文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

領域論(その20) 領域と人格

 

<主体が巡る7つの領域>

 

喪失領域・・・境界線の喪失、カオス、犯罪、自殺、認識の喪失

生存領域・・・自然、生活、伝統、娯楽、共同体、パロール

原始領域・・・祭祀、呪術、神話、個人崇拝、動物

秩序領域・・・監獄、学校、会社、監視、システム、階級

認識領域・・・哲学、憲法、論理、説明責任、エクリチュール

記号領域・・・自然科学、経済、ブランド、キャラクター、数字

自己領域・・・無意識、知識、経験、記憶、コンプレックス、夢、狂気

(主 体)・・・意識、欲望、恐怖、想像力、意志、身体、言葉

 

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世間には、「この道一筋」に生きている人々がいる。彼らは幸せそうに見えるし、彼らの生き方を否定するつもりはない。私が敬愛しているジェイムス・コットンはブルース一筋の人生だったし、サックス・プレイヤーのソニー・スティットは生涯、ビバップを演奏し続けた。どちらも優れたミュージシャンである。彼らにとって、それは天職だったに違いない。しかし、天職などというものに、ついぞ巡り合うことのない人生もある。例えば、私のように。私は、多くの物事に挑戦してきたが、不幸にも才能というものを持ち合わせていなかった。また、現役時代は37年にも及ぶサラリーマン人生を過ごしたが、それが私の天職だと思ったことは、ただの1度もない。しかし、複雑化した現代社会においては、私のような人生を歩む人の方が、むしろ普通なのではないだろうか。

 

ところで、今回の原稿のポイントを予め述べておこう。人間の人格は、領域を超えたときに変容する。領域を超えることによって人間は成長する、ということなのである。

 

分かりやすい例として、まず、れいわ新選組山本太郎さんの半生を考えてみよう。

 

太郎さんは、高1のときに「元気が出るテレビ」に出演する。全身にオイルを塗って、海パン一丁で踊った。これはメロリンQと呼ばれ、芸能界にデビューするきっかけとなった。これは娯楽で、すなわち「生存領域」である。

 

やがて太郎さんは、俳優として本格的な映画に出演したり、舞台に立ったりするようになる。これは、原始領域である。

 

そして、2011年の東日本大震災が発生し、福島第一原発メルトダウンが起こる。ショックを受けた太郎さんは、まず、それまで政治に興味を持たず、選挙にも行かなかった自分を反省する。ここで、自己領域に目覚めた訳だ。

 

その後、危機感を持った太郎さんは原発の勉強を始める。また、芸能事務所を退社し、政治家に転身する。しかし、反原発について呼び掛けるよりも、人々はもっと身近な生活に興味を持っていることに気付く。そこで太郎さんは、経済の勉強を始め、現在の反緊縮という経済論に至る。そして、生存領域に基軸を置くれいわ新選組を立ち上げる。

 

喪失領域・・・

生存領域・・・メロリンQ、れいわ新選組

原始領域・・・俳優、役者

秩序領域・・・

認識領域・・・

記号領域・・・原発の勉強。経済学の勉強。

自己領域・・・東日本大震災を契機に反省。

 

このように、ある人の経歴を見ていくと、その人の人格を構成する主要な要素を見て取ることができる。また太郎さんは、領域を超える度に、成長している。そのことに反対する人は、いないのではないか。

 

辛口のコメントをさせていただければ、太郎さんには認識領域の経験がない。従って、経済には滅法強いが、法律はダメなのである。演説(パロール)は天才的だが、文章(エクリチュール)は今一つなのだ。ここら辺に、かつて私が違和感を持った理由があるに違いない。しかし、完璧な人など存在しない。彼は今、好きなお酒も断って、努力している。また、積極財政を掲げる政党は、れいわ新選組しかない。私は、これからもれいわ新選組を応援しようと思っている。

 

画家に転身する前、ゴーギャンは株式仲買人だった。これは、記号領域である。そこからゴーギャンは一気に原始領域へと向かった。そしてゴーギャンの才能は、南海の孤島において開花したのである。余談だが、ゴッホは画家になる前、牧師のような仕事をしていた。これは原始領域。しかし、ゴッホは困った人に自分のコートをプレゼントして、今度は自分が困ってしまうというようなことがあったのだ。周囲の人たちが見かねて、ゴッホは牧師の仕事をクビになってしまった。思えばゴッホにおいては、すべてが過剰だったに違いない。その感情が、情熱が、そして狂気が。もしゴッホゴーギャンの助言に従って、原始領域へと移行することができていたならば、ゴッホはあのピストル自殺を回避できたのではないか。原始領域には、人を癒す力があるのだから・・・。

 

