文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

戦争と文明(その12) 権力の歴史

 

人類の歴史に沿って、権力の変遷を考えてみたい。ここで扱う歴史の区分は、以下の6種類である。

 

1.原始共産制

2.村落共同体

3.君主制

4.立憲君主制

5.立憲民主制

6.グローバリズム

 

上記の区分は、発生順に並べたものだが、それぞれの項目は、直ちに消え去るものではなく、あたかも積み木を重ねるように、今日の文明を重層的に構成している。例えば、エリザベス女王国葬は3番の「君主制」に由来しているだろうし、安倍元総理の国葬は4番の「立憲君主制」を利用したものだと思う。また、上記の区分は日本をベースに考案したものであって、全ての国に当てはまる訳ではない。例えば、独立戦争から生まれた米国において、君主制の時代は存在しない。

 

では、順に述べてみよう。

 

1.原始共産制

 この言葉を最初に述べたのは、マルクスエンゲルスだったように思う。人々は狩猟・採集を生業としていた。移動を繰り返すので、土地を所有する必要がなかったのである。

 この時代でも、人々の間に暴力は存在したに違いない。食物の奪い合いや女性を巡る男同士の戦いは存在した。しかし戦いの規模は小さく、今日、私たちが戦争として認識するようなものは、存在しなかった。この時代、暴力は存在したものの、戦争や戦争を引き起こすような権力は、存在しなかったのだ。

 

2.村落共同体

 狩猟・採集から農耕へと変化を遂げるその移行期において、村落が誕生したのだろうと思う。それは、移動生活から定住へと向かう、緩やかな変革期である。まずは移動の合間に簡単なキャンプベースのようなものを作り始め、その後改良を重ね、やがて家屋が生まれる。多くの文化人類学者が研究の対象としているは、この領域だ。未だ文字の存在しない無文字社会である。

 この段階においては、村と村の闘争は存在したに違いない。また、それを避けるための贈与、交換も頻繁に繰り返されていたのだろうと思う。贈与とは、自ら所有する何かを誰かにプレゼントすることであり、すなわち、この時点では既に所有の概念が発生している。贈与論において、マルセル・モースが描いた世界は、この位相に該当する。

 村が存在するためには、その象徴が必要となる。そのため、村には村長が存在したに違いないのだ。村長はシャーマンやその子孫、若しくは経済的に裕福だった家系の者がその任についたのだろう。村長と村民。ここで、身分の差異が生まれる。しかし、宝物が蓄えられた村長の家は、あたかも博物館のような役割を果たしていたに違いない。また、呪術師なども村長の家に集まっていたと思われ、その意味で、村長の家は病院でもあったのだ。すなわち村長の家は、文化の集積地だったのである。村民は、村や村長のために貢献し、その一方、祭などの機会を捉え、村長は村民に財物を分け与えていたのだろう。

 村落共同体において、既に権力の萌芽は見える。しかし、そこには贈与、交換という制度があって、争いや権力の顕現を抑制するシステムが機能していたと言えよう。

 

3.君主制

 主要な人々の生業は、農耕へと移行し、人々は定住を始める。文字が普及し始め、宗教上の経典などが作成される。この時代において、宗教上の権威者と武力や経済力を背景に持つ権力者の間で、相克が生まれる。但し、広範な地域を統率するという目的に照らして考えると、宗教上の権威者にその力はなかったように思う。日本を例に考えれば、そこには強力な仏教徒の集団があり、各地域に神社と神主がいて、更に、新興宗教が生まれ続けていたに違いないのだ。そこで、徐々に権威者よりも権力者の勢力が優勢になったのだと思う。

 君主制と呼ぶ位相において、権力は職業や身分と強い相関を持つようになったに違いない。江戸時代における「士農工商」など。また、人々の組織化が身分に関わる権力を生んだのではないか。

 但し、君主制の社会は、現代社会に比べると、遥かに地方分権が定着していたように思う。江戸時代の幕藩体制において、各藩はお抱えの武力集団(武士)を持っていたのである。江戸幕府は、藩の力を恐れたからこそ、参勤交代を義務付けたのである。

 

4.立憲君主制

 立憲という言葉は、憲法をもって国を設立するという意味だ。日本がこの体制を採用したのは、明治憲法を制定した時点である。明治憲法は、その第1条において、天皇がこの国を統治すると書いてある。ここに至って、宗教上の権威者と、武力や経済力を背景とする権力者とが統合され、国家権力が最盛期を迎える。そして、50年戦争とも呼ばれる日清戦争に始まり第2次世界大戦に敗れるまでの期間、日本はこの立憲君主制の下にあったのだ。

