ミシェル・フーコーの遺作となった「性の歴史」は3部作となっており、今回取り上げるのは、2番目の作品である。
性の歴史I 知への意志
性の歴史II 快楽の活用 ・・・今回はコレ
性の歴史III 自己への配慮
物事には、因果関係というものがある。原因があって、結果がある。但し、原因を遡るとそれは限りがないのであって、結果の方にも同じことが言える。例えば、風が吹けば桶屋が儲かる、といった具合に。フーコーの文章は、この原因に向かう「何故ならば」という接続詞と結果に向かう「従って」という接続詞が多用されているように感じる。(「何故ならば」という言葉は、翻訳文においてはしばしば「というのも」という表記が用いられている。但し、これは翻訳上の問題に過ぎない。)こうして、因果関係の流れを原因系に向かったり、結果系に向かったりしながら、彼が重要だと考えるポイントに収斂させていくのだ。それはあたかも精密機械のようなものであって、その緻密さを再現することなど、誰にもできはしない。
その上で簡単に述べると、この作品が主題としているのは紀元前5世紀から3世紀はじめ頃のギリシャにおける哲学者たちが、性の問題をどのように考えていたか、という点にある。ざっくりと言って、今から2400年も昔の話なのである。フーコーがそんな昔のことに何故、興味を持ったかと言えば、簡単に言うと次の事情がある。(・・・と私は推測する。)
まず、フーコー自身がゲイだった。それはフーコーの人生に多大な影響を及ぼした。しかし、フーコーが生きた時代の価値観は、キリスト教の影響を色濃く受けており、その価値観は、同性愛を否定するものだった。そこでフーコーの思想的な探究は、「それではキリスト教が発生する以前はどうだったのか」という点に向かう。そして行き着いたのが、古代ギリシャだった。
古代ギリシャには政治に参加できる自由人と、奴隷がいた。そして、その社会には男女の結婚という制度があったが、同時に男同士の同性愛が容認されていたのだ。その形は、成人した男性と未成年の若者との間で成立していた。そういう社会にあって、ギリシャの哲人たちは、思考したのである。
まず、自分たちの強い性欲について考える。それは道徳的にいいとか悪いとか、そういう観点ではなく、性欲の強さに彼らは着目した。そして、性欲に負ける者とそれに打ち勝つ者という対立関係を措定する。性欲に負ける者は、自らを統治できないのであって、そのような弱い男は家庭を管理することができないし、ひいては国家を統治することもできない。そのような男は、性欲に支配されているのであり、自由を獲得しているとは言えない。反対に、自ら持っている強い性欲を統治できる者は、家庭や国家をも統治することのできる真の自由人なのだ、と考える。
そもそも、セックスの後には強烈な疲労感があるのであって、これは健康に影響があるに違いない。そのような観点から「養生術」に至る。例えば、セックスに適している季節と、そうでない季節があるに違いない。
- 愛欲の営み(アフロディジア)に専念すべきは冬であって、夏ではない。しかも春と秋には、きわめて控え目におこなうべきである。さらにいうと、それはどんな季節においても骨の折れることであり、健康に悪い。(P.151)-
そんなことを考えていたらしい。21世紀に生きる私たちからしてみれば、誠に馬鹿馬鹿しい話ではあるが、前にも述べたように、これは2400年も昔の人が考えたことなのだ。当時、医学は存在していなかったし、現代人以上に、人々は自らの健康に留意する必要があったのだろう。
更に古代ギリシャの哲人たちは思考する。男女間の結婚よりも、男たちの同性愛の方が、事情は複雑なのである。支配的なのは成人男性であって、若者は女性的な、被支配的な役割を果たす。しかし、若者たちもやがては成人して自由人となり、政治に参加するようになる。すると、同性愛において男たちが取るべき態度はどうあるべきか、という問題に行き当たる。更に突き詰めて行くと男たちの「真の恋」とは何か、という課題に到達するのだ。
すなわち強い性欲、快楽と言っても良いが、そこから出発して自由を獲得し、それを突き詰めて真理に至る。ギリシャの哲人たちは、そのような思想を構築したのである。本文献のタイトルである「快楽の活用」という言葉の意味は、快楽という人間にとっては厄介なものがあるが、そこから出発して、それを逆手に取って、真理に至る思想を形成する、という意味だと思う。
もちろんフーコーは、「セックスは冬にしろ」というようなことを言いたかった訳ではない。身近にある単純なことからでも出発して、とことん考えろ、例えば古代ギリシャの哲人たちは、このように考えたんだよ、俺たちだって考えるべきなんだ、ということを言いたかったに違いない。
主題とは離れるが、本文献には哲学について述べたフーコーの言葉が記されている。
- 哲学が明らかにできるものというと、実際それは人が「自分より強いもの」になることであり、人がそうなってしまうと今度はさらに哲学は、他の者よりまさる可能性を与えてくれる。哲学はそれ自体の力によって支配の原理である、というのは哲学こそは、ひとり哲学こそは思考を指導する力をもつからである。(P.268)-
この箇所を読んだとき、私は「葉隠」を思い出した。「武士道と言うは、死ぬことと見つけたり」という、あれのことだ。当時、時代は平和だった。平和な時代にあって、武士たちは堕落したのである。いざというときには、自らの命を投げ出さなければならない。それが、武士という職業の宿命だった。しかし誰だって、死ぬのは怖い。その恐怖から出発して、その恐怖を逆手に取って、「死んでしまえ」という美学を唱えたのが「葉隠」である。古代ギリシャの思想に通ずるところがある。
ところで、本文献の末尾において、訳者は「遺書」という言葉を用いている。私の推測を言えば、フーコーはこの「快楽の活用」を執筆した当時、既に自らの死期が近いことを知っていた可能性がある。むしろ、知っていたと考えるべきだろう。「快楽の活用」と「自己への配慮」が出版されたのは1984年だが、同年の6月にフーコーは死去している。また、自らが、未知のウイルス(エイズ)に侵されていることをフーコーは早い時期から知っていたとの情報もある。その意味で「快楽の活用」は、そこに記された思想という客観的な意味と、フーコー自身にとっての個人的な意味の双方を持っていると言えよう。
(参考文献)
文献11: 快楽の活用/ミシェル・フーコー/新潮社/1984