文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

ご挨拶

ようやく春めいて来ましたが、皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。また、様々な形でこのブログにご協力をいただきました皆様、このブログを読んでくださった皆様、本当に有難うございました。とても励みになりました。

 

さて、「領域論」ですが、前回の原稿をもちまして、終了致しました。思えば、これは摩訶不思議な主張であって、仮にここに記したことが正しいとすれば、私たちは、歴史、宗教の成り立ち、芸術の本質、人間のタイプ、政治などについて、理解することができます。反面、「領域論」はある種の毒をも含んでいます。「領域論」をもってすれば、人間の発展段階を評価することが可能となるからです。仮にそんなことを面と向かって誰かに告げたとすれば、その人は怒り出すに違いありません。この点、ご留意いただきたく、宜しくお願い致します。

 

日本国憲法によって、私たちは男女の間に、人種の間に、境界線を引くことができなくなっています。それは正しいことだと思います。しかし、区別をしなければ私たちは認識することができません。そこで私は、「領域論」において新たな境界線を引いてみた訳ですが、それは新たな差別を生む危険を孕んでいるのかも知れません。

 

思えばこのブログは2016年7月に始め、その後、約4年半が経過したことになります。山登りにたとえますと、「領域論」において私は、山の頂上に至ることができたように思っています。もっと高い山、もっと険しい山の登頂に成功した人は、沢山おられることと思います。それらの人々に、私は敬意を払いたいと思います。しかし、私はこのブログと共に成長したのであり、「領域論」を書くことによって、私は強くなったのだろうと思います。その意味で、私はとても満足しています。私は、私が登りたいと思った山の頂上に立つことができたのですから。但し、「いかに書くか」という点から評価致しますと、これははなはだ完成度の低い結果となってしまいました。何しろ、途中で基本方針を変更したことが少なからずあったのですから。また、例えば「生存領域」とは言わずに「生活領域」とした方が、分かりやすかったのではないか、など反省点は少なくありません。

 

そこで、このブログの今後の運営方針を考える訳ですが、現時点では白紙です。1つのアイディアとしては、「領域論」に至る思索の全てを捨て去り、新しい山の登頂を目指すという方法が考えられます。但し、それは年令的に、私には無理なような気がします。(私は、来月で65才になります。)そうしてみると、「領域論」を新たに全面的に書き直すということが考えられます。バージョンアップさせるということです。原稿を書き上げた上で、推敲を重ね、完成度の高いものをブログにアップさせる。この場合、1年か、2年か、その程度の年月が必要になるような気がします。(重ねて申し上げますが、必ず完成させると約束できるものではありません。)

 

そこで、今更ながらという気もしますが、私のメールアドレスを公開することに致します。もし、「領域論」に対する批判的なコメントがありましたら、お気軽にお寄せください。

 

メールアドレス: yamakawa9356@gmail.com

 

2021年3月15日

山 川  哲