文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

戦争と文明(その3) 集団幻想としての対米従属

 

政治学者の白井聡氏の著作、「長期腐敗体制」(角川新書)を読んだ。とても興味深い本で、久しぶりに一気に読み終えた。何が書いてあるかと言えば、日本の権力構造が腐っているということなのだ。しかもそれは、長期に渡って腐り続けていて、かつ、それは誰か特定の個人が腐っているのではなく、「体制」、すなわち構造自体が腐っているという話なのである。

 

そんなに腐っているのであれば、検察とか裁判所がそれを取り締まればいい訳だが、残念ながら検察も裁判所も腐っている。みかん箱の中に、2つ3つの腐ったみかんが入っていたとしよう。この場合は、その腐ったみかんを取り出して、廃棄すれば良い。しかし、全てのみかんが腐っているような状態、それが現在の日本なのである。そして、国家という名のみかん箱自体を廃棄することはできない。

 

こう書くと、違和感を持つ人も少なくないだろう。自分は貧しくないし、現在の日本は平和で、他国よりも幸せだ。そう思う人もいるだろう。しかし、そう思っている人は、日本という国家の全体を見ていないのではないか。自分だけ幸福であればいい。そう思っていないだろうか。

 

政治の世界の表層について、したり顔で語る評論家やコメンテーターは少なくない。そんな中にあって、深部に潜む本質や原理、それを考えようとする白井氏の存在は、とても貴重だと思う。

 

ところで、白井氏は面白い基本認識を持っている。戦前の日本は、天皇制だった。少なくとも日本人の精神的な支柱は、天皇にあったのである。「天皇陛下万歳!」と叫んで、特攻に出かけた若い兵士は、少なくなかっただろう。やがて、日本は敗戦を迎える。GHQがやって来て、天皇人間宣言がなされ、日本国憲法が公布された。そこから、米国による日本支配が始まったのであり、これは大きな変化であるはずだ。しかし、実際には、天皇が米国に代わっただけで、本質的な構造に変化はないというのである。「長期腐敗体制」から、一部、抜粋させていただく。

 

- この間明らかになったのは、日米安保を基礎とする対米従属は、そもそもは国際関係において成り立ったはずのものが、国際関係を超えて、日本の国家体制、さらには日本社会そのものを腐食させてしまった、ということです。だから、正確に言えば、問題は対米従属そのものではなくて、戦後日本の対米従属の特殊な性格、それが戦前天皇制に起源を持つ、「国体」の構造に基づいて従属していることが問題なのです。

 この「国体」が徹底的に批判されなければならない理由は単純です。それは、「国体」がその中に生きる人間をダメにする、そこに生きる人間に思考を停止させ、成熟を妨げ、無責任にし、奴隷根性を植え付ける、そのようなものだからです。(P. 86)-

 

例えば、戦時中は国家権力の手先だった憲兵が、GHQがやって来ると急に民主主義者になり、朝鮮戦争が始まる頃にはレッド・パージ(共産党弾圧)に奔走する。自分の頭では何も考えず、ひたすら権力におもねる。日本には、そういう連中が沢山いて、それは昔も今も変わらないのである。そして、権力の中枢にいる人間ほど、その傾向が強い。

 

ここから先は、少し、私自身の言葉で記述してみよう。

 

ある時代のある地域や国家には、そこに暮らす人間集団が共通して持っている科学的知見、常識や価値観がある。これらのうち、権力と結びついているものを私は、「集団幻想」と呼んでいる。そして、多くの人々がこの集団幻想の内側で生きてきたのである。この立場から考えると、上に記した奴隷根性というものは、必ずしも日本人に固有の性質ではなく、人類に共通するものだと考えられるのだ。

 

例えば、中世ヨーロッパにおける「王権神授説」がそうだった。王様の権力は神から与えられたものだ、という説だが、王様は庶民よりも神に近いという意味である。

 

カトリックの歴史を見ても、同じことが言える。まず、神という幻想があって、神に近い者、神に仕える者が権力を持っていたのである。これに異議を唱えたのが、マルティン・ルターであって、ルターは「万人祭司」を訴えた。信者は誰でも祭司になることができるのであって、その意味で信者は皆平等だと、ルターは主張したのである。

 

では、対米従属について、考えてみよう。日本は、米国に戦争で負けた。負けたのだから、米国の支配を受けても仕方がない。これはリアルなのであって、幻想ではない。しかし、敗戦から既に77年もの年月が経過しており、未だに日本が米国に従属しているのはおかしい。同じ敗戦国であるドイツやイタリアは、とっくに米国の支配下から脱している。どこかにターニングポイントがあったはずなのだ。例えば、ソビエト連邦が崩壊した時点。これは東西冷戦の終結を意味するのであって、日本が米国に従属する軍事的な理由は消失してもおかしくはない事件だった。

 

それでも、日本の対米従属は続いた。つまり、対米従属はリアルから幻想へと変化したのである。そして、日本の権力者たちは、幻想と化したにも関わらず、対米従属にしがみついて、自らの権力を維持してきたのである。

 

少し日本の権力構造を単純化して考えてみよう。例えば白井氏は、それを「官僚の独裁」と呼んでいる。

 

そもそも、日本の官僚制度の起源は、江戸時代の下級武士が作ったと言われている。つまり、官僚制度は江戸時代から続いているのであって、それは明治維新という社会構造の抜本的な変革の波を乗り越えて、存続してきたのである。更に、第2次世界大戦における敗戦という国家体制の根本を揺るがす事件があった訳だが、官僚体制はここでも生き延びたに違いない。当時、官僚体制の中核は内務省にあり、その体制は戦後にも引き継がれたという説がある。そうだとすると、表向きでは国の形がどんなに変わっても、権力を持つ官僚の体制だけは何も変わらず、今日の日本をも支配していることになる。

 

日本の官僚組織と米国(米軍)は、日米合同委員会によって緊密な連携が図られているに違いない。この点は、次の書籍に詳しく述べられている。

 

知ってはいけない/隠された日本支配の構造/矢部宏治/講談社現代新書

 

ちなみに、日米合同委員会は現在においても毎月2回開催されており、そこに日本の政治家は出席していない。米側の出席者は軍部であり、日本側の出席者は官僚のみである。議事録は公開されず、そこでの審議内容は完全にブラックボックスとなっているのだ。

 

言うまでもなくコロナ対策は厚労省が、原発政策は経産省が決めている。そんなことで、世の中が良くなるはずはないのだ。

 

米国という権威を笠に着た、官僚たちの権力。その周辺に財界があり、自民党がある。そして、この権力構造に異議を唱えようとした政治家は、潰されるのである。日中国交正常化を行った田中角栄もそうだし、陸山会事件に巻き込まれた小沢一郎もそうだろう。

 

少し大きな視野に立ち返って、問題を整理してみよう。

 

ステップ1: 人間集団がある。

ステップ2: 人間集団は、幻想を生み出す。

ステップ3: 幻想の中から、権威が誕生する。

ステップ4: 権威に近いと主張した者が、権力を持つ。

ステップ5: 権力者や権力を持った集団は、経路依存性に陥る。

ステップ6: 経路依存性は、変化に対応しない。よって、強い権力に拘束された集団は、破滅を迎える。

 

これが、人類が繰り返している歴史の本質ではないか。モンテスキューが述べた通り、権力は腐敗するのだ。だから、権力は更新されなければならない。それができなかった集団は、破滅へと向かう。日本も例外ではない。日本は、今、確実に破滅へと近づいている。そして、破滅の1つの形、それが戦争なのだ。