文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

コロナが襲った呪術の国

昨日、東京都の感染者数は1591人で、全国ベースでは約6千人だった。メディアもこの話題で持ち切りだが、私にはいくつかの不満がある。

 

まず、感染の原理についての解説が少ないことだ。素人ながら思うに、人間の発声、咳、くしゃみなどによって飛沫が拡散し、それが 1)直接他人を感染させる、2)物を介して感染させる、3)空気を通じて感染させる、という3種のパターンがある。すると、マスクの着用が重要なのであって、マスクをしていない時には声を出さない、声を出すのであれば、必ずマスクを着用する、というモラルを徹底することが重要ではないのか。例えば、ビジネスパースンたちのランチは、重大なリスク要因となっているのではないか。ネット上では、食後に彼らはマスクもせずに大声で歓談しているとの指摘もある。

 

次に、アビガン。コロナの初期症状には、アビガンが有効だという話があった。そして、日本はアビガンを大量に他国へ供与したのではないか。しかしその後、政府はアビガンを認可しなかった。そうは言っても、自宅療養を余儀なくされるケースは増加しており、その際、何の薬も使用できないよりは、アビガンを利用できるようにすべきではないのか。実際、多くの病院で、既にアビガンを使用しているのではないか。まさか、アメリカ製のワクチンを大量に使用するため、日本製のアビガンを抑制しているということはないと思うが・・・。

 

GoToキャンペーンもはなはだ、疑問である。これ、昨年の12月27日までは実施されていた。冬になって気温が下がれば、コロナの感染が広がるということは、素人でも分かる。旅行に行けば、旅行先で食事をする。GoToキャンペーンがコロナを全国に拡散させたのではないか。

 

最後にオリンピック。そんなもの、できるはずがない。

 

ところで、人間の世界を「生存領域」と「認識領域」に分けるという考え方だが、簡単に述べてみたい。

 

かつて人間は、狩猟・採集を生業としていた。集団で暮らし、その空間が全てだった。狩猟・採集から、農耕・牧畜へと転換していく途中の段階で、人間は「家」を発明する。家ができたことによって、私的領域が生まれる。同じ家で暮らす者、それが家族だとも言える。反射的効果として、家の外に職業領域が生まれる。分業が進むにつれ、職業領域は分化して行ったに違いない。そして、哲学から分岐した科学が生まれ、学問が発達する。それらを子供たちに教育しようということになり、学校ができる。子供たちを秩序化しようということで、狩猟の際に用いていた人間の身体能力を体系化し、スポーツが生まれる。貨幣が流通し、経済領域が拡大する。ざっと述べると、こんな所ではないか。

 

<生存領域>

・私的領域

・職業領域

・科学領域

・教育領域

・スポーツ領域

・経済領域

 

次に、生存領域から「認識領域」が分化する。

 

まず、人間は遊び始める。遊びとは、自らルールを決めるのであって、その点がスポーツとは本質的に異なる。遊びが体系化されると呪術が生まれる。(呪術:物に願いを込める行為)呪術が発展すると芸術が生まれる。芸術が更に発展すると宗教となる。宗教、特にキリスト教から、近代の思想が生まれる。(キリスト教と思想の結節点は、ジョン・ロックである。)

 

<認識領域>

・遊び領域

・呪術領域

・芸術領域

・宗教領域

・思想領域

 

西洋の歴史を鑑みるに、認識領域というのは上記の流れを持っている。では、日本はどうだろう。正月になれば神社へおまいりをし、お札をもらう。それは交通安全祈願だったり、安産や受験に関する祈願だったりする。鏡餅を飾り、門松を置く。そういう人は減りつつあるかも知れないが、これは日本伝統の習俗であって、その本質に変わりはない。すなわち、上の一覧で言えば、「呪術」の段階にある訳だ。

 

日本の食文化は素晴らしいが、言ってみれば、これは「生存領域」にあるのであって、そこから芸術として十分に分化を果たしていない中間的な領域だと言えよう。着物もそうだし、陶芸も同じだ。西洋の絵画は、「生存領域」とは切れていて、そこに実用性はない。他方、日本の屏風絵や襖絵などは、生活空間の中に存在するものであって、「生存領域」から分化を果たしているとは言えない。

 

このような見方をすると、日本人の「認識領域」の水準は「呪術」にあることが分かる。宗教と言っても、それは生活習慣に密着してはいるが、思想性はないのである。結婚式は教会で挙げ、葬式は仏式で、お札は神社へ行ってもらうのである。宗教について、真剣に思考する日本人は、稀だと言っていい。

 

呪術の国。それは日本なのだ。

 

結局、明治維新があって、日本人は西洋の文化を必死に学んだのだろうが、それは模倣を試みたに過ぎないのであって、その本質を理解してはいないに違いない。「認識領域」における日本人の水準は、多分、江戸時代から進化していないのだ。天皇陛下は神様で、総理大臣はお殿様だと思っている。多くの日本人は、芸術、宗教、思想などに興味は持っていない。憲法など、どうでもいいのだ。資本主義や社会主義も、どうでもいいに違いない。そんなことはどうでもよくて、ただ、ひたすらに日々の生活と経済に向き合っている。日本人は徹底的に「生存領域」で生きていて、そこでは世界的に見ても目を見張る技術を持っているのだが。

 

そこに、コロナが襲ってきたことになる。

 

コロナがターゲットにしている領域は、「生存領域」である。これは大変だ。日本人がメインで生きている領域が、今、コロナによって脅かされている。そこでやっと、メディアも政権に対する批判を始めることになったのだ。コロナに襲われて、日本人はやっと重い腰を上げ、思考し始めたに違いない。