文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

領域論(その13) 秩序領域

 

権力が、秩序をもたらす。そのことを端的に示すのが、この「秩序領域」である。

 

その外観に注目して、人間は植物図鑑を作った。そして、それぞれの機関が持っている機能に注目し、人間は動物図鑑を作った。そのようにして、ある総体を要素に分解することによって、人間は認識能力を向上させてきたのだ。それは、主に自然科学の分野で成果を挙げたに違いない。しかし愚かな人間は、その手法を人間自身にも適用させようとしたのではないか。そして、監獄が生まれる。その経緯は、フーコーの「監獄の誕生」に詳しい。

 

人間はまず、働くことが可能か否か、という点で区分けされたのである。そして、監獄のシステムが誕生する。これはまず、囚人を1か所に集める所から始まり、次に時間割に従って、囚人を訓練するのだ。すなわち、空間、時間の双方において、人を管理するのが監獄システムだと言える。そこでは厳しい規律が定められ、監視される。そして、規律に従わなかった囚人には、処罰が加えられる。

 

18世紀の中頃、イギリスで産業革命が起こり、工場で働く労働者が急増する。やがて、工場労働者の生産性や技術はテストされることになる。テストで優秀な成績を収めた者の賃金は上昇し、そうでない者は落ちこぼれていく。軍隊や学校、そして企業も同じだろう。どれも似たようなシステムによって管理されている。

 

これらシステムの内部において、人間は階級によって認識される。集団やシステムにとって都合の良い尺度でテストが行われ、その結果に応じて、階級が決定されていく。このような集団を組織と呼んでもいいだろう。組織には組織の論理があるのであって、個々人の主体性は排除されていく。上意下達なので、個人の思想が醸成されることは、ほとんどないだろう。集団が認識する自己(階級)が、自己認識となる。階級が、主体を凌駕する訳だ。

 

この監獄システムは今日においても生きていて、それは政党、官僚組織、企業、大学の運動部、自衛隊などにおいて採用されている。統一されたルールを定め、その中で人間を戦わせる。そして、序列を決めるという点において、オリンピックはこの監獄システムの一例だと思う。そこに、個人の自由や主体の独立性は認められない。

 

これはどう考えても、人間にとって過酷なシステムであるに違いない。既に、様々な組織においてそのほころびが見え始めている。自民党においては、老害が顕在化している。官僚組織においては、離職率が上がっている。企業においては、フレックスタイム制が導入され、現在はコロナの影響で在宅勤務が浸透しつつある。自衛隊においても、採用が難しくなりつつある。

 

また、監獄システムは別の理由によっても変容を遂げているに違いない。工場労働を例にとって考えると、まず、人間が機械を操作し、その人間を監督者と呼ばれる他の人間が監視していた訳だ。やがて、オートメーション化が進み、原則的には何でも機械が行えるようになる。すると、人間は、機械が正常に作動しているか、それを監視すればよくなる。更に時代が進むと、工場に大量のロボットが導入される。ロボットの構造は複雑なので、人間にはこれを監視することが困難である。そこで、コンピューターがロボットを監視する。

 

人間 → 人間

人間 → 機械

コンピューター → ロボット

 

こうして、工場労働者の人員は、急速に減少していった。

 

多くの労働者は、第2次産業から第3次産業へと移った。今日の現状を見ると、そこには更に進展したシステムを見ることができる。宅配便の配達員は、小荷物を抱え、いつも走っている。労働者の4割が、非正規雇用となった。現代の労働者は、見方によっては、監獄システムよりも過酷な監視下に置かれているのではないか。

 

今日的なシステムの例として、フランチャイズがある。多くのファミレスやコンビニを運営するシステムのことである。まず、ブランドを所有する巨大企業がある。この巨大企業がブランド戦略、商品戦略、物流管理などの一切を決定し、個々の店舗を運営する個人事業主を募る。そして、ブランドを所有する巨大企業と、個人事業主が契約を締結する訳だが、ここに問題がある。契約書は小さな文字でびっしりと書かれている。契約に関する知識の少ない個人事業主は、これにサインする訳だ。大企業の方は、法律の専門家を使って、法律に適合するギリギリの条件を契約書に定めている。一度サインすると、後戻りすることは困難である。このようにして個人事業主は、大企業側に有利な条件を飲まされることになる。

 

最近、この問題が顕在化したのは、コンビニの24時間営業という業務形態である。365日、24時間営業では、休む暇がない。バイトの学生を沢山雇えば、個人事業主の負担は軽減するが、それでは利益が圧迫される。バイトの学生を常時雇えるかと言えば、そうではない。地域差もあるだろうし、時期的な問題だってあるだろう。そこで、外国人労働者を雇い入れることになる。

 

個人事業主も年と共に年令を重ねる訳で、深夜から早朝にかけての時間は、休業したいと思う。そう申し出ると、大企業の方はそれを拒絶する訳だ。結果、過労死する個人事業主まで出ている。この問題は、れいわ新選組の三井よしふみ氏が取り組んでいる。

 

このフランチャイズと前述の監獄システムを比較した場合、明らかな差異がある。監獄システムの方は、誰が権力者なのか、その人の顔を見ることができる。監獄であれば看守が、企業であれば社長が、学校であれば教師が、権力者なのである。他方、フランチャイズの場合、権力者の顔が見えない。それは、ブランドやシステムを保有している大企業であるのは確かだが、その会社はアメリカ企業であったりする訳だ。個人事業主が、大企業の日本法人を飛び越えて、英語でアメリカの本社と交渉することなど、不可能である。

 

昨年10月、みずほ銀行が驚くべき発表を行った。週休3日、4日制を導入するというのだ。一瞬、うらやましく思ったものだが、現実は甘くない。働く日数に応じて、給料も減少するというのだ。そもそも同行は、第一勧銀、富士銀行、日本興業銀行という日本を代表する3つの銀行が合併して誕生したのだ。合併とは、言うまでもなくリストラ策である。そこで、相当な人員削減が行われたに違いない。加えて今回の週休3日、4日制の導入である。これはワーク・シェアリングである。つまり、少ない仕事量を従業員の間で分配しようという施策である。いよいよ、日本もここまできたか、という感慨がある。

 

在宅勤務と言えば、それはとても良いことのように思えるが、多くの場合、残業代のカットを伴う。既に、副業を容認する企業も出始めている。

 

今日的な意味での「システム」においては、人間不在なのである。そこに人間的なぬくもりはなく、ただ、システムだけが膨張を続けている。私には、そう思えてならない。そして、この社会現象を究明するような学者、学説というのは、まだ出現していないのではないか。急速な変化に、学問が追いつかない。これも悲劇であるに違いない。

  

領域論/主体が巡る7つの領域

原始領域・・・祭祀、呪術、神話、個人崇拝、動物

生存領域・・・自然、生活、伝統、娯楽、共同体、パロール

認識領域・・・哲学、憲法、論理、説明責任、エクリチュール

記号領域・・・自然科学、経済、ブランド、キャラクター、数字

秩序領域・・・監獄、学校、会社、監視、システム、階級

喪失領域・・・

自己領域・・・