文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

科学と経済

 

昭和の時代に何故、経済が急成長したかと言えば、それは科学が次々に新商品を生み出したからではないか。私は昭和31年生まれだが、今から思えば、子供の頃には未だ普及していない商品が沢山あった。クルマだって少なかった。父親がスバル360を購入した時には、歓喜したものである。電話もなく、必要な連絡は近所の家の電話を借りたような記憶がある。洗濯機も出始めで、2本のローラーの間に挟み込み、手動でローラーを回して、洗濯物を絞る方式だった。

 

隔世の感がある。しかし、そんな昔を懐かしむのが本稿の趣旨ではない。実は、人々が本当に欲しがる、つまりニーズのある新商品の発明が、ほぼ、終わりつつあるのではないか、という恐ろしい話をしたいのだ。

 

私は、築30年程の決して新しいとは言えないマンションに住んでいるが、それでも快適に暮らしている。蛇口を捻ればお湯が出る。冷暖房完備で、テレビはカラーだし、洗濯機は全自動だ。もちろん、そんなことを言っても、全く自慢にすらなりはしない。それが当たり前になった時代なのだ。

 

近年の技術革新を支えてきたのは、ITである。しかしITも、スマホが普及した頃から、成熟段階に入ったのではないか。最近、ツイッター社とフェイスブックの運営会社が、大規模なリストラを発表した。何か、象徴的な出来事であるような気がする。

 

ウィンドウズのOSだって、95や98の頃にはバグがあった。しかし、それもXPが登場すると、ほぼ、解消されたように思う。調べてみると。そのXPが登場したのは2001年である。もうパソコンですら、成熟段階に入っているに違いない。

 

空飛ぶ自動車ができるという話がある。しかし、そんなものを作っても、どうせ事故を起こして地上に落ちてくるに違いない。危なくって仕方がないので、止めて欲しい。

 

誰もが欲しがるような新商品。それが発明されないということを経済の側面から言えば、新たな需要が生まれないことを意味する。

 

慢性的な需要不足。問題は、これである。

 

大企業は巨額の利益を上げていて、内部留保の総額は500兆円を超えるらしい。しかし、大企業も困っているのではないか。投資先がないのである。

 

War is not the answer ! (戦争は解決策にならない!)・・・という標語がある。私もそう思う。加えて私は、科学や経済も解決策にはならないと思うのだ。私たちはそのことを認めて、スローダウンし、既に到達した快適な暮らしを何とか守っていく方策を考えるべきではないか。