他の黒人と同様に、マイルス・デイビスも差別を受けていた。若い頃、ジャズ・クラブに出演していたマイルスは、休憩時間にクラブの外に立っていた。すると白人警官がやって来て、どこかへ行けと言う。マイルスは、ただ、休憩しているだけだと答えた。すると白人警官は、マイルスに暴行を働いたのである。最近、この時の写真をネットで見たのだが、マイルスの着ている白シャツの胸の辺りが血に染まっており、私はショックを受けたのだった。

 

この黒人差別という問題は、マイルスの自己領域を構成する重要な要素となっていたに違いない。実際マイルスは、黒人でボクシングの世界ヘビー級チャンピオンになったジャック・ジョンソンの記録映画において、サウンドトラックを担当した。また、南アフリカアパルトヘイトに反対するSUN CITYというアルバムにも楽曲を提供している。但しマイルスは、自らのバンドには、多くの白人ミュージシャンを雇い入れた。この点、他の黒人から批判もあったが、マイルスはミュージシャンの能力と肌の色は関係がない、と主張した。つまり、白人に対する憎しみという自己領域の問題を、人種差別に反対するという認識領域の問題に昇華させて、決着を図ったのである。

 

このように、人間は領域を超えたときに成長するのである。では、どのようなときに、人は領域を超えることができるのか。それは、何らかの出来事を経験したときに、可能となるに違いない。但し、これらの経験だけで、領域を超えるという現象は、発生しない。その経験を受け入れるだけの心理的な柔軟さが必要だと思う。3.11の原発事故があったにも関わらず何も反省しない人だって、沢山いるのだ。そのような人々には、心の柔軟さが欠けているに違いない。英語で言うと、Open Mindということだろう。原発事故があって、更に太郎さんにはこのOpen Mindがあった。だから変われた、成長できたのである。

 

もう1つ言えるのは、芸術の力だ。芸術に慣れ親しんだ人は、それとなく自分にとっては未知の領域の存在を察するに違いない。最初はその意味を理解することが困難であっても、繰り返し、永い時間を掛けて芸術作品に接していると、次第にその魅力を理解する能力が養われる。そして、そのような時期は、若い頃に経験しておいた方が良いだろう。若い頃に芸術作品に接するか否か、それは人生の分かれ目だと言える。

 

「人は領域を超えたときに成長する」という原理は、人間集団にも当てはまるはずだ。ある集団があって、その構成メンバーがどんどん成長していけば、その集団自体が成長するに違いない。

 

この観点から言えば、現代の日本社会は、未成熟だと言わざるを得ない。その理由を考えてみよう。

 

1つには、歴史的な事情がある。第2次世界大戦に敗れた後、ドイツは大いに反省した。ナチズムに対する批判が世界中から浴びせられ、ドイツの国民は深く考えたに違いない。他方、日本はA級戦犯だった者がGHQによって重用され、総理大臣にまでなってしまったのである。反省する間もなく朝鮮戦争が始まり、日本は復興を果たした。加えて、アメリカでは2大政党制が定着しており、一定の期間内に必ず政権交代が起こる仕組みになっている。他方、日本では小選挙区制が採用され、確かに2度程それは起こったが、今日においても相も変わらず自民党の1強体制が続いている。日本の民主主義は、明らかに未成熟だと言えよう。

 

次に、経験の多様性が欠落しているという点を挙げることができる。日本社会においては、政治家のみならず医者や学者、魚屋から八百屋に至るまで、世襲制が浸透している。これでは、多様な経験を期待することはできない。

 

3つ目の理由としては、再チャレンジが許されない社会風土ということがある。官僚になったり、大企業に就職したりしようと思ったら、コースをはみ出ることは許されないのだ。高校、大学と受験戦争を勝ち抜き、新卒のタイミングで就職しなければならない。就職後も自制し、上司におべっかを使わなければ、出世は難しいのである。一度、ドロップアウトすると元のコースに戻るのは至難の業である。その観点から言えば、エリートの方が経験の幅が狭く、成長しないという傾向があるに違いない。

 

4つ目の理由として、日本においては芸術が未成熟なのではないか。絵画で言えば、日本はフランスに及ばないし、ジャズで言えば、東京はニューヨークに及ばない。芸術を育成しようとする文化が、日本には不足している。確かに、芸術は生きていくために必要ではない。しかし芸術は、文明を成熟させるためには、必要不可欠なのだ。

 

心の機能ということを先人たちは、真剣に考えてきた。その中で1番重要なのは想像力だと、今の私は思う。想像力が欠如していては、他人の痛みを理解することすらできない。想像力が不足していては、明日という日を切り開くことすらできない。そして、人間の想像力を培うものは何かと言えば、まず、現実の経験があって、次に、疑似的な経験とでも呼ぶべき芸術があるのだ。また、記号領域や認識領域を理解するためには、本を読む必要がある。(野生動物と触れ合うことも大切だ。)すなわち、これら経験などの多様性が確保されなければ、その文明は成熟しないのである。

 

日本においては、権力やシステムが強過ぎるに違いない。現在の日本社会は硬直化し、文明を成熟させるだけの余地が失われている。