文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

反権力としての文明論(その3) 権力についての試論 - 宗教型

 

突然ながら、このシリーズ原稿において、私が提示すべき概念モデルのイメージが、固まりつつある。

 

主 体 → 文 化 → 権 力 → 真 理

(身体)   ←―――――(知)―――――→

 

例えば、ソクラテスのような偉人の人生を考えてみよう。幼少期においては、ソクラテスだって、遊んでいたに違いない。自分は、どれだけ速く走ることができるだろうか。どれだけ長く歩き続けることができるだろうか。遊びながら、そんなことを学んでいたに違いないのだ。すなわち、「私」(主体)を構成する最も重要な要素とは、身体なのだ。やがて、性の問題に直面する。更に年令を重ねると、文化の領域に入る。そこには、食生活をはじめとする生活技術に関する「知」があり、そして芸術がある。成人期になると、ソクラテスは様々な権力と衝突する。ソクラテスは当時のアカデミズムに疑問を持ち、権力の象徴とも言える政治家に幻滅した。そこで、権力を超える「知」、すなわち真理の獲得を目指したのである。

 

上の図は、そのようなソクラテスの人生の縮図である。但し、この図はもっと普遍的な意味をも持っているのであって、これは現在、私たちがその中で暮らしている現代文明をも表わしているに違いない。

 

例えば、ジョン・ロックは王様が持っている権力を解体しようとしたし、三権分立を唱えたモンテスキューは権力をコントロールしようとした。すなわち哲学とは、権力を超える「知」の力を構想する試みの歴史なのだ。

 

こう書き始めると、言葉が溢れ出てくるが、これは私の独りよがりである。そのように主張するためには、最低限、キーワードを定義しなければならないだろう。

 

では本論、すなわち「宗教型」の権力について考えてみよう。

 

宗教は、古代から現代に至るまで、その姿を変えながら文明の中で生き続けている。そこから生まれる権力も、時代と共に変化してきたに違いない。宗教を形作る主要な要素は、神であり、天国であり、地獄である。これは人間の想像力が生み出した、1つの世界観だと言えよう。現代における科学的な常識からすれば、それは明らかに間違っている。従って、科学に関する教育を徹底すれば、宗教は消滅するのではないか。そのような仮説が成り立つし、実際にそう考えた思想家もいた。しかし、現実はそう単純ではない。この点、アメリカの政治学者であるイングルハートは、次のように述べている。

 

- マルクスマックス・ウェーバーなどの古典的近代化論においては、科学的知識が普及すれば、宗教的価値観が低下すると考えられていた。しかし、実際にはそうなっていない。あくまでも「生存に対する安心感のレベル」が向上した場合に、世俗化が進む。(文献1)-

 

そうしてみると、宗教とは、その教義や経典に書かれていることの正しさではなく、人間の不安や恐怖心を利用するところにその本質があるように思える。イングルハートは、恐怖心をその基礎に持つメンタリティを「物質主義的価値観」と呼び、その傾向を以下のように指摘した。

 

・宗教を重視する。

出生率は高い水準で維持される。

・集団内の規範が尊重される。

・よそ者を排除する。

・強力な指導者を求める。

 

このようなメンタリティを持つ政治勢力は、今日の日本においても支配的な力を持っている。それは保守とか、右翼と呼ばれる集団のことであって、今日の日本においては自民党であり、公明党のことである。公明党の支持母体が宗教団体であることは公知となっているが、自民党と宗教団体の関係は、あまり語られることがない。しかし近年、「日本会議」という宗教団体に関する著作が発表されるなどして、次第にその実態が明らかになりつつある。また、相変わらず彼らは靖国神社に参拝しようとする。

 

この宗教型の権力が標的とするのは、人間の恐怖心である。

 

次に、この宗教型における権力者は誰なのか、という問題がある。宗教の初期において、その権力を保持していたのは、聖職者である。やがて、その権力は王様や殿様へと移行する。更に時代が進むと、今日のように権力は保守、右翼と呼ばれる政治家へと移った。但し、「恐怖心」を基礎に置くという本質に変化はないように思える。かつての聖職者は「神に祈らなければ、地獄へ落ちる」と言い、今日の政治家は「中国が攻めて来る」と言って、人々の恐怖心を煽るのである。

 

その被害者は誰だろう。直接的に言えば、対立する勢力であるリベラル、左翼の人々ということになろう。しかし、それだけではない。恐怖心に基づく政治は、判断を誤る可能性が高い。政治の誤りによる被害者は、国民である。

 

最後に、この宗教型権力の目的は何だろうか。宗教の起源においては、素朴に、部族の由来などを考えるものだったはずだ。例えば、自分たちの部族の起源はバナナであるとか、オオトカゲであるとか、そのような説を唱えたのである。そして、神話ができる。聖書などの経典ができる。そうしてみると、宗教型権力の目的も、少しずつ変化してきたのだろうと思えるのだ。当初は、世界観を持つという目的を持っていたに違いない。それが次第に、人間集団の差異を強調する方向に動く。差異、すなわち集団の内と外を認識しようとしたのである。やがて集団の内部における権力が生まれる。この集団内の権力は、集団の結束と現状維持を求めるのだろう。そのために、恐怖心が煽られることになる。この権力の目的を端的に表現すると、それは「現状維持」ということではないだろうか。

 

<宗教型>

背 景: 宗教

標 的: 恐怖心

権力者: 聖職者、王様、保守、右翼

被害者: 国民

目 的: 現状維持

実 例: 宗教団体、保守、右翼政党

 

このように考えると、人間の差異から生まれる権力は、変異を繰り返してきたことが分かる。それはあたかも、コロナウイルスのようではないか。

 

(参考文献)

文献1: 文化的進化論/ロナルド・イングルハート/山﨑聖子(訳)/勁草書房/2019