樹木から離れたリンゴは真下に落ちるし、水は摂氏0度で氷結し、100度で気化する。このように自然界には規則性があるが、人間の世界はそう単純ではない。かつて狩猟採集を生業としていた時代があった訳だが、ある部族は平和に暮らし、別の部族は戦闘的だったのではないか。例えば、雷鳴がとどろいた場合、ある部族はそれを吉兆だと考え、反対にそれを不吉な印だと思う部族だって存在したに違いない。かつて、人類は現実世界の出来事と夢の中の出来事とをうまく区別して認識することができなかった。そのような世界をカオスと呼んでいいだろう。
人類の歴史とは、カオスから始まったのである。
やがて、人類は秩序化に向かった。理由の1つには生活技術の進展を挙げることができる。衣服を作り出す技術、家を建築する技術などが誕生すると、人々は誰かの発明を真似たに違いないのだ。そして、部族単位で、同じような衣服を身にまとい、同じような家に住み始めたのである。例えば、縄文時代の日本人は皆、竪穴式の住居で暮らしていたのである。しかし、人類が秩序化に向かった理由は、そればかりではない。2つ目の理由は、祭祀から始まり宗教に至る一連のプロセスを挙げることができる。宗教は、人々のメンタリティや価値観を統合した。秩序化と言ってもいい。
すなわち、人類の歴史はカオスから統合へと進展したのである。
統合の進んだ人類の文明は、ある意味、国家という形で結実したのではないか。かつて、人類は国同士で戦った。世界の主要な国々において、それは第2次世界大戦まで続いたのである。日本も例外ではなく、国家という秩序を基礎として、敗戦へと突き進んだのである。
この統合して行こう、秩序化して行こうという文明は、戦後も続いたに違いない。それは、学校や企業において顕現した。この秩序に支配される多くの人間は、ある場所に隔離され、時間的に拘束されるのだ。生徒は制服を着て、囚人は囚人服を、勤め人は作業服を着せられて。
それがいつ始まったのか、まだ私に言い当てることはできないが、明らかにこの統合、秩序化という文明は変化を遂げた。今日の文明は枝分かれし、細分化が進んでいる。それを複雑化と表現する人もいるだろう。人々は思い思いの衣服を着て、住みたい住宅のスタイルを模索し、好みのゲームに興じている。経済と科学は目覚ましい進展を遂げ、グローバル化も進行している。最早、国家という枠組みで社会を統制することすら、困難な時代になったのかも知れない。
つまり、人間の文明はカオスから始まり、統合化を目指す段階を経て、現在、分化の途上にあると言えよう。
これからどうなるのか? それは誰にも分からない。このまま分化が進むのか、新たな秩序が生まれるのか、破滅するのか、それとも大いなるカオスに帰ってゆくのか・・・。