文化認識論

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ソクラテスの魂(その6) 死に至る経緯

 

そもそも哲学の起源は、どうなっているのだろう。そう思って入門書を調べてみると、最初の哲学者は古代ギリシャタレス(前624頃~546頃)だと記されている。タレスは「万物の大元(アルケー)は水である」と主張したという。その後、空気だとか火などがアルケーであると主張する者たちが登場する。彼らは「自然学者」と呼ばれ、彼らの思想は「自然哲学」と呼ばれる。

 

明らかに自然学者たちの興味の対象は、外界、自然界に向いているのであって、その思想が哲学だと言われると違和感を覚える。むしろ自然学者たちは、自然科学の基礎を築いたような気もする。ちなみに、ソクラテスも自然学者であるアナクサゴラスの文献を読んでいたという話がある。但し、疑問を感じたソクラテスは、その後、自然哲学と決別する。

 

そして、ソフィストと呼ばれる専門家集団が現われる。弁論術にたけた彼らは、詭弁を弄する知識人なのであった。但し、彼らにも一応、功績は認められている。1つには、自然学者たちとは違って、ソフィストは興味の対象を人間に移したということである。また、弁論術によって、人間の認識は大きく左右されるということを彼らは発見した。とは言え彼らの主張はあくまでも詭弁なのであって、そこに本物の「知」を見て取ることはできない。このソフィストたちに対抗して登場したのが、ソクラテスである。

 

私を含めて今日に至るまで多くの人々がソクラテスに魅了されて来た訳だが、その理由はいくつかあるに違いない。例えば、ソクラテスの場合、彼の運命と、人生と、思想とが、互いに関連しながら、1つの物語を構成している。そこにはあたかも小説を読むような臨場感があるのだ。しかし、その魅力の最大の要因は、ソクラテスの思想が今日的な課題をも言い当てているからではないだろうか。国家と個人との関係、倫理、法、認識など、今日まで続く言わば哲学上の課題の大半が、既にソクラテスの物語において登場しているのである。とりわけ、民主主義の限界が、指し示されているように思う。民主主義とは、多数決である。すると、そこにおいて権力を持つのは一般人、すなわち大衆であることになる。そして、この愚かな大衆が誤った判断を下す訳で、ソクラテスはこの権力を持った大衆に殺されたのである。してみると、哲学とは本質的に反権力、反大衆であることが分かる。

 

少し、急ぎ過ぎたかも知れない。ソクラテスが死に至った経緯を、もう少し丁寧に見てみよう。

 

まず、当時のギリシャには政治や宗教、文化などを共有する比較的規模の小さな集団が複数存在していた。これが都市国家とか、ポリスと呼ばれるものである。ソクラテスが所属していたアテナイも、都市国家の1つである。当時は戦乱の時代であって、戦争に負けた都市国家の人間は、奴隷として扱われていた。実際、ソクラテスも3回、戦争に参加したと言われている。そして、戦争に強かったアテナイには、参政権を持たない10万人の奴隷と、参政権を持つ2万人の市民が住んでいたのである。但し、参政権を得ることができたのは、30才以上の男だけだった。

 

当時、アテナイには10の部族が住んでいた。そして、各部族から50名ずつの陪審員がくじ引きで選出されるという仕組みになっている。つまり、総計500名もの陪審員が裁判における評決を下す。そして、この訴訟制度に基づき、ソクラテスに対する裁判が提起されたのである。原告は、以下の3名であった。

 

メレトス ・・・ 詩人の代表

アニュトス・・・ 職人と政治家の代表

リュコン ・・・ 演説家の代表

 

いずれも、ソクラテスによって自尊心を傷つけられた者たちの代表である。そして、原告である上記の3名が訴訟を提起した原因(訴因)は、次の2点であった。

 

訴因1: ソクラテスは、国家の定める神々を認めず、ダイモニアを導入している。

訴因2: ソクラテスは、青年を腐敗させた。

(求刑: 死刑を要求する)

 

まず、「訴因1」におけるダイモニアについてだが、これは「神霊」と訳すのが良いと思う。シベリア地方のシャーマンが、森の「精霊」の声を聴くように、ソクラテスも「神霊」の声を聴いていたのである。この神霊、すなわちダイモニアを差して、原告たちはアテナイが認める神とは異なると主張した訳だ。しかし、ダイモニアは神と人間との中間的な存在であり、若しくは神の声を人間に伝える媒介者であると言えるのであって、ソクラテス自身は、アテナイの定める神々を信仰していたのである。ちなみに、後のキリスト教社会においては、他の宗教が崇拝する神々をデーモンと呼ぶが、この言葉はダイモニアに由来しているものと思われる。

 

次に、「訴因2」の「青年を腐敗させた」ということだが、これはソクラテスが時に「若者愛」と呼ばれる性的な関係を基礎として、青年たちを教育していたことが非難されているのであろう。この原告らの主張は抽象的であって、具体性に欠ける。

 

そして、1回目の採決が行われる。この採決において問われたのは、まず、ソクラテスを有罪とするか、無罪とするか、という点である。投票結果は、次の通り。

 

有罪 ・・・ 265票

無罪 ・・・ 235票

 

これでソクラテスの有罪が確定した。続いて、量刑の審議が始まる。アテナイにおいては、死刑、名誉刑、財産刑の3種があったが、原告であるメレトスは改めてソクラテスの死刑を求めたのである。そこで、2回目の採決が行われた。すなわち、ソクラテスの死刑に賛成するか否かという点が問われたのである。投票結果は、次の通り。

 

死刑に賛成 ・・・ 360票

死刑に反対 ・・・ 140票

 

こうして、ソクラテスに対する死刑が確定したのである。ちなみに、「ソクラテスの弁明」は1回目の採決の後、2回目の採決が行われる直前に行われたものと思われる。そう思ってこれを読み返すと、感慨もひとしおである。(「ソクラテスの弁明」は2回目の採決の後で行われたとする説が、存在するかも知れない。しかし、そうであれば「弁明」する意味はない。よって、私は、2回目の採決の直前だと考えている。)

 

死刑という残酷な評決が下った後、ソクラテスは約1か月の間、監獄に収監された。その間、多くの友人や弟子たちが訪ねて来て、ソクラテスに脱獄を勧めた。しかし、ソクラテスは頑として譲らず、獄中で自ら毒のもられた盃を飲み干したのである。

 

ここまで述べると、先に述べた私の理解を説明することができるだろう。すなわち、ソクラテスは、「権力を持った大衆」に殺されたのである。この「権力を持った大衆」とは、原告の3名と、彼らを支持していた詩人、職人、政治家、演説家などである。そして、陪審評決において死刑を支持した、奴隷ではなく、30才以上の、360名の男たちだった。彼らにとって、ソクラテスは他者だったのだ。すなわち、「権力を持った大衆」は、ソクラテスの思想や言動を理解することができなかったのである。理解できない他者に、彼らは死をもたらしたのである。私は、そこに民主主義の限界があると思うのだ。戦後教育を受けた私は、とにかく民主主義は素晴らしい、それが最高のシステムだと教わってきた。しかし、そうではない。愚かな大衆は権力を持ち、そして賢者を抹殺するのである。そういう深刻なリスクを孕んでいるのが民主主義の真の姿だと言わざるを得ない。確かにそれは、愚かな人間が考案した最良のシステムかも知れない。しかし、決してそれがベストだと思ってはいけない。

 

ところで、「権力を持った大衆」は、本当にソクラテスを殺害することができたのだろうか。ソクラテスは本当に「権力を持った大衆」に殺されたのだろうか。そう考える訳だが、この問題は、簡単に次のように述べることができる。すなわち、彼らはソクラテスの身体を殺害することには成功した。しかし彼らは、ソクラテスの魂まで葬ることはできなかったのだ、と。こう述べて、異論を差しはさむ人はいないだろう。