文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

長生きするのも楽じゃない

 

先日、ネット上でショッキングな記事を見掛けた。それは独身男の死亡年令に関するもので、統計学上の中央値は67才だという。私は現在66才で、半年後にはその年令に達する。その記事は、結局、男の方が女よりも生命力が弱いという結論で結ばれていたが、私としてはそんなことはどうでもいいのである。重要なのはそろそろ私もそのような年令に達したということなのだ。

 

少し気になって調べてみると、男の平均寿命は81.4才で、日本人全体の平均年令は48.6才だそうだ。

 

このように統計上の数値を並べてみても、既に私が長生きをしているのか否か、一向に判然としない。但し、私は決して若くはないのであって、その意味では長生きをしている部類に入るだろう。若いかどうか、それは相対的なのであって、絶対的な基準はない。このような考え方を「相対主義」という。

 

ところで、私はラーメンが好きだ。どんなラーメンが好きかと言えば、それにはある基準となるイメージがある。例えば、もう何十年も前の話だが、飲み会の帰り道に食べた屋台のラーメン。あれは旨かった。あの時に食べたラーメン。それが理想なのだ。そのラーメンは、あっさり系のスープに細麺だった。当時、ラーメンと言えばそれが主流だった。私は、今もそのようなラーメンを探し求めている訳だが、一向に巡り合わない。どうやら、最近は「家系」と呼ばれるラーメンが主流となっており、こちらはこってりスープに太麺なのである。気がつくと、どこの店へ行ってもそんなラーメンばかりで、私の好きなラーメンは、もう日本から消えてしまったのかも知れない。

 

ラーメンと言えば、かつては必ずナルトが入っていた。最近は、これを見掛けることもなくなった。どうでもいいような話ではあるが、私はやはり、ナルトが入っていないと少し寂しい。

 

親子丼にも同じようなことが言える。最近は、「ふわトロタイプ」が流行りで、これまた私の好みとは違う。

 

どうしたことだろう。

 

寒くなると、厚手のジャケットは必需品だ。しかし、これを買うのも一苦労なのだ。普通、ジャケットなど、どの程度の頻度で買い替えるのだろう。3年に1度は買い替えるのが一般的だろうか? 私の場合は、物持ちが良いと言うか、無精と言うか、ケチと言うか、気に入ったものは長く着るのである。気がつくと、10年以上前のものを着ていたりする。すると、街中を歩いている時に、ふと気づく。周囲の人が着ているものと私が羽織っているものとが、根本的に異なるのである。

 

紳士物のコートやジャケットも、流行の変化は激しい。昔は、内側に羊毛のようなものが付いているのが主流だった。その後、トレンチコートが流行り、ダウンが登場する。当初のダウンジャケットは着ぶくれして仕方がなかったが、最近は技術が進歩して、薄手で暖かいものが出ている。

 

つまり、私としては気に入っている古いタイプのジャケットを探す訳だが、既にそんなものはどこにも売っていないのだ。従って、必然的に店員さんが勧める新しい、私としては違和感のあるジャケットを選択しなければならない。そして、それらは必ず、かつてのものより高価なのだ。ユニクロとかワークマンへ行けば安価なものを購入できるが、それらは一様にポケットの数が少ない。

 

このようにジャケットを買うという行為は、私にとっては苦痛を伴うものだが、必要に迫られて、昨日、デパートへ出かけた。すると店員さんは、安っぽいジャケットを持ってきて、私に勧めるのである。値札を見ると、とても高価だった。こんな安っぽいジャケットがこんなにするのか。そう思ったが、着てみて驚いた。軽いのだ。そして、とても暖かい。中からポカポカしてくる。10年着れば、元を取れる。私は、そう自分に言い聞かせて、その高価なジャケットを購入した。

 

こうして、私のジャケット問題は解決したが、あの頃のラーメンを食べることは、もう諦めなければならないだろう。長生きをしていると、こういう辛さがある。