哲学とは何かという大問題がある訳だが、初心者向けの説明として「神話に準拠しない思考方法」が哲学だと言われている。してみると、歴史的に人間の思考方法には「神話に準拠するもの」と「哲学的なもの」の2つがあることになる。
「神話に準拠する思考方法」は、やがて宗教を生み、文学を生んだと言えよう。これらを根底から支えてきたのは、人間の想像力である。
他方、哲学は自然科学や社会科学を生んだ。哲学から科学が分岐したので、哲学が扱う領域は狭くなった。哲学に残された中心的な課題は「認識論」だという説もある。
いずれにせよ上記の前提に立てば、一応、想像力と科学という2項対立を措定することができる。想像力は科学を否定し、科学は想像力を否定する。例えば、新聞を見てみればいい。新聞記事において、人間の想像力は極限まで排除されている。そして、想像力を排除し続けると、他人の痛みを理解しない人間が量産されるに違いない。最近、渋谷でホームレスが殺害されるという事件が起こった。今だけ、金だけ、自分だけ、という現代の風潮も、この想像力の欠如から来ている。加えて、新自由主義と呼ばれる弱肉強食の思想が、社会を疲弊させている。例えば正規従業員は、ボーナスを受給できない非正規従業員の痛みを理解しないのだ。
他方、想像力も万能ではない。例えば、オウム真理教が犯した地下鉄サリン事件などは、人間の想像力が生んだ悲劇だった。
想像力と科学との関係は、どちらか一方だけではダメなのだから、両者をどこかで調和させる必要があるように思える。そんなことが可能なのかと思われるだろうが、私は可能だと思う。例えば、武田泰淳という作家がいた。武田の家業はお寺さんだった。家業を継いだ武田は坊主になった。しかし、勉学を積んだ武田は左翼思想に傾倒していく。そして、「赤い坊主は生きられるのか」という問題に突き当たる。左翼思想は社会科学であって、仏教は想像力の世界にある。相当大変だったと思うが、やがて武田は「ひかりごけ」という短編小説を生み出す。この作品は、そもそも人が人を裁くことは可能なのかという問題を扱い、裁判制度の本質に迫るものだった。そしてそのことを武田は小説という想像力の世界において、表現した訳だ。すなわち、この小説において武田は、科学と想像力の融合に成功している。同じようなことは、戦後のプロレタリア文学においても言えるのではないか。この想像力と科学の領域を融合させるという点に、近代日本文学の妙味がある。
別の見方をすれば、武田泰淳は、政治や法律という大衆から見れば遠い領域の事柄を、小説という大衆にとっても身近に感じられる文化的な領域にまで引き下げて見せた、とも言えよう。大衆にとって裁判は遠い事柄だが、小説は身近であるに違いない。
大衆にとって遠い存在である政治を、大衆にとって身近なレベルにある文化の水準まで落とす。そして、文化のレベルで解決を図っていく。どうも、ここら辺に解決の糸口があるように思える。
例えば、アメリカではBlack Lives Matterという運動がある。このキャッチコピーが人々を団結させ、人権擁護運動を推進させている。警察官などから暴行を受けてきた黒人たちには、複雑な思いがある。その複雑で曰く言い難いことを一つのコピーで象徴させている。すなわち、言語化である。
同じくアメリカで、共和党サイドの運動だったと思うが、Tea Partyがあった。これは、大衆がご近所さんを自宅に招き、お茶を飲みながら政治の話をするというもの。これも、政治という遠い存在を、お茶を飲むという文化的な水準に引き下げようとする試みである。
探してみると、日本でも同じような試みは少なからず存在する。最近、ツイッター・デモという言葉が生まれた。同じハッシュタグを付けて、皆で同時に呟く。すると、その言葉がツイッターのランキングに登場して、政治的な影響力を持つ。
「私立Z学園の憂鬱」というマンガもある。このZは、財務省の頭文字と掛けている訳だが、主人公の女子生徒が消費税の欺瞞を暴き、次々と大人たちを論破していくというもの。複雑な経済の話ではあるが、マンガなら若い人でも読みやすい。
マイナーな話ではあるが、経済学者の松尾匡氏はYouTube番組に出演する際、オリジナルのセーターだったか、ジャケットを着ていた。そして、そのジャケットの胸の辺りには大きく「反緊縮」と書かれてあった。思わず笑ってしまったが、これなども複雑な経済の話をファッションという文化的なレベルに落とす試みだ。これ、Tシャツで販売されれば、私だって着てみたいと思っている。
こんな話はいくらでもあるのであって、安倍晋三を揶揄する歌もあった。メロディーは完全にストーンズの「悲しみのアンジー」なのだが、その歌詞は「お腹が痛くちゃ、政治は無理だよ~♪」というもの。
思うに権力と文化は、その位相は異なるものの、時に対立するのだ。例えば、北海道の開拓に乗り出したとき、和人はアイヌに対する弾圧を始めた。当時、アイヌの結婚している女性たちは、口の周りに刺青を入れていたが、和人はこれを禁止した。そして、和人はアイヌの人々に日本語を教えたのだ。この時点で、アイヌの文化は和人の持つ権力に屈したように見える。しかしその後、アイヌの文化を守ろうということになり、現在では多くの人々がその活動に参加している。強固な文化は、そう簡単には死なない。
人間の認識を高める限界設定(リミットセッティング)ということで言えば、それは言語と国家ではないか。言語という限界、国家という限界の中で、私たちは認識能力を高めていくべきだと思う。
文化という水準の、その領域に、私たちの希望がある。
この問題、もう少し考えてみたいと思うのだが、今は、フーコーに戻るべきだと思う。フーコーに関する文献をもう少し読み込んだ後、このシリーズの後半に着手したいと思っている。