 天皇制は、神道に基づいている。この時点で、神道は国教としての位置を獲得し、反面、他の宗教は弾圧された。また、廃藩置県によって、中央集権化が進む。これによって、国家権力が他を圧倒するようになる。近代的国家の誕生である。

 このような権力の集中は、戦争への引き金となる危険性を孕んでいる。

 

5.立憲民主制

 1945年に日本はポツダム宣言を受諾し、全面降伏する。そして、マッカーサーが主導して、日本国憲法の草案が作成される。国会審議を経て、憲法草案は1946年に公布され、翌1947年に施行された。ところが、1947年の時点で、既にソ連が台頭し、米国の日本統治方針は180度変更された。これが憲法を巡る「逆コース」と呼ばれる現象である。マッカーサーは日本を「貧しくて戦争のできない国」にしようと思っていたが、その方針は「豊かで戦争のできる国」へと変わったのである。

 こうしてみると、米国や日本政府など、権力側が日本国憲法を遵守することを意図した期間は、ほとんど存在しないことが分かる。換言すれば、日本人は未だに本当の立憲主義、民主主義を経験したことがないとも言える。

 「逆コース」もさることながら、そんな日本国憲法が77年たった今日においても、一度も改正されることなく生き続けていること自体、歴史の不思議だと言わざるを得ない。

 日本国憲法は、三権分立を志向し、平和主義を掲げている。これを遵守することは、すなわち日本を戦争から遠ざけようとするものである。

 

6.グローバリズム

 実質的なことを言えば、日本の歴史は「立憲君主制」からいきなり「グローバリズム」へと移行したのではないか。それは1950年に勃発した朝鮮戦争を契機とし、その後の高度成長経済へと結びつく。日本経済は、朝鮮半島に武器を出荷し、米国に自動車を輸出することによって、目覚ましい発展を遂げた。

 日本は豊かになった。ここで、需給関係に異変が生じたに違いない。すなわち、供給力が需要を上回ったのである。そんなことは、過去に1度もなかったはずだ。供給力が需要を上回るということは、それはすなわち「お金さえあれば何でも買える」という状態を意味する。これが原因で、日本社会において拝金主義が横行するようになったのではないか。電通KADOKAWA、AOKIと言えば、お分かりだろう。彼らは皆、拝金主義者なのだ。

 また、経済的な発展は、新たな権力者を生み出したに違いない。それは大企業やその社員をはじめとする富裕層である。富裕層は経団連のような団体を通じてロビー活動を行い、政治に対し強い影響力を持つようになった。

 但し、日本の経済発展は、米国が許容する範囲内であったように思う。当初、米国は日本の経済発展を許容していたものと思われるが、1985年のプラザ合意、1989年の日米構造協議の辺りから、変化が生じたのではないか。米国は、日本の経済発展を疎ましく思うようになったのである。1990年頃、日本のバブル経済は崩壊し、以後、日本の経済は低下の一途を辿ってきた。その傾向は今後も続くものと思われ、日本は没落途上国になったのである。

 

 上記のように考えると、権力とは、人間集団の大きさに応じて、様々な形態が存在することが分かる。また、明らかに村落共同体における権力と、今日のグローバル社会における権力の大きさには、雲泥の差がある。

 

 グローバル社会における権力のバックボーンは、未だに軍事力にあるのではないか。経済力であれば、かつて日本は米国に対抗する力を持っていた。しかし、軍事力では圧倒的に米国に対抗できない。そこで、日本は米国に追従せざるを得ないのだ。

 

 軍事力に次ぐ権力のバックボーンは、経済力だろう。日本は今日においても、ODAと称して、途上国に対して多額の経済援助を行っているし、昨今、中国も同じ手法を使って途上国を支配しようとしている。

 

 人間集団の組織化が進展したことにより、身分を背景とした権力も台頭している。江戸時代の下級武士の組織が、明治以降の官僚組織を形成し、それは伝統的な日本の大企業にまで踏襲されてきたに違いないのだ。未だに高級官僚や大企業の役員には、天下り先が確保されているが、これは身分を背景とした権力の行使だと言えよう。

 

また、歴史の皮肉だと思うが、立憲君主制が崩れた後、国教以外の宗教活動が解禁されたという事実も看過できない。君主制の時代が宗教の全盛期だったとは思うが、グローバリズムの今日、宗教は第2の隆盛期を迎えているように思う。統一教会創価学会日本会議立正佼成会など、日本の政治に影響を及ぼしている宗教団体は、枚挙にいとまがない。これらはいずれも、幻想をバックボーンに持った権力だと言える。

 

まとめてみよう。権力には様々な階層があって、グローバリズムの今日においては、軍事力、経済力、身分、幻想などをバックボーンとして持つ権力が、社会を支配しているのである。