文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

救済としての芸術(その3) 哲学はいつから科学になったのか

 

 哲学と科学との間には、その起源から緊張関係が存在していた。最初の哲学者と言っても良いであろうソクラテスは、当時の自然学と決別し、独自の思想を構築したのである。しかし、多くの哲学者は、目覚ましい発展を遂げる数学や自然科学を横眼に見ながら、どうにか哲学もそのように構築できないだろうかと思案してきたのである。1+1=2 これならば、万人が納得する。しかし、誰もが納得するような哲学は、一向に成立しないのである。(但しソクラテスは、1+1=2 という数式にも疑問を持っていた。この足すということはどういうことなのか、疑っていたのだ。)

 

時は流れて、西洋では大航海時代を迎える。これはヨーロッパ人がアフリカやアジア、アメリカを発見したり、探検したりしていた時代のことである。当時のヨーロッパ人は、世界に多くの人種や民族が存在することに驚嘆したに違いない。但し、彼らはあることに気付く。どの民族も、どの部族も、大なり小なり宗教的な文化を保持していたのである。すると彼らは、これを人間の本質だと考えた。人間は神が作ったものであって、民族や部族が違っていても、そのことは予め人間の中にインプットされているに違いない。そう考えるのも無理はなかった。文化人類学が誕生する以前の話なのだ。

 

上記の考え方に、異論を唱えたのが、ジョン・ロックである。ロックは、生まれて来る時点での人間は、白紙であると考えた。生まれて来る時点では白紙であって、その後の経験が人間の考え方を形成すると考えたのである。これが、イギリス経験論と呼ばれる思想である。

 

敬虔なキリスト者だったロックの思想は、神学と哲学の境界線にあったに違いない。例えばロックは、旧約聖書を詳細に検討したのである。するとそこには、イブはアダムの肋骨から作られたと書いてある。当時は、アダムの方がイブよりも先に生まれたのだから、男の方が偉いという考え方があったが、ロックはそれを否定し、男も女も平等であると説いた。男の方が偉いとは、旧約聖書のどこにも書かれていなかったのである。このようなロックの思想を差して、科学であるとは言い難いだろう。

 

イギリス経験論に続いて登場したのが、ドイツ観念論である。そして、カントが登場する。

 

そもそも哲学の歴史は、1世代前のビッグネームを批判することによって、進展してきたのである。そして、カントはロックを標的にし、ロックの思想を批判することによって、自らの思想を確立したに違いない。カントはロックの経験論に代わって、純粋理性ということを持ち出した。人間は経験によって学ぶのではなく、経験によらずして認識することが可能だとカントは考え、主張した。その人間の能力をカントは純粋理性と呼んだのである。例えば、三角形の2辺の長さの合計は、残る1辺よりも長い。こういうことは、経験に基づくことなく、理解できる。人間の認識方法にはいろいろあるが、このように純粋な理性の力を正確に把握し、その限界を見定めた上で、これを活用すべきである、というのがカントの主張だった。

 

今でこそ純粋理性批判は、哲学の世界における古典的な名著であると言われているが、執筆当時においては、とても実験的で、最新鋭の思想だったのである。カントは同著の中で、自然科学と哲学を対比して、嘆いている。自然科学は学問として確立され、様々な発見がなされているのに、哲学の方は一向に学問的な体系さえ持ち得ていない。言わば科学コンプレックスを持っていたのである。

 

やがて、カントの念願がかなって、哲学はれっきとした学問としての地位を得たのだろうと思う。つまり、カント以降、哲学は科学となったのである。但し、それは自然科学とは区別され、人文科学と呼ばれた。

 

カントのマインドや思想は、ヘーゲルを経て、マルクスへと継承される。そもそも、マルクス主義唯物史観を基礎としており、これは「物質的生活の生産様式が、社会的、政治的および精神的生活過程一般を制約する」と考えるものだ。そして、マルクスは経済学を確立し、それは社会科学と呼ばれたのである。

 

唯物史観は、物質と精神の対立関係を措定し、物質や生産様式が精神を上回ると考えたのだろう。これは、本質的に私の文化論とは、相容れない。人間の歴史において重要な役割を果たしてきたのは文化であって、文化の中で人間は時に物質に願いを込め、物質との融和を図ってきたのである。そう考えるのが、私の立場である。

 

マルクスは宗教について「民衆のアヘンである」と述べている。その解釈については、諸説ある。1つには、宗教に対する反対の意思表示であるというもの。もう1つは、アヘンを鎮痛剤のようなものであると解釈し、必ずしも宗教を批判したものではないとする説。しかし、どう解釈しようと、マルクスが宗教を肯定的に捉えていたとは考えにくい。

 

私の文明観は、次のようなものである。

 

主体 ― 文化 - 秩序

 

この構図において、結局、資本主義もマルクス主義も、ある秩序を構築しようとするという点においては、一致している。構築しようとしている秩序の仕組みは異なるものの、秩序であることに変わりはない。それは宗教も同じで、そこに主体は存在しないのである。

 

例えば、日本では毎年、2万人もの人々が自殺している。科学的に、統計的に、そう述べることはできる。しかし、別の見方をすれば、そこには2万通りもの悲劇がある訳だ。その悲劇がどういうものなのか、科学はそれを説明することができない。1つひとつの悲劇を描写することができるとすれば、それは文学の仕事である。

 

また、人文科学という用語をネットで調べると、最初に哲学、次に文学がそれに該当すると書いてある。そんな馬鹿なことがあるはずはない。文学が科学だと言うのなら、谷崎潤一郎の「痴人の愛」や川端康成の「眠れる美女」を科学的に説明してみろ、と言いたい。このように理不尽な分類をして、あたかも科学や学問が万能であるかのような嘘をつくのが、アカデミズムである。私は科学やアカデミズムを全面的に否定する訳ではない。ただ、それらが万能であるという幻想は、捨てるべきだと思うのだ。