視されると共に、空間的、時間的、身体的な拘束を受ける。このシステムは取り分け軍隊や工場の運営に適合していた。規律・訓練の徹底した軍隊は、そうでない軍隊よりも戦果を収めただろう。また、このシステムは、産業革命後の大量生産を支えた工場の運営にも適していたに違いない。

 

人々を監禁し、監視することから、人間集団に関する「知」が生まれる。この点は、フーコーもそう指摘している。例えば、たった1人の精神病患者を観察するよりも、100人の患者を観察した方が、多くのことを理解できる。

 

このシステムこそが、近代ヨーロッパが生み出した社会構造であって、日本は明治維新以降、躍起になってこれを輸入したという訳だ。言うまでもなくこのシステムは、人間社会に貧富の格差を生み、主体的には何事にも関心を持たず、疑問すら感じない、のっぺりとした表情の現代人を生み出した元凶ではないのか。しかし、事は単純ではない。ここまで考えた時に、フーコーが何故、18世紀のカオスのような状況を描写したのか、その理由が見えてくる。現在のシステムは欠陥だらけだ。しかし、あのカオスの時代と比べてどうなのか? 若しくは、欠陥だらけのシステムでも、カオスよりはましだと言えるのか?

 

この問題に対し、安易な解答は差し控えたいが、このシステムに関する問題は、現在の、そして近未来の私たちが抱える最大の課題だと思う。言うまでもなく、デジタル監視社会は目前に迫っているのだから。

 

(参考文献)

文献9: 監獄の誕生/ミシェル・フーコー/新潮社/1977

 

(文献9がフランスで出版されたのは、1975年である。そして、和訳本の出版は2年遅れの1977年。一方、現在販売されている新装版は、2020年の発売である。今まで、参考文献の出版年については、時系列に従って理解するために、初版の年度を記載してきた。私が読んでいるのは和訳本だし、1977年と記せば、それはオリジナルの1975年とも差異は少ない。よって便宜上、1977年と記すことにした。)