文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

秩序化としての戦争

 

人間の歴史のある側面を捉えると、それは秩序化の歴史だったと言える。簡単に述べよう。まず、人数の少ない部族で集まり、それが次第に人数を増やし、民族という概念に至る。民族で集まろう。同じ民族同士で仲良くしよう。それが、民族主義である。しかし、これはやがて行き詰まる。その1つの要因としては、近親相姦を回避しなければいけないという生物学的な理由を挙げることができる。どの民族にも女がいる。そして、その女はなるべく血のつながりの少ない他の部族へと嫁がせる必要があるのだ。つまり、民族を超えた交配が進むことになる。すると、一体、自分の民族の範囲はどこからどこまでなのか、分からなくなる。歴史を遡れば、我々ホモサピエンスは、ネアンデルタール人とさえ、交配を繰り返したのである。

 

ロシア民族は、他の民族よりも優れているとプーチンは考えているのかも知れないが、そんなことはない。どの民族も、その能力に差異など存在するはずがないのだ。

 

さて、やがて人類は文字を発明し、神話を記述するようになる。そして記述された神話をベースに、宗教が確立されてゆく。すると今度は、同じ宗教を信ずる者同士で仲良くしよう、ということになる。これも秩序化の1つだ。全人類が同じ宗教を信仰すれば問題はないが、そうはいかない。何故なら、人類には新たな宗教を生み出す潜在的な能力が備わっているからである。その証拠に今日においても、無数の新興宗教が生まれ続けているではないか。また、自然科学という宗教に対立する「知」が生まれ、宗教を信仰しない者まで登場したのである。

 

更に時間が経過すると、人間は地図を発明する。これは地球上の地理を理解するためにはとても便利だが、何と人間は、この地図の上に線を引き始めたのである。そこに居住する人々の民族、言語、宗教、歴史などを一切無視して、ただ線を引き、その線を国境と呼ぶことにしたのだ。こうして出来上がったのが、近代国家である。島国である日本に住んでいるとそのような感覚は希薄だが、例えば、アフリカの地図を見て欲しい。なんと直線の多いことだろう。人間が定規を使って、直線を引き、それを国境にしたのだ。そうやって出来上がった国家を単位として憲法や法律を定め、秩序を作り出そうというのが国家主義である。

 

民族主義の下においては、民族間の紛争があった。宗教の全盛期には宗教戦争があり、そして国家主義の下においては、国家間の戦争が繰り返されている。人類が築いてきた文明には数千年の歴史があり、それは、上に記したように秩序を求める歴史であったとも言える訳だが、その試みはことごとく失敗し続けている。私はこのように考えているので、民族主義と宗教と国家主義には反対なのである。そもそも、秩序化を求めるから失敗するのだ。そうではない別の道を進むべきだと思う。

 

このブログにおいて繰り返し述べてきたことだが、私は、文明を次の3要素に分けて考えている。

 

主体領域 - 文化領域 - 秩序領域

 

これを時間軸に従って並べ替えてみると、次の通りとなる。

 

文化領域 → 秩序領域 → 主体領域

 

まず、衣食住と性を含めた人間の身体の取り扱いに関する文化領域が生まれた。そこから、上に記したように民族主義、宗教、国家主義などの秩序領域が立ち上がってきたのだ。そして、秩序領域が生み出す最大の悲劇は、戦争である。そこから、戦争の非合理性、矛盾などに気付いた人々が、平和を唱え始める。反戦。それは、秩序に対する異議なのだ。この秩序に対して異議を唱える力は、どこからやって来るのか。それは、主体領域から生み出されるのだと思う。周囲の人々がいかに戦争に加担しようと、私だけは戦争に参加したくない。人を殺したくない。そのような意思は、自らの魂の中にしか存在しない。つまり、秩序領域に対するアンチテーゼとして、主体領域は育まれるのだと思う。その方向性は、ソクラテスが唱えた「自らの魂に配慮せよ」という主張や、晩年に「主体」の問題へと回帰したミシェル・フーコーの思想が指し示している。日本人である私たちにもっと身近な存在で、分かり易くこの問題を論じたのは夏目漱石である。漱石の「私の個人主義」という講演は、今から108年も前に行われたものだが、そこから学ぶべき事柄は少なくない。いや、全体主義化、右傾化の恐れが強まっている現代であればこそ、私たちは漱石個人主義とは何か、それを再び学ぶべきではないだろうか。

 

ちなみに「私の個人主義」は、以下の文庫本で読むことができる。

文献1: 漱石文明論集/岩波書店/800円 税別

文献2: 私の個人主義講談社学術文庫/660円 税別

(文献2の内容は1つの講演録を除き、文献1にも掲載されている。どちらか1冊を買うとすれば、文献1の方がおススメ。)

 

個人主義、自立した個人。そのような概念を基調にしたのは、近代思想だと言えよう。例えば、漱石の時代のことである。しかしながら、人類は2度に渡る世界大戦を経験し、無力感に捕らわれたのである。そこで、個人主義に対する懐疑が生まれた。

 

- 「強い個人」を前提にした議論として、その「息苦しさ」、抑圧性を指摘する批判が、少なからず寄せられてきた。 (中略) 西洋諸社会で、近年、「個人主義」という言葉が懐疑的、さらには否定的含意で使われることが多くなっている。-

(抑止力としての憲法樋口陽一岩波書店

 

上に引用した部分が、概ね、ポストモダンの思想だと言えよう。確かにそれは分かる。しかし、それではどうやって戦争を防止することができるのだろう? その答えが見つかっていない以上、それがどんなに息苦しいことであったとしても、私は、もう一度、個人主義に立ち返るべきだと思う。別の言い方をすれば、私たちは21世紀にふさわしい、新しい個人主義を確立すべきだと言うべきかも知れない。

 

ポストモダンの思想家としては、デリダ、ドゥールーズ、フーコーの3人が有名だ。どうやらドゥールーズは、加速主義に向かったらしい。しかし、フーコーは近代思想を批判しながらも、ギリギリ踏み止まり、主体の問題へと回帰したのである。