文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

戦争と文明(その19) 人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか?

 

表記の問題は、このシリーズ原稿における最後の設問である。私の考えを以下に記す。

 

この設問に対する答えは、その人の持つ歴史観に左右されるのではないだろうか。一方で、運命論というのがある。人間がどのようにあがこうと、大きな川の流れを変えることはできない。それは必然的にある方向に向かっているのであって、人間はそのような運命に身を任せるしかない小さな存在なのだ。そう考える人もいるだろう。歴史的必然ということも、よく言われる。人間の社会はある方向へと必然的に向かっている、という考え方である。

 

他方、歴史は偶然の積み重ねによって成り立つのであって、その行く末は人間の力によって変えることができる、とする立場もある。私は、この立場を支持しようと思う。例えば、マスケット銃が歩兵を生み、歩兵が民主主義を生んだとするカイヨワの分析がある。マスケット銃が発明される以前、一体、誰がそのような因果関係を想像しただろう。誰にも分からない、誰にも想像できない因果関係の連鎖によって、歴史は動くのだと思う。

 

例えば、紀元前399年にソクラテスは毒杯を飲み干して死んだが、彼の死は無駄だったのか。そんなことはない。確かに、ソクラテスに始まった哲学は、その後、千年を超える永きに渡って眠りについた。しかし、誰かが書き残した「ギリシャ哲学偉人列伝」という書物が、印刷技術の発明と共に西欧において脚光を浴び、哲学は息を吹き返したのである。そして、幾人もの思考する哲学者の努力があり、やがて人類は平和主義や人権の尊重という考え方を持つに至った訳だ。このようにして、人類が能動的に、主体的に動かしてきた歴史もある。つまり、未来を変えることは可能なのだ。

 

人間の世界において、確実なことなど何もない。つまり、人類には戦争を回避する可能性と能力とが備わっているのだ。

 

世界に眼を向けると、確かに米中対立はその危険度を増している。しかし、米国だって国内に多くの課題を抱えているのであって、太平洋を挟んだ向こう側の台湾で、戦争などしている余裕はないはずだ。銃規制をどうするのか、人口妊娠中絶をどうするのか、そして南米から大挙して押し寄せる難民をどうするのか。

 

習近平は独裁的な権力の確立に成功したようだが、権力はいつか必ず崩壊する。永遠に続く権力など、存在しない。権力闘争に勝利して獲得した独裁的な権力は、権力闘争というリスクから逃れることができない。この点は、プーチンも同じだろう。

 

日本もまた、危機的な状況にある。新自由主義反知性主義によって、人心は破壊し尽くされたかのように見える。確かに、日本には敗戦という不幸な歴史がある。また、大国が核武装を進める中、日本の防衛は米国に頼らざるを得ないという事情もある。日本人は逆立ちをしたって、米国から自立することなどできない。そう考える人は、少なくないのだろう。そうであれば、日本人が何を考えようと、全ては無駄なのだ。日本ではこうした虚無感、拝金主義などが交錯しており、その中心に位置するのが自民党ではないか。

 

日本人が成し遂げるべきこと。それは明確だと思う。まず、統一教会を解散させることだ。次に、自民党政治から脱却することである。そのためには、与野党を含めて、政界を再編する必要があるだろう。そして最後に、カルトのみならず、あらゆる宗教から卒業しなければならない。カルトは駄目だが宗教は否定しない、との主張をよく耳にする。しかし、カルトと伝統的な宗教との間に、一体、どのような差異があると言うのだろう。信じろ、思考するな、と主張する宗教は、疑え、思考しろ、と主張する哲学と、真っ向から対立する。宗教は権力を生み、人々を奴隷化する。私たちは、哲学の側に立脚すべきなのだ。