文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

右翼と左翼の源流

 

そもそも、政治の世界には何故、右翼と左翼が存在するのだろう。どうもその理由は、歴史の中に答えがある。結論から言ってしまおう。右翼の源流は宗教にあり、左翼のそれは科学にある。

 

右翼・・・宗教

左翼・・・科学

 

どうりで、この2つの折り合いは悪い訳だ。

 

このブログでは、宗教が発生した歴史やメカニズムについては、既に、検討済みである。簡単に述べると、古代に動物信仰が発生し、その後、文字が発明され、宗教上の経典が記される。そこから権力が生まれ、体系化された宗教が生まれたのである。これは、人間が歩んで来た自然の流れである。従って、本稿では、何故、左翼思想が生まれたのか、その経緯を検討してみることにしよう。

 

西欧社会においては、主にキリスト教が政治や文化の中心的な役割を担っていた。その規律は禁欲的であり、合理主義に反するものでもあったのだ。人々は息苦しさを感じる。そんな歴史が長く続いた訳で、それに反対する文化として、例えば14世紀には人間復興、ルネッサンスが生まれた。従って、反宗教的な文化的な土壌は、既に育まれていたと言っていい。

 

そして、17世紀になるとガリレオらが地動説の正しさを証明し、ニュートン万有引力の法則を発見する。これらの科学的な進展の影響もあって、啓蒙思想が誕生する。啓蒙とは、未だ暗闇(蒙)の中にある人々の心を開こう(啓)とする18世紀西欧における思想的な運動のことである。百科全書、博物館や植物館が登場したのもこの時代のことである。啓蒙思想は伝統、権威、宗教を批判し、科学的な思考を尊重した。

 

この思想的な問題について、1784年11月、カントは「ベルリン月刊」という雑誌に「啓蒙とは何か」という記事を寄せた。その記事の中で、カントは次のように主張した。

 

今日とは、昨日に対する差異である。また、未成年とは、他人の権威を受け入れてしまう状態のことである。そして「脱出」とは、私たちを未成年の状態から脱却させる過程のことである。人間は、自分の未成年状態に責任がある。だからこそ、自分が自分自身に対して実行する変化によってしか、人間は、未成年状態から脱出できない。

 

啓蒙とは、意志、権威及び理性の使用の間にそれまで存在していた関係の変化である。啓蒙は、集団的プロセスであると同時に、個人的に実行すべき勇気の行為でもある。これを一言で表わすと、「知る勇気を持て」ということになる。

 

啓蒙は、次に記す3種類の理性と共に存在する。

  • 理性の普遍的な使用
  • 理性の自由な使用
  • 理性の公的な使用

 

啓蒙は、人類がいかなる権威にも服従することなく、自分自身の理性を使用する時(モーメント)である。

 

カントの主張の要約は、上記の通りである。

 

そして、カントの思想はヘーゲルが、ヘーゲルの思想はマルクスが、それぞれ批判的に継承したのである。ヘーゲル弁証法的に人間の社会は進歩すると考え、マルクスはその進歩の原理を労働や生産手段に求めたのだろう。そもそもヘーゲルが唱えたアウフヘーベンと、マルクスが唱えた革命という概念は、別の次元へ上昇するという意味において、似ているような気がする。

 

カント → ヘーゲル → マルクス

 

つまり、このような思想的な潮流があって、その頂点に位置するマルクスにおいて、左翼思想が生まれたのである。マルクスまでが、近代だと言える。

 

このような対立構造は、今日においても健在である。例えば、自民党の支援団体には、未だに宗教団体が軒並み名を連ねている。他方、日本共産党の綱領には「科学的社会主義を理論的な基礎とする」と書かれている。

 

右翼と左翼。宗教と科学。どちらがいいのかという問題がある訳だが、どちらもダメと考えるのがポストモダンの立場なのだと思